184_今朝の収穫芹沢俊介さん講演『“そばにいる”ということ〜家族の中の孤独〜』
チャイルドライン受け手・スタッフ養成講座の第1回目の公開講座の講師は、社会・文芸評論家の芹沢俊介さん。
芹沢さんの話を聴くのは私にとっては初めて。 私には、言葉を選びながら、聴き手の想像力を摘み取らないように話をしようとしているように感じられ、ヒントの多い考えさせられるものでした。 そういう意味では、あまり話の内容を抜書きしてはいけないような気もしますが、印象に残ったことを少し書いてみます。 『もう一度親子になりたい』という本を書いたとき、書き下ろした原稿を編集者に渡したら、何度も「もっとやさしく」と言われ、やり取りをしているうちに自分が「やさしくない」と言われているような気がして、「やさしさ」というものを考えさせられた。 秋葉原の無差別殺人事件のことについて、舞台芸術を学ぶ18、9歳の子どもたちと話す機会があったとき、自分は、自分たちとは関係ない人のことと考えているだろうと思っていたら、一様に「あれは、やさしくない自分たちが作ったものだ」と言われ、自分の不明を恥じた。 小児科医で精神分析家のドナルド・ウィニコットの『遊ぶことと現実』という本は、翻訳がこなれていないので取り組むには大変だが、珠玉の言葉がちりばめられている。その中に、「子どもは、誰かと一緒にいるとき一人になれる」と言う言葉がある。こういう言葉に出会ったとき、それをじっくり読み解いていくというのが自己学習なのではないか。 自分の内的世界の秩序を維持してくためには、「一緒にいてくれる誰か」の内在化が必要で、その誰かを言い換えると「受けとめ手」。さらに「隣る人(となるひと)」という言い方もある。そういう誰かがいない場合、「誰でもいい何かや、何でもいい何か」(例えば、買い物や薬物やケイタイ)によって内的世界の秩序が保たれるが、それが失われたり崩壊した場合、生き続けることが難しくなり、自分や他人を傷つけてしまう。そういった子どもたちを預かる施設の職員にとって必要なのは、「差し出しつつ、いつづける」ということに尽きる。 「あるはするに先行しなければならない」≒内的世界が安定して存在するということがまず優先されて、そのあとに何かをすることができる。 そのほかにもいろいろとヒントになる言葉があり、時間がかかっても、いくつかの言葉が、自分の血となり肉となればいいなと思います。
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