• もっと見る

MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

<< 2010年07月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
Google

Web全体
このブログの中
カテゴリアーカイブ
最新記事
PVアクセスランキング にほんブログ村

184_今朝の収穫

[2010年07月05日(Mon)]
本格的な夏野菜の時期になってきました。

今朝の収穫はこんな感じ。
キュウリ、ナス、ピーマン、ミニトマト、モロッコ豆、間引いたモロヘイヤ。



芹沢俊介さん講演『“そばにいる”ということ〜家族の中の孤独〜』

[2010年07月05日(Mon)]
チャイルドライン受け手・スタッフ養成講座の第1回目の公開講座の講師は、社会・文芸評論家の芹沢俊介さん。

芹沢さんの話を聴くのは私にとっては初めて。
私には、言葉を選びながら、聴き手の想像力を摘み取らないように話をしようとしているように感じられ、ヒントの多い考えさせられるものでした。

そういう意味では、あまり話の内容を抜書きしてはいけないような気もしますが、印象に残ったことを少し書いてみます。

『もう一度親子になりたい』という本を書いたとき、書き下ろした原稿を編集者に渡したら、何度も「もっとやさしく」と言われ、やり取りをしているうちに自分が「やさしくない」と言われているような気がして、「やさしさ」というものを考えさせられた。

秋葉原の無差別殺人事件のことについて、舞台芸術を学ぶ18、9歳の子どもたちと話す機会があったとき、自分は、自分たちとは関係ない人のことと考えているだろうと思っていたら、一様に「あれは、やさしくない自分たちが作ったものだ」と言われ、自分の不明を恥じた。

小児科医で精神分析家のドナルド・ウィニコットの『遊ぶことと現実』という本は、翻訳がこなれていないので取り組むには大変だが、珠玉の言葉がちりばめられている。その中に、「子どもは、誰かと一緒にいるとき一人になれる」と言う言葉がある。こういう言葉に出会ったとき、それをじっくり読み解いていくというのが自己学習なのではないか。

自分の内的世界の秩序を維持してくためには、「一緒にいてくれる誰か」の内在化が必要で、その誰かを言い換えると「受けとめ手」。さらに「隣る人(となるひと)」という言い方もある。そういう誰かがいない場合、「誰でもいい何かや、何でもいい何か」(例えば、買い物や薬物やケイタイ)によって内的世界の秩序が保たれるが、それが失われたり崩壊した場合、生き続けることが難しくなり、自分や他人を傷つけてしまう。そういった子どもたちを預かる施設の職員にとって必要なのは、「差し出しつつ、いつづける」ということに尽きる。

「あるはするに先行しなければならない」≒内的世界が安定して存在するということがまず優先されて、そのあとに何かをすることができる。


そのほかにもいろいろとヒントになる言葉があり、時間がかかっても、いくつかの言葉が、自分の血となり肉となればいいなと思います。


| 次へ
プロフィール

村夏至さんの画像
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岩国情報へ
にほんブログ村 にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 広島(市)情報へ
にほんブログ村
最新コメント
https://blog.canpan.info/nougeiraku/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/nougeiraku/index2_0.xml
月別アーカイブ