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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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『原発ゼロで日本経済は再生する』

[2014年09月12日(Fri)]
『原発ゼロで日本経済は再生する』(吉原毅著、角川oneテーマ21、2014年)

1404原発ゼロ.JPG

痛快な本です。

最近の風潮として、右にならえになってしまって、思っていることがなかなか言えなかったりします。

脱原発に多くの人が共感しているという調査結果が出ているにもかかわらず、大手のマスコミでは、電力会社が大口の広告主になっていることや、自主規制が重なってそういった話題があまり大きく取り上げられることがありません。

しかし、身近で自分のできる範囲で声を上げることはできるはずで、それを城南信用金庫の理事長である吉原毅さんは、そのことを事業所として実直にやっているだけなのかもしれません。

まず、脱原発のために、ソーラーパネルやLED照明を取り入れるなどして率先して節電に取り組み、2000年から規制緩和で大口電力需要家は既存の電力会社ではない「新電力」からも電力を買えるようになっていることを知ると、事故の責任の取り方の曖昧な東京電力との契約を打ち切ったりもしています(ちなみに、霞ヶ関ではほとんどの省庁は、東日本大震災以前から、実は安上がりな「新電力」に切り替えているようです)。

また、大量の電気を消費する町工場などからもしかしたら反発を受けるかもしれないと思いながらも、「原発に頼らない安心できる社会へ」というポスターやパンフレットを取引先の企業に渡したところ、反発を受けないばかりか、取引先の製造業の経営者が中心となって設立されている親睦会から「自分たちも原発のない社会の実現に貢献したい。そのために、自分たちの力を結集させて節電に役立つ商品を共同で開発したい」という申し出があり、ブレーカーに接続するだけで使用電力を測定でき、契約アンペアをオーバーすると警告音で電気の使いすぎを知らせる家庭用電流報知機を開発したりという動きに繋がったりもしています。

そして、声を上げるだけではなくて、実際に信用金庫という本来業務の中で原発ゼロのための具体的な取り組みをしているところが素晴らしい。

ソーラーパネル、蓄電池、自家用発電機、LED照明など節電のための最大300万円の個人向けローンを、最初の1年間は金利ゼロ、2年目以降は1パーセントとしたり、省エネルギーのために1.0万円以上の設備投資を行った個人に対して、通常は0.03パーセントの1年もののスーパー定期預金(1世帯最大100万円)の金利を1パーセントにするなどの商品も作り出しているのです。

私自身は信用金庫というのは変な名前だなあ、というくらいの認識だったのですが、生活協同組合と同じような起源を持つ非営利団体であり、その名前にもこだわりがあることがわかって、前から気にかかっていた、金融機関の役割というものを考えるヒントにもなりました。


追記:ちょっと、話がそれてしまうのですが、常々思うのは、「妥協すること」と「あきらめること」は別々のことであるということです。

社会生活をしていく上でいろいろな場面では、妥協することが多いものです。相手があることがほとんどですから、自分がよっぽど力を持っていたり、人を説得する特別な能力があれば別ですが、そういうこともなかなかないので、それは致し方ないことです。

そして、理想に燃えている人ほど、「妥協すること」に対して自責の念にとらわれて、結果として、何をしても無駄だから「あきらめ」てしまって、かえって従順な人になってしまい、陰でボソボソと文句を言うだけになってしまう人を見てきました。「妥協せざる得ない」ことのほうが圧倒的に多いので、心の健康的には、「あきらめる」ほうが楽な部分もあるとは思います。

しかし、「妥協」はしても、実は「あきらめる」必要はないわけで、「あきらめず」に待っていると、めったにないにしても、案外、自分の判断でできる場合や、機が熟して全体的にそういう方向になる場合というものがあるものなのです。

「あきらめ」ていると、その機会をみすみす逃してしまう可能性があるのに対して、「あきらめない」でいて、ちゃんと、心の棚にそのことを置いていたり、そのための準備をしていると、チャンスを生かすことができます。

特に若い人に、「妥協したのはあなたのせいではないのだから、あきらめる必要ないんだよ」と言ってあげたいし、機会があれば言うようにしています。

まあ、自分の妥協したくなかったこだわりが、必ずしも正当なものかどうかはわからないのですが。

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『パンドラの約束』

[2014年06月01日(Sun)]
『パンドラの約束』(アメリカ映画、2013年、監督:ロバート・ストーン、87分)

1405パンドラの約束.JPG

なぜ彼らは原発を肯定するのか?地球環境保護論者たちの視点とは?

という謳い文句で、原発反対派から原発賛成派に変わった地球環境保護者を追ったドキュメンタリー映画ということで、何か目新しいことが描かれているのかも、と思って見てみたのですが、

1 通常運転時に原子力発電所を直接原因とする死者が少ない
2 これからも電力需要はどんどん伸びていく
3 二酸化炭素排出量が少ないので地球温暖化を食い止めることができる
4 自然エネルギーは、安定していないのでバックアップ発電が必ず必要

要点は、上記くらいで、それは特に新しいことでもなく、あまり興味を引くものではありませんでした。現状と、解決すべき問題とを、ごっちゃにしている感じが否めません。

出演者は、原発賛成派になった人か、原子力発電の開発に携わった元技術者で、賛成派になった地球環境保護者が、「自然界にも放射能はあるなんて知らなかった」という下りなどもあり、あまりの無知さにちょっとあきれるシーンも。

唯一興味を引いたのは、出演者の一人が、戦後アメリカが国策として「原子力の平和利用」キャンペーンを行っていたとき、ディズニーがその宣伝的な映画を制作していて、それによって原子力に対して好印象を持ったと語ったシーン。当時盛んに原子力の安全性を強調する宣伝映画が制作されたことは知っていましたが、今も、ヒットを飛ばしているディズニー映画もそういう映画を製作していて、昔からメジャー路線を走っているんだなあ、と感心。

また、元原子力発電の技術者が、技術的には欠点があるものの、商業的に成立しやすかった軽水炉型の原子力発電所が普及してしまったが、現在はもっと安全な原子力発電所が開発されている話をしていて、そのための莫大な開発費用が最終的に政治によって削減されたために頓挫しているということが描かれていて、さも科学は中立なのだけど、経済的、政治的理由で正しい方向に行っていないというふうに描かれているところも、何だかね。そういう利権が絡んでしまうところにこそ問題があるのに。

全体として、無邪気な原発賛成派という印象で、(新たに学べることがないので)あまりおすすめの映画ではありません。

6月6日まで、横川シネマで。

追記:私は、二酸化炭素の排出は抑制していくべきだと思っていますが、地球温暖化は非常に長いスパンでの地球環境の変化で、たまたま二酸化炭素の排出量の急激な増加とリンクしているだけなのではないか、という説のほうが正しいのではないかと疑っています。

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『祭の馬』

[2014年02月11日(Tue)]
『祭の馬』(監督・撮影・編集:松林要樹、日本、ドキュメンタリー映画、2013年)

1402祭の馬.JPG


久しぶり(1年以上?)に、広島の横川シネマに足が向いて、映画を2本見てきました。
最初に見たのがこれ。

競走馬を引退するなどして、福島県南相馬市で食肉用として肥育されていた38頭の馬たち。
3月11日の東日本大震災で津波の被害を受けるも奇跡的に助かったが、東京電力福島第一原発から17キロの地点にいたために、飼い主は出来るだけの餌を残して避難。

2週間後に帰ってきた時には、7頭が餓死。被爆した馬が食用にまわってはいけないと県は殺処分を要請したが、飼い主の田中さんは拒否。南相馬市のはたらきかけで、伝統行事として行われている野馬追に使うためとして、特例で避難を許可された。

その馬たちの避難所での生活や、不健全な状況に手を差し伸べてくれた北海道日高市に一時的に避難し、嬉しそうに走り回る様子。そして震災から506日が経った2012年夏に行われた相馬野馬追で堂々と走る姿をカメラは追う。

ただ、それだけと言ってしまえばそれまでなのですが、馬とあまり接したことがなかったと言う監督なりの表現で、馬たちの生き生きとした感情が写し撮られていて、その躍動感が、つぶらな瞳が、心に残ります。

2月21日まで、横川シネマで。


講演「ことばのむこうにある世界」

[2012年08月07日(Tue)]
8月3日から5日にかけての3日間、岩国で、一日ごとに会場を変えて行われた全国演劇教育研究集会。

4日の昼からと、5日のワークショップに参加させてもらいました。

4日の午後は、まず地元の高森小学校6年生による演劇「つたえる!つたわる?」。はきはきした子どもたちの演技がすがすがしい。

続いて、詩人のアーサー・ビナードさんによる記念講演。

最初に、中原中也賞を受賞したビナードさんに合わせて、中原中也さんの有名な詩、「サーカス」の実行委員会のメンバーによる群読のようなもので幕開け。

それを受けて、ビナードさんが、その詩を英語に翻訳したとき、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」というサーカスの空中ブランコを表現する擬態語をどういうふうに訳すか(擬態語といってもそれぞれの言葉の背景があるので、そのまま使うわけにはいかない)、というところからはじまって、言葉は世界をみるためのレンズであるけど、それぞれの言語によって違うため、「日本語レンズで世界を見る」とか「英語レンズで世界を見る」ということになってくるという話になって、それを文字通りメガネに見立てて、ある子どもが商店街の眼鏡屋さんで、期間限定で「英語メガネ」を無料でお試しで借りてみると、見慣れた世界が違って見えてくるという絵本『ことばメガネ』を作った話へ。

そして、言葉は、言葉のむこうにある世界をみるためのものだけど、使う人によって、真実に近づける場合と、真実を覆い隠して思考停止に陥らせてしまうものとがあり、そのそれぞれの代表が、詩人とコピーライターでなる、というあたりからビナードさんの話は臨界状態に。

核や軍隊を表現する言葉が、事実を覆い隠す最たるもので、人をだます言葉にあふれていると。

例えば、核兵器(Nuclear Weapon)や原子爆弾(Atomic Bomb)という言葉は、戦争中に極秘裏に(合州国憲法違反で巨費を投じて)開発されていて、ヒロシマ、ナガサキに投下されてはじめて発表されたのでアメリカの市民にとっても、すでに用意された言葉として、要するに作った人の立場から作られた言葉で、アメリカで、原子爆弾は戦争を終わらせて貴重な命を救うために投下されたと教えられたビナードさんにとっては比較的無色な印象だったけど、ヒロシマへ行って、「ピカドン」という言葉をはじめて聞いたとき、原爆を投下された市民の立場から生まれた言葉によって、原爆がもたらしたものを再認識することができた、という話は印象的でした。

アメリカでは戦後直後からAtom(原子)という言葉が、コピーライターによって、<すごい>とか<超>とか<やばい>いった意味に使われるようになって、アトミックTシャツやアトミック飴、アトミックパフェなどのように商品に使われて日常的な言葉として浸透させられてプラスのイメージにされてきたそうです。

そして、核兵器の開発が進む中で、核兵器の原料となるプルトニウムを、核爆発を伴わずに製造するために(電気を作るためではなく)原子炉が作られ、その原子炉を世界に広めるために、今度は<核の平和利用>という言葉のキャンペーンによって、原子力開発が進められ、日本もその流れで原子力発電所が作られるようになったことなど、言葉にこだわる詩人ならではの鋭いつっこみが続きました。

そういったごまかしの言葉と宣伝を続けている米国防総省のことを、ペテンタゴン(ペンタゴン)という新しい言葉で表現することなど、逆に市民の側から真実を見抜くための言葉を作ることの大切さについても話されました。

私も、一応、ブログという媒体で何かを伝えようと言葉をつづっているわけですが、ビナードさんの言葉に対する真摯な思いに、ちょっとたじろいでしまいます。

もちろん、的確にごまかすことなく伝えたいという思いは私にも一応あるのですが、ちゃんとわかってなくて自分が自分をだましている場合もあるし、もっと基本的な問題として、日本語表現がつたない場合もよくある。いずれにしても、ちょっと襟を正されるお話でした。

ビナードさんの講演の終了後、地元の先生を中心とした「いわくに太陽劇団」による劇(なかなか気合が入っていました)「室長SHITSUCHO」があり、

その後、出会いの場と称して、「出会いの広場」と称して、人形劇や一人芝居、参加者の一言感想などがあり、終わりまで楽しませてもらいました。


政府の福島原発事故調査・検証委員会の最終報告書

[2012年07月24日(Tue)]
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の最終報告書が7月23日に提出されました。国会事故調の最終報告書が出たときも、特に目新しいことが出ていなかったので、もう事故報告書には付き合いきれないことを書きましたが、一応今回も概略版だけざっと目を通してみました。

やはり、報告書としては目新しいことはない(主観的な部分で強調されている部分が違ったりするものの、事実としての記述には大きな違いがないように思われる)ので、一点気になったことだけ。

二番目に重要な論点の総括が書かれていて、その8番目のタイトルが「国民の命に関わる安全文化の重要性」となっています。原子力発電の話の中で、「文化」という言葉が出てくることの違和感というものを、このブログの2012年5月8日の記事の中で、一般財団法人 日本原子力文化振興財団が毎月発行している「原子力文化」という雑誌について取り上げたときに書いたのですが、やはり、文化というやわらかい言葉と原子力というものが同居しているのがどうも落ち着きが悪いのは私だけでしょうか?

いったん大きな報告書は出そろったわけですが、まだまだ原子炉付近は立ち入れないため、究明しなければならないことは多いですし、解決しなければならない問題も多いので、継続的にみんなが関心を持てるように発表しながら取り組んで行ってもらいたいし、私たちも関心を持ち続けないといけないと思います。


江戸から逃げ出す人たち

[2012年07月21日(Sat)]
地震や福島原子力発電所の放射能などに不安を感じて、関東方面から逃げ出してくる人というのを、最近何人も見かけます。

昨日も、異業種交流会のあとに、寄った飲み屋さんで、後に入ってきた女性2人組の一人は、最近岩国にマンションを買って、近々ご主人が退職されるのでこちらに移ってくる予定なのだそう。

何箇所か検討した結果、実家が岩国の近くで、広島にも近いので岩国駅前あたりが便利だと判断したようです。

「12月には岩国錦帯橋空港も再開するので、東京へ行くにしても便利ですよね」と言ったら、「飛行機は苦手なので、新幹線にしますけど」と言われてしまいましたが。

全国そこここで見られることなのでしょうね。あの地震と原子力発電所の事故は、本当に広い範囲でいろいろな影響をもたらしています。


エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会 その2

[2012年07月20日(Fri)]
この件については、直前に書いたのですが、ちょっと別件で一言。

電力会社が、原子力発電所にこだわるのはなぜなのか?そこには、大きな勘違いがあるのではないか。という気がしてなりません。

原子力発電所に関わる大手メーカーや建設業者、パソコン関連会社などとのつながりがあってその利権が自分たちの利権と関わっているので守りたいというのはわかります。しかしそれは、高度成長期にどんどん経済成長をして人口も工場も増えて消費電力も右肩上がりに増えて、発電所もどんどんつくらないと間に合わないという時代を引きずってしまっているだけではないのかと思うのです。

いまだにその被害の全容がわかならいし、万単位の避難者を出すという重大事故を起こしてしまった原子力発電所は、最悪の事態への対策を考えるとコスト的にも莫大必要なだけでなく、日常的にも直接原子炉近くでの作業に従事する人たちの健康問題など出す可能性があることを考えると、縮小方向のほうが賢明であり、自然エネルギーや自家発電など小規模分散型の発電に大きくシフトしていかなければならないと考えられます。

それでも、電力会社が電力の主要な供給源となることは変らないだろうし、電力に関わる仕事がなくなることはないのだから、電力会社にとっても、方向を変えるだけで、今までと変わりなく事業を行えるはずですし、巨大装置を伴う原子力発電より、地元でお金がまわる可能性が高い分散型の発電とそれに関連する事業を展開していったほうがより地域とともに持続可能な社会づくりに貢献できると思います。

多少のコスト高になっても、トータルで考えれば地域に貢献するかもしれないことを地域と協議をしながら進めれば理解を得ることもできるでしょうから、そろそろ変なこだわりは捨てたほうが、電力会社にとっても得策なのではないかと感じるのですが。


エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会

[2012年07月19日(Thu)]
この2、3日マスコミを賑わせている、「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」。

誰が、どういう意図でこの問題に関わっているのかややこしくてわかりにくくなっています(どこまで意図していて、どこまでその意図通りになっているかがわかりにくいという意味で)。うがってみると、2030年時点での3つのシナリオ自体が注目されないように、電力会社社員をクローズアップしたとも考えられなくはないような気がするのです。

まず、今回の意見聴取会に関する情報は、「内閣官房国家戦略室 エネルギー・環境会議」で検索すれば、議事概要や会議での提出資料など含めていろいろな情報が直接掲載されています。

その中に、菅内閣時代に菅総理も出席して大臣参加のもと行われたエネルギー・環境会議の第1回目(2011年6月22日開催)の議事概要があり、最後に発言者はわかりませんが、以下のようなことが書かれていて、私は個人的には賛同します。


「脱原発と原発推進の二項対立を乗り越えて新たな国民合意の形成をせねばならない。この大きな方向性について、一方では原子力の安全性への挑戦と同時に、原発への依存を徐々に減らしていくということを考えていかねばならないのではないか。省エネルギー、再生可能エネルギー、化石燃料のクリーン化といったフロンティアを、世界に先駆けて開拓していくことが必要」


ただ、さまざまな情報があふれている中で、内閣官房の国家戦略室にエネルギー・環境会議というものが設けられていて、意見聴取会などが行われるということはについて、多くの人が知ることは現実的にはなかなか難しいのも事実です。

直接関係する事業者である電力会社がこの情報を得る可能性が一番高いことが単純に考えられ、意見も持っているでしょうから、自発的であれ、社命であれ、応募するだろうことは容易に想像できます。ですから、抽選で選ばれることも不思議ではありません。

そして、電力会社社員が意見を述べれば顰蹙(ひんしゅく)を買い、ニュースネタになることも想像に難くありません。

ここからが難しいところです。意見聴取会が始まれば、いずれニュースになって、意見聴取会のことが話題になる。そのとき静かに話題になれば、意見聴取で取り上げられている3つのシナリオ自体について突っ込まれる可能性がある。ならば、センセーショナルに取り上げてもらえれば矛先が別のところに向かって3つのシナリオについては既定の事実としていじられないのではないか、と考えた人がいたのではないか、などと考えてしまう私はうがりすぎ?

わかりやすい図式を求めるマスコミは脱原発対原発推進という二項対立で取り上げたいので、今回の話題は格好のターゲットとして、この2、3日電力会社や政府を責めることに集中して、とりあえず3つのシナリオについては手付かずです(でも、これだけ取り上げられると、この会議が提出した3つのシナリオをはじめ、いろいろと突っ込まれる可能性はあります)。

2030年段階での3つのシナリオは、原発依存0の1番と原発依存20〜25%の3番を極端に見せて、原発依存15%の2番が中庸のように見せかける感じがします。議論をしたけど、原子力発電の存在もある程度は仕方ない、というなし崩し的な結論へ持っていこうとする意図が感じられる選択肢で、そちらの方が問題だと思うのです。

私は、こういう選択肢より、廃炉が決定しても何十年も関わり続けなければならない現在すでに存在している原子力発電所に携わる人たちが、いかに被ばくを減らすことができるか、とか、いかにいい方法で燃料棒などの放射線を封じ込めることができるかなどについて、誇りを持って研究を行い、廃炉のための実践や研究が新しい知見を生み出せるような環境を、公開のもとに保障していくことのほうが大切だと思います。

最初にあげたホームページでは、今回のシナリオについてのパブリックコメントを8月12日まで募集していますので、資料をよく読んで、それぞれが思うことを書き込んでみてはいかがでしょうか? 私も、じっくり資料を読み直して、書き込んでみようかと思っています。


『エネルギー進化論―「第4の革命」が日本を変える』

[2012年07月11日(Wed)]
『エネルギー進化論―「第4の革命」が日本を変える』(飯田哲也著、ちくま新書、2011年)

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自然エネルギーへの転換を目指すヨーロッパや日本の動きをまとめて解説してくれている本。

この中で、私が興味深いと感じるのは、例えば、スウェーデンで1979年のスリーマイル島原子力発電所事故を受けて、原子力発電所に関する議論が起き、国民投票まで行われるのですが、その中で、それまで支配的であった二項対立的な政治モード(反対か賛成かという対立構造)で議論を行うのではなくて、国民の間で合意を形成するために議論を尽くすという風潮が生まれ、建設的な対話モードへ変わっていたという点です。

「原子力発電所はある程度つくった後に閉鎖する」という大きな方向性での合意ができたので、そのあと「これまでに出た核のゴミをどう処理するのか」「作業員の被ばく量はどうしたら下がるか」といった実質的な問いが具体的に議論されるようになった、というのです。

私は、日本の原子力発電所についても、福島原発が事故のために放射線量の多い場所があって最も難しいとはいえ、その他の原発についても、老朽化した施設の廃炉に向けては何十年もかかる仕事になるわけで、研究や作業が継続的に行われていかなければならないことが気にかかっています。社会のお荷物的なものに追いやられるのではなく、関心を持ち続け、議論が重ねられることが大切だと思っています。

また、自然エネルギーは分散型のエネルギーなので、自然エネルギーを考えることによって、地域での政策形成(小さな地域での実験的な新しい政策)につながり、そこから大きな社会変革につながっていく可能性があるということが書かれている点にも注目です。

デンマークでは、原子力普及のために作られた学習施設をどうしていくかという話し合いの中で、環境エネルギー事務所と呼ばれるローカル・オフィスに転換され、シンクタンクのような政策提言や行政との協力作業を行う部門、地域コミュニティとの関係構築や啓発などを行う環境NGO/NPOのような機能、そして自然エネルギーを事業として行うベンチャー企業機能を併せ持つようになって、「地域の核」となっているらしいのですが、まさに、エネルギーを考えることが、地域をどうしていくかということにつながっている例でしょう。

どんどん複雑化していく社会にあって、うまくいけば、合意形成が比較的簡単な地域を変えていくことから社会全体が変わっていく可能性についてヒントになる本です。


国会原発事故調査委員会の報告書が出ましたが…

[2012年07月06日(Fri)]
2012年7月5日、国会に設置された国会原発事故調査委員会の報告書が発表されました。

私はこれまで、このブログで
・2012年2月1日付け「『「国会原発事故調査委員会」立法府からの挑戦状』
・2012年3月1日付け「民間事故調の最終報告書に関する疑問について考える」
・2012年5月13日付け「『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』
・2012年6月22日付け「東京電力による福島原子力調査報告書の発表」
などの記事によって、それぞれの事故調査報告書について書いてきましたが、正直もうついていけません。個人の(誰か)の責任にして気晴らしをしたいだけ、としか感じられないからです。今回の国会原発事故調査委員会の報告書に関しては、要約版にざっと目を通した感じでは、マスコミが取り上げているよりは公平にいろいろな問題を扱っている印象ですが、特に目新しいことが書かれているわけでもなさそうです。

これまで出た報告書の中では、私が目を通した限りでは、2011年10月28日に、どの報告書よりも速く出され、記者会見も行い、インターネットで誰でもが見ることのできる形で公表されているにもかかわらず、マスコミから無視されてしまっている、大前研一さんが中心になって作成した「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」が、最もクリアに事故原因と今後の対策について書かれているように思います。

その他の報告書は、その知見を生かすことなく、どんどんページ数は増えるばかりで、問題の本質をうやむやにしようとしているとしか考えられません。

もうそろそろ、今なお苦しんでいる人たちの補償問題を含めた事故の事後対応を、まず、第一義的な責任者としての東京電力にどこまできっちり対応してもらうか(東京電力の破産宣告も視野に入れて)ということと、それでも無理な場合に、国策として進めてきたからには、どういうふうに国民に納得してもらう形で公的資金を投入していくのか、ということに議論を集中すべきなのではないか。

補償問題は、責任の所在がはっきりしないと対応できないと言われるかもしれませんが、責任は第一義的には事業主体者としての東電が、そして国策として原子力発電所を推進していたからには、それを補填する形で国が負う(つまり私たちが負う)以外にないわけで、報告書によってそれが変るものではないと思います。

補償金額は、今後とも変っていく(いろいろな訴訟が起きてくるでしょう)と思われますが、その総額が最新の時点でいくらで、それを東電と国がいくらずつ負担するのか、そしてその理由は、といったことを概算でいいので知らせてほしい。それが、今後の原子力政策を考えていく上での基礎資料となるのではないかと思います(今回の事故処理にかかるコストは、そのまま原子力発電所の維持コストになるのでしょうから)。

お金のことだけ書いてしまいましたが、もちろん、今まで住み慣れた場所を、突然離れなくてはならないということは、お金とは別の問題として取り組まなければならないことです。


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