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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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『子どもとあそび』

[2008年07月27日(Sun)]
チャイルドラインボランティア研修講座の最初の講座のテーマが「遊びは生きる力の源」ということで思い出したのが、この本。

『子どもとあそび―環境建築家の眼』(仙田満著、岩波新書、1992年)

この中で、一番印象に残っているのが、スポーツ少年団に関すること。スポーツを楽しむことは大切だけど、小学校の子どもにとっては、ルールを自分たちで作る遊びのほうが大切だと書いてあること。

きっと、スポーツ少年団も、これまでの日本の成長経済のあり方を反映しているのでしょう。つまり、既存のルールに疑いを持たずにそれに従って、効率よく組織を運営していく手足となる人を育成していくという面を持ち合わせていたのではないか。

しかし、成熟社会を迎えている現在では、主体的に課題に取り組む個人や組織が必要になってきています。著者の、「決められた方法でなく、自分たちでルールをつくる、そういう自立した遊びの方法を学べるようなスポーツクラブがあったらおもしろい」という言葉は、案外重たい(重要な)ように思います。

雑多なメモを書いてみましたので参考に(A4判1ページ)。


『いちばん大事なこと』

[2008年07月29日(Tue)]
『いちばん大事なこと』(養老孟司著、集英社新書、2003年)

すぐに答えを求めて、その答えがとりあえず自分には関係ないとか、自分のせいではないという形で安心しようとする傾向が、今の社会全体にあるように感じる。

それは、それだけ、今の社会に不安な要素が多いことの裏返しでもあるのでしょうけど、自然や社会は複雑で、そう簡単ではない。しかし、個人個人でできることがないわけではないのだから、あきらめて極端に走るのではなく、できることを着実に積み上げていきたい。

複雑なものと、ていねいに付き合うことの大切さが書いてある本だと思います。

読書メモはA4判2ページです。



『現場主義の知的生産法』

[2008年08月03日(Sun)]
『現場主義の知的生産法』(関満博著、ちくま新書、2002年)

新書を選ぶのは、本屋で本の背表紙を見て、面白そうなものを手にとって軽く読んでみて、というパターンが多い中、この本に関しては、最近<現場>というものが気になっていて、確か「現場主義」という言葉があったような気がして、インターネットで検索して、目次を見ただけで注文して買った本。

IT(情報技術)により情報収集の仕方が大幅に変わり、瞬時にパソコンを動かす若い人たちを見ていると、(中略)あれだけ巧く情報機器を駆使できるのだから、「現場」と交流をふかめていけば、さらによい仕事になるのでは、と思うのだが、なぜかそうはいかない。
(中略)今や「現場」にしか創造性を刺激するステージはないのかもしれない。
(中略)昨今はテレビの映像や、インターネットにより、実に大量の情報が飛び込んでくる。(中略)だが、そこには、「現場」に身を置いたときに感じる「緊張感」は微塵もない。あくまでも「観客」なのである。


と、序章の「なぜ現場なのか」という出だしの部分からして、なかなか刺激的です。

地域産業論、中小企業論を専門とする大学教授の著者は、数々の地域で、特に工場の「現場」調査をもとに研究・発表を続けており、この本の中にもそのエッセンスがちりばめられて興味深い。

結章の「「志」は現場で育つ」にある次の言葉は、まさにその通りだと思う。
特に、現在、官僚が机上で生み出すさまざまな施策が、あまりに現場と乖離していると感じていて、やっぱり現場だよな、と改めて思わされました。

(前略)明らかに、これまでの日本では「欧米モデル」が目の前にあり、どう追いついていくのかが焦点とされ、自分自身の国や地域の問題を「現場」から発想していこうとする取り組みに欠けていた。だが、「失われた10年」とされる全世紀末の苦しみの中で、自分たちのことは自分たちでという雰囲気が次第に形成されつつある。その場合、指針にべき先行的な事例は世界に見当たらず、私たち自身が「現場」との格闘の中から、次の時代のありうべき姿を見つけ出していかなくてはならない。ようやく、私たち自身の「創造性」が問われる時代に踏み込んできた。(後略)

『言霊』

[2008年08月19日(Tue)]
『言霊』(石牟礼道子・多田富雄著、藤原書店、2008年)

2006年春から2年にわたって交わされた10通の往復書簡。

石牟礼さんの作品『苦海浄土』を学生時代に読んだときのあとからじわじわくるような衝撃忘れられません。何年か前には、ミナマタをテーマにした「不知火」という新作能を手がけられたということを最近知って気になっていたので、この本の書評が新聞に載ったのを機会に手にとってみました。

大人な感じ(こういう書き方は失礼かもしれません)で静かなのに、中身は壮絶。

共感したり、なるほどと気づかされた部分を。

石牟礼道子さん(92ページ)
多田さんのナガサキをテーマとした新作能『長崎の聖母』について語る中で、 
 (前略)原爆は人類史の、あってはならぬ極相です。これをのりこえるには、よほどの文明的支柱をもった芸術の気高さをもって、優位に立たねばとわたしは思っていました。(後略)

多田富雄さん(139ページ)
免疫学者であり、能に造旨が深く、新作能も手がける多田さんが能について簡潔に語っている部分
 (前略)能というのは、「舞歌二曲」と世阿弥が強調しているように、「舞」という抽象的な身体運動を、いかにして「歌」にこめられた情念や物語の表現に結びつけるかという芸術だと思います。(後略)

私は、2度しか能を観たことがないのですが、また観て見たくなりました。

『地域の力―食・農・まちづくり』

[2008年08月24日(Sun)]
『地域の力―食・農・まちづくり』(大江正章著、岩波新書、2008年)

この本はなかなかのヒットです。

地域自給、商店街、福祉、地産地消、林業、公共交通などその地域ならではの特徴ある取り組みをしている7例を、それぞれコンパクトながら丁寧に取材をして、本来の意味での「豊か」さを考えるヒントを与えてくれます。

前書きにあるように、今

第一次産業や生業を大切にしながら新たな仕事に結びつけ、いのちと暮らしを守り、柔軟な感覚で魅力を発信している地域に学び、その共通項を見出して普遍化していくこと

は、大切なことだと思う。普遍化するのは大変だと思うけど、いろいろ試行錯誤していく手がかりはすでにいろいろな人が行っていることの中にたくさんあると感じるから。

著者が取り上げた地域には4つの共通点があるという。

1 地域資源を活かし、それに新たな光をあてて暮しに根ざした中小規模の仕事を発展させ、雇用を増やしている。

2 民間・農協・森林組合・自治体と所属はさまざまだが、地域に根づいた、そして前例にとらわれない発想とセンスを持ち、独走はせずに仲間を引っ張っていくリーダーの存在

3 Iターン(よそ者)とUターン(出戻り)が多い

4 メインと成る仕事で現金収入を得ながら、自らの食べるものをつくり、自給的部門を大切にしている人たちが多い


共感できます。

『半農半Xという生き方』

[2008年08月29日(Fri)]
『半農半Xという生き方』(塩見直紀著、ソニー・マガジンズ新書、2008年、2003年に同社から出た同名の単行本を加筆、修正し、新書化したもの)

「半農半X(エックス)」(天の意に沿って小さく暮し、天与の才を世に活かす生き方)なかなか素敵な言葉です。京都の綾部市に暮す著者が、綾部市にもともといる人、Uターン、Iターンした人、の暮らしぶりをを紹介しながら、結果として綾部市の楽しい取り組みがわかり、まちづくりの参考になる話がいっぱいです。

「半農半X」と言う言葉は、「晴耕雨読」(「晴耕雨創」というもじった言葉もあるらしい)と似ていますが、より積極的というかちょっとかっこいい。やはり農は基本です。

本の中にも紹介されている「里山ねっと・あやべ」は、ホームページにもあって楽しい。

『なにも願わない手を合わせる』

[2008年09月01日(Mon)]
『何も願わない手を合わせる』(藤原新也著、東京書籍、2003年)

『メメント・モリ』から20年。これまであらゆる祈りを拒否し続けてきた著者が・・・・・とのうたい文句に、これは買わなければと(藤原さんがあらゆる祈りを拒否し続けてきたとは思ってないけど)。

というのも、『メメント・モリ』という本は、特に心に残る作品で、写真本と言えるものですが、写真好きの私は、写真の中に文字が入っているというものを基本的には好きではない(写真の中に文字が入ると、普通はうるさい)のに、この作品は、写真と文字がえもいわれないニュアンスをかもし出していて、何度も何度も見返してしまいます。

ちなみに、メメント・モリとは、「死を想え」と言う意味で、ペストなどの流行した中世ヨーロッパ末期に盛んに使われたラテン語の宗教用語。

『何も願わない手を合わせる』は、お兄さんの死を契機に、四国を巡ったお話から始まるエッセイ集です。

私個人は「死者の魂」とは私の心の中に居残っている死者への想い、というふうに捉えており、そういう姿で死者はそれを思う人々の魂の中に生きていると思っているのである。

と書いているように藤原さんは、変な神秘主義に走らず、物事をきちんと見つめているという感じがして好きです。

『ルポ 貧困大国アメリカ』

[2008年09月02日(Tue)]
ルポ貧困大国アメリカ』(堤未果著、岩波新書、2008年)

日本はアメリカの後を未だに追いかけているというか、アメリカで起こったことが10年とか20年後に日本でも起こったりするので、参考になるかな、程度に思って読んでみたのですが、なかなかすごい。

特に最後の第5章「世界のワーキングプアが支える「民営化された戦争」」は圧巻です。

多重債務者のトラック運転手にある日、グローバルな派遣会社からおいしい(?)仕事の話が電話で舞い込む。説明会に行ってみると、パーティかと思うほど多くの参加者の会場は、色とりどりの風船で飾られ、「アメリカを政府を支えよう!」「崇高な指名を果たす同胞を助けるのは崇高な仕事だ!」などと書かれたポスターが貼りつけてあり、今募集している職種のほとんどはイラクでの仕事であり、現地で武装勢力の攻撃で死ぬ可能性もゼロではないことなど全て細かく説明を受ける。そして、

「最後に申し上げておきます。もし現地で勤務中にあなた方が事故などでお亡くなりになった場合、例えば可能性は非常に低いですが、化学兵器や放射性物質などによって死亡した場合には、本国への遺体送還はあきらめていただくことになります。現地で私どもが責任を持って火葬させていただきますので」

会場は一瞬ざわめくが、その後の給料の説明などに参加者は熱心に聞き入り、全員が登録手続きを行う。貧困にあえぐ参加者には、その他に選択肢がない。

雇用担当の説明者は、戦争ではなくて純粋なビジネスであり、労働力を提供してもらい、それに見合う報酬を出すだけと説明し、登録する際に宗教や支持政党などを記入する必要がない。

形としては、お互い納得ずくの契約になるわけですが・・・。

アメリカで起こっていることの、一端ではあるのでしょうが、見過ごせないルポです。

『身近な野菜のなるほど観察記』

[2008年09月17日(Wed)]
『身近な野菜のなるほど観察記』(稲垣栄洋著、草思社、2005年)

野菜エッセイというものがあるのかどうかわかりませんけども、野菜の本でお勧めはと聞かれれば(聞かれたことはありません)、これです。ただし、この本は野菜の育て方ではありません。44種の野菜が取り上げられていて、雑学にとどまらない、「野菜って?」とその先を考えさせるような哲学的ともいえるエッセイです。ちなみに、同じ著者の『身近な雑草のゆかいな生き方』もとても面白い。

『民主主義が一度もなかった国・日本』

[2009年12月16日(Wed)]
『民主主義が一度もなかった国・日本』(宮台真司+福山哲郎著、幻冬舎新書、2009年11月)

近年新書が流行で、その恩恵の典型ともいえるような本。この8月30日の政権交代について、そして今行われているコペンハーゲンのCOP15に向けて、これだけの話が本としてまとまって読めるなんて、ちょっとお得な気分。政治が変わりつつあるなというのを日々実感しつつありますが、そのことをより実感できます。お勧めです。

著者は、社会学者の宮台真司さんと現外務副大臣の福山哲郎さん。

これからは以下のような政策とるしかないというのは、そうだと思います。
  “グローバル化に棹さしつつ、それが個人を直撃しないよう、「社会的包摂=社会の自立」を保つ。そのために国家は「個人の自立」を直接支援するより、「社会の自立」を支援する”(中略)。具体的には“国家からの集権的再配分がなくても自分で自分を回せる地域社会を作りつくり、維持する。そのための支援こそ国家の役割”(後略)

 そこで問題になるのは、そういった地域支援が「社会の国家からの自立の支援」になっているのか、それとも「小社会の国家への依存の奨励」になっているのかということ、その文脈の元に、子ども手当てのことや、農家個別補償のことも考え方からわかりやすく説明してくれています。

日米安全保障のことや、地球温暖化のこと、外交のこと(なぜ、鳩山総理の国連での演説が海外で評価されたか)なども縦横に話し合われていて興味は尽きません。必ずしも、全面的に賛成できるわけではありませんが、こういう議論もありだと思います。

自民党時代には、何らかの検討チームに入っている役職を持つ議員同士でも秘書官などの官僚を通して話をしていたのに、現政権では、議員同士が普通に携帯でやりとりをしていてびっくりされたエピソードなども笑えます。

最後のほうで、
 電力10社は地域の独占企業体なのに、なぜ広告しているのか。乱暴に聞こえるかも知れませんが、簡単に言うと、電力各社にとって都合が悪い情報を、マスコミ側の自主規制を動機付けることで、効果的にブロックするためです。
と書かれているのは、本当になるほどです。

そういえば、私の住んでいる所では、中国電力からしか電力を買うことはできないのに、テレビのスポンサーもしているし、やたらCMを流しているのって、明らかに無駄ですよね。それが電気代に上乗せされてるのって??しかも、原子力発電所が二酸化炭素を出さないことばかりやたら説明しているのって?


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