私がこのブログを書いている理由(この社会が少しでもうまく回ってほしい)
時には、こういうそもそも論的なことを書いてもいいでしょう。既に書いているようなこともあるでしょうが、微妙に変わったりもするので。
長文になりそうなので、余裕があるときに読んでください。
とりあえず、私がどういう記事を書きたいかというのは、左側のカテゴリーアーカイブの「01カテゴリー解説」に書いてあります(そこに理由も若干は書いています)。
そういった記事を書いているうちに、自分が何故ブログを書いているのか、というのがだんだん明確になってきたように思います。
1 はたけのこと
休耕田が増えている昨今では、個人ではたけをすることのハードルは低くなってきています(実際私も、土地持ちではないので休耕田を借りてはたけをしています)。社会全体としては、農産品と言うのは大規模化、工場化が進んできて、ベースの食料はますますそういう形で供給されていくのでしょう。
一方で、自分の手の届く範囲でのはたけの楽しさは、そういった社会の流れとは別にあります。というか、むしろ、手放すべきではない楽しみだと、実際にやっていて思うので、その楽しさを伝えたい。趣味で行うのであれば、多少手間がかかったり、失敗があるにしても、大規模な農業のまねをして農薬や化学肥料を使う必要はなく、安全・安心なものを手にすることができます。
そして、何より、タネから芽が出て成長して、実が出来るという生命のはじめから終わりまでを数ヶ月で体験できる。そこにかかわる虫たちや花たちを楽しむことができる。今、あまり寒くなると困るな、とか、雨が降ってくれて助かるなとか、自然現象をはたけを通して肌で感じることができる。もちろん、そんなことを感じることなく、はたけをすることはできるでしょうが、それはもったいなすぎるので、そんなことを感じるヒントを提供したい。
2 芸術家(アーティスト)のこと
音楽や演劇、映画などの芸術作品は、私たちが日ごろ考えてなかったことを考えさせてくれたり、日ごろ引っかかっていたことに意外なヒントや答えをくれたりしてくれます。
そういった作品を生み出す芸術家(アーティスト)は、日常のこまごました仕事や家事に追われている私たちの代わりに、人間とは何か、とか、人と人、人と自然、人と社会の関わりなどを日常的に考えてくれている人たち(もちろんアーティストにも生活はあります)なのだと、私は思っています。
だから、彼らの悩みや葛藤から生まれた作品や言葉に触れると、私たちは、日ごろ漠然と考えていることが掘り起こされたり、そこに光が当たって、感情が動いたりします。そういった作品は、本当に個々別々なので、ある人にとっては琴線に触れるものであっても、他の人にとってはあまり感じるところがなかったり。だからこそ、いろんなジャンルのいろんなアーティストがいてくれるほうがありがたい。
アーティストは、突き詰めて考えたり、感性が豊か過ぎたりして、時に既存の体制の枠をはみ出たり、そこに抗うこともあるので、社会として受け入れることが難しいこともあるかもしれませんが、それが、もしかしたら、多くの人の気持ちを代弁していることもあるように思います。
だからこそ、いろんなアーティストが社会の中にいることは、実は一般に思われている以上に大切なことだと思っています。そして、多くの人が彼らの作品に触れることによって、また、新たな作品が生まれたりするという意味で、多くの人に芸術の楽しさを伝えたいし、そのことによって、アーティストが社会の中で養われていって欲しい、と思っています。だから、作品紹介を、じかに触れて欲しいという意味で、あまり説明しすぎず、紹介したい。
3 市民活動のこと
このところ、社会全体が劣化していることが気になっています。ニューズをにぎわせている不祥事(大臣の、あまりに配慮のない発言や、議論の深まっていない法律を無理やり作ったりなど)はその顕著な例ですが、そのおおもとには、社会が豊かになって、しかも複雑になったため、社会と個人との関わりがわかりにくくなってしまっている、と言うことがあると思います。
特に、生まれたときに既に豊かな世の中になっている若者にとっては、社会とは関係ないし、という雰囲気があるのかもと。
近年注目されている市民活動というのは、名称からして、縁遠いと思っている人が多いかもしれませんが、実は意外と身近なもので、自分の関心や興味があるところから活動することによって、社会との関わりが見えてきたり、思わず社会の課題に行き当たったり、社会との接点を取り戻す効果があるように感じます。
本当は、社会というのは、所与(あらかじめある)のものではなく、その構成員である私たちが、どうとでも作っていけるもののはずです。少なくとも、自分の手の届く範囲でなら。
もちろん、市民活動にもいろいろあって、そんなことを考えなくてもできるし、楽しいからやっているというので基本的にはいいのです。逆に、息苦しいほどの使命感を持ちすぎて、周りの人まで息苦しくしてしまう人もいますが、それは、仕事、プライベートにかかわらず、あることですよね。
自分の関わっているところで、社会はもっと楽しいものにできる。そういう活動を紹介したり、自分が関わっている活動の中で思いついたことがヒントになったりできるといいなと思っています。
4 気になっているけど、このブログで取り組めないこと
そして、気になっているけど、なかなか取り組めないこと。それは、社会と個人との関わりが希薄になっているので、地道に複雑な社会の下支えしている人に対する敬意の気持ちが希薄になってきていると感じること。そして、それに伴って、そういう人たちに不満がたまってきているのではないかと感じられること。
派手なことはみんなに注目されて賞賛もされますが、社会を支えるための地味で地道だけど必要な仕事が、社会全体としてどんどん非正規社員など低賃金の人たちに回されているように感じられます。
これは、自分が直接変えることができないので、なかなか難しいというか、何かしたとしても、ブログという媒体には乗せることのできる情報がないのかな、という感じがします。
とりあえずは、個人的には、身近にいる人と話をして、実際のところを聞いてみて、解決の糸口がないかを探していくくらいなのですよね。
そして、社会を下支えする仕事の重要性に、道徳的な、ねばならない的な方向でなく、実感を伴って多くの人が気づけるようなようなことが考えられないか。
これは、なんだか、雲をつかむような話なのですが、とても気になっているのです。実際に動いてみて、ブログに書けるようなことがあれば書いてみたいと思っています。
5 そうは言っても
そうは言っても、私自身は、これまでも何度か書いているとおり、1年単位の長期で気分の浮き沈みがあり、今は調子がいいので、ブログを(今はタイトルの“ジャーナル”という名の通り日々)書いたりしていますが、そのうちあまり活動することなく、よく寝る生活になって、ブログもまったく書かなくなるので、あてにはならないのです。
書かなくなっても、時々は遊びに来てください。たまには書くでしょうし、思い出したころにまた書き始めると思いますので。
追記:ブログという形態が、情報発信として適切なのか、というもの気にはなるのです。先日若者と話しているとき、今SNSというと、インスタグラム、ツイッター、フェイスブックで、ブログというと過去の遺物的な言い方をしていましたので。ただ、今のところ、私にとっては、一番しっくりくるので仕方ないです。
そして、もちろん、書くまでもないのですが、ブログに書いていることは、私の日々考えていることや生活のごく一部ではあります(書くか書かないか迷って書かないこともありますし)。
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長文になりそうなので、余裕があるときに読んでください。
とりあえず、私がどういう記事を書きたいかというのは、左側のカテゴリーアーカイブの「01カテゴリー解説」に書いてあります(そこに理由も若干は書いています)。
そういった記事を書いているうちに、自分が何故ブログを書いているのか、というのがだんだん明確になってきたように思います。
1 はたけのこと
休耕田が増えている昨今では、個人ではたけをすることのハードルは低くなってきています(実際私も、土地持ちではないので休耕田を借りてはたけをしています)。社会全体としては、農産品と言うのは大規模化、工場化が進んできて、ベースの食料はますますそういう形で供給されていくのでしょう。
一方で、自分の手の届く範囲でのはたけの楽しさは、そういった社会の流れとは別にあります。というか、むしろ、手放すべきではない楽しみだと、実際にやっていて思うので、その楽しさを伝えたい。趣味で行うのであれば、多少手間がかかったり、失敗があるにしても、大規模な農業のまねをして農薬や化学肥料を使う必要はなく、安全・安心なものを手にすることができます。
そして、何より、タネから芽が出て成長して、実が出来るという生命のはじめから終わりまでを数ヶ月で体験できる。そこにかかわる虫たちや花たちを楽しむことができる。今、あまり寒くなると困るな、とか、雨が降ってくれて助かるなとか、自然現象をはたけを通して肌で感じることができる。もちろん、そんなことを感じることなく、はたけをすることはできるでしょうが、それはもったいなすぎるので、そんなことを感じるヒントを提供したい。
2 芸術家(アーティスト)のこと
音楽や演劇、映画などの芸術作品は、私たちが日ごろ考えてなかったことを考えさせてくれたり、日ごろ引っかかっていたことに意外なヒントや答えをくれたりしてくれます。
そういった作品を生み出す芸術家(アーティスト)は、日常のこまごました仕事や家事に追われている私たちの代わりに、人間とは何か、とか、人と人、人と自然、人と社会の関わりなどを日常的に考えてくれている人たち(もちろんアーティストにも生活はあります)なのだと、私は思っています。
だから、彼らの悩みや葛藤から生まれた作品や言葉に触れると、私たちは、日ごろ漠然と考えていることが掘り起こされたり、そこに光が当たって、感情が動いたりします。そういった作品は、本当に個々別々なので、ある人にとっては琴線に触れるものであっても、他の人にとってはあまり感じるところがなかったり。だからこそ、いろんなジャンルのいろんなアーティストがいてくれるほうがありがたい。
アーティストは、突き詰めて考えたり、感性が豊か過ぎたりして、時に既存の体制の枠をはみ出たり、そこに抗うこともあるので、社会として受け入れることが難しいこともあるかもしれませんが、それが、もしかしたら、多くの人の気持ちを代弁していることもあるように思います。
だからこそ、いろんなアーティストが社会の中にいることは、実は一般に思われている以上に大切なことだと思っています。そして、多くの人が彼らの作品に触れることによって、また、新たな作品が生まれたりするという意味で、多くの人に芸術の楽しさを伝えたいし、そのことによって、アーティストが社会の中で養われていって欲しい、と思っています。だから、作品紹介を、じかに触れて欲しいという意味で、あまり説明しすぎず、紹介したい。
3 市民活動のこと
このところ、社会全体が劣化していることが気になっています。ニューズをにぎわせている不祥事(大臣の、あまりに配慮のない発言や、議論の深まっていない法律を無理やり作ったりなど)はその顕著な例ですが、そのおおもとには、社会が豊かになって、しかも複雑になったため、社会と個人との関わりがわかりにくくなってしまっている、と言うことがあると思います。
特に、生まれたときに既に豊かな世の中になっている若者にとっては、社会とは関係ないし、という雰囲気があるのかもと。
近年注目されている市民活動というのは、名称からして、縁遠いと思っている人が多いかもしれませんが、実は意外と身近なもので、自分の関心や興味があるところから活動することによって、社会との関わりが見えてきたり、思わず社会の課題に行き当たったり、社会との接点を取り戻す効果があるように感じます。
本当は、社会というのは、所与(あらかじめある)のものではなく、その構成員である私たちが、どうとでも作っていけるもののはずです。少なくとも、自分の手の届く範囲でなら。
もちろん、市民活動にもいろいろあって、そんなことを考えなくてもできるし、楽しいからやっているというので基本的にはいいのです。逆に、息苦しいほどの使命感を持ちすぎて、周りの人まで息苦しくしてしまう人もいますが、それは、仕事、プライベートにかかわらず、あることですよね。
自分の関わっているところで、社会はもっと楽しいものにできる。そういう活動を紹介したり、自分が関わっている活動の中で思いついたことがヒントになったりできるといいなと思っています。
4 気になっているけど、このブログで取り組めないこと
そして、気になっているけど、なかなか取り組めないこと。それは、社会と個人との関わりが希薄になっているので、地道に複雑な社会の下支えしている人に対する敬意の気持ちが希薄になってきていると感じること。そして、それに伴って、そういう人たちに不満がたまってきているのではないかと感じられること。
派手なことはみんなに注目されて賞賛もされますが、社会を支えるための地味で地道だけど必要な仕事が、社会全体としてどんどん非正規社員など低賃金の人たちに回されているように感じられます。
これは、自分が直接変えることができないので、なかなか難しいというか、何かしたとしても、ブログという媒体には乗せることのできる情報がないのかな、という感じがします。
とりあえずは、個人的には、身近にいる人と話をして、実際のところを聞いてみて、解決の糸口がないかを探していくくらいなのですよね。
そして、社会を下支えする仕事の重要性に、道徳的な、ねばならない的な方向でなく、実感を伴って多くの人が気づけるようなようなことが考えられないか。
これは、なんだか、雲をつかむような話なのですが、とても気になっているのです。実際に動いてみて、ブログに書けるようなことがあれば書いてみたいと思っています。
5 そうは言っても
そうは言っても、私自身は、これまでも何度か書いているとおり、1年単位の長期で気分の浮き沈みがあり、今は調子がいいので、ブログを(今はタイトルの“ジャーナル”という名の通り日々)書いたりしていますが、そのうちあまり活動することなく、よく寝る生活になって、ブログもまったく書かなくなるので、あてにはならないのです。
書かなくなっても、時々は遊びに来てください。たまには書くでしょうし、思い出したころにまた書き始めると思いますので。
追記:ブログという形態が、情報発信として適切なのか、というもの気にはなるのです。先日若者と話しているとき、今SNSというと、インスタグラム、ツイッター、フェイスブックで、ブログというと過去の遺物的な言い方をしていましたので。ただ、今のところ、私にとっては、一番しっくりくるので仕方ないです。
そして、もちろん、書くまでもないのですが、ブログに書いていることは、私の日々考えていることや生活のごく一部ではあります(書くか書かないか迷って書かないこともありますし)。
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