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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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人肌発芽WS&タネの交換会250308直前告知

[2025年03月07日(Fri)]
すでにお知らせしていますが、お繕いWSに合わせて開催させてもらうことになった人肌発芽WS。

ぎりぎりながら、レジュメなどの準備もだいぶ整ってきました。

250308人肌発芽WSレジュメ等.JPG

人肌発芽とは何かにはじまって、その効用や具体的なやり方のコツ、発芽やタネにまつわる話など、まとまった話と、人肌発芽の実践に至るまでの実際(ミニトマトのタネ、キッチンペーパー、シール付き袋、タネ用袋のパターン(余裕があればその場で縫って完成させることもできます)、発芽した後のタネ蒔き用土、育苗ポット付き)に加えて、タネの交換会や、はたけについてのお互いの思いなどをシェアする時間なども取ろうと思っています。

春に向かって、何かを始めるいい機会だと思います、ぜひ(要事前申し込み)。

25030708お繕いWS&人肌発芽WS.JPG

午後からのお繕いWSは、最初繕うものを思いつかなかったのですが、そういえば、焚き火遊びで使うシャツが火の粉で穴が開いているので、それを修繕するために参加しようかなと思っています。


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地家室の石風呂に入ってみた250225

[2025年03月03日(Mon)]
岩国にもあったことを聞いたことがあるので、少なくとも瀬戸内海にはかつてたくさんあったのではないかと思われる石風呂。

山の中腹などに石で囲ったドーム状の穴倉を作り、利用するときは、まず穴の真ん中で火を焚き、周りの石が十分熱せられたら炭を出し、床面に海からとってきた海藻を敷き詰めてその上に筵(ムシロ)を敷いて中に入るという蒸し風呂です(中に敷き詰めるものなどは薬効のためでしょうからバリエーションがあったりするのでしょう)。

250225地家室の石風呂01.JPG

250225地家室の石風呂05.JPG

250225地家室の石風呂02.JPG

周防大島の地家室でも江戸時代に作られ、十年くらい前までは利用されていたようですが、しばらく使われていなかったものを、再び使うようになって2回目ということで、知り合いがかかわっているので体験させてもらうことに。

私自身は石風呂は初体験。座った状態で5、6人は入れるくらいのスペースに入って、入り口は蓋をするので結構暗く、ほのかに海藻の香りが漂う中にじっとしていると、じんわり汗が出てきます。最近親子でいろんな場所の石風呂に入りに行っているという地元の人や、移住者、知り合いなどと軽く話していたら20分くらいは入っていたのかな。

外の冷たい風に当たると、とても爽快で、意外と汗はべとつかずにすぐに乾いてくれました。

250225地家室の石風呂03.JPG

まかないの猪汁や差し入れのおにぎりをいただいて、すこしくつろいでから帰途につきました。

250225地家室の石風呂04.JPG

なかなかのリフレッシュ体験です。

お世話をする人は大変でしょうけど、続いていくといいですね。


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大地の再生講座に参加してきた240314

[2024年03月19日(Tue)]
環境再生医 矢野智徳さんが長年の経験で会得した「大地の再生」についての考え方や具体的な実践について伝える「大地の再生講座」が、矢野さんのお弟子さんにあたる大地の再生師によって全国で行われています。

岩国市の黒磯の画家 宏二郎さん夫婦を中心に昨年結成された「じねんの會」(私もメンバーです)で、昨年の見立て講座に続いて、大地の再生講座を3月14・15日の2日間行いました。

私は都合が合わなくて、初日のみ参加。

この講座は、地上と地下の両方の水と空気の流れの滞っている部分を、よく観察して見つけ、基本は移植ゴテとノコ鎌を使って少しの労力で改善することによって、あとは自然自らが再生していくのに任せることを実地で行っていくというものです。

言葉で言うのはある意味簡単なのですが、まずは状態をよく観察するということが案外難しいし、その原因のネックになるところにどれくらい手を入れるかという加減も難しい。

ただ、やりすぎないように変化を加えて、状況の変化を観察し続けて、修正しながら継続的にかかわっていくというところが重要なようで、時には重機を使った大規模な工事をすることもあるようですが、素人でもできる範囲のことがたくさんあるということがよくわかります。

240314大地の再生講座03.JPG

ちょっとした排水を作るときに、勝手に溝を作るのではなくて、土の手ごたえを感じながら弱いところを軽く掘ることによって、蛇行しながら無理なく掘れることなども面白い。

そして、日ごろ漠然と風を感じることはあっても、周りの木々や地形、水の流れなどとの関連で、どのように風が流れているかまで感じようとすることはなかなかないのですが、そういう風に考えながら感じるようにすると微妙に感じることができるようになる気がするから不思議です。

とかく、人間は何もせず自然に任せたほうがいいのではないかと、人間を否定してしまいそうになることろを、人間がかかわることによって、自然の再生力を手助けしたり、より豊かな多様な自然環境になっていく可能性があるという考え方は素敵。

新しい感覚が開かれていくような、自然との一体感(というと若干大げさですが)を感じられるような講座なのかな。

翌日は、宏二郎さんの両親の住む築100年越えの古民家 宏樹庵のメインテナンスと、新しく組木と土壁で作られたアトリエ 幸明館の施工をした大工さんが参加して、大工さんとしての視点なども講座の中で話してくれたらしく、聴きたかったなあと思いました。

今後も開催していくようになると思いますので、次の機会に是非。

おまけ

おいしかった月城丸のお弁当と、

240314大地の再生講座01.JPG

最後のシェア会の時に出てきた宏二郎さんが焼いたクッキー。

240314大地の再生講座04.JPG

共に美味しくいただきました。


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ついにコロナにり患しました

[2023年08月09日(Wed)]
数日ぶりの投稿になります。

1年ぶりに遠出をした外出先のホテルでうつったようです。

外出から帰った夜から発熱して39度を超えて、これは可能性が高そうだと、休日なので抗原検査キットを買ってもらい調べてみたら、少し薄めながら陽性のラインがはっきり。

2308抗原検査キット.JPG

以来、自宅で療養しています(痛風のかかりつけ医にも一応相談しました)。

ようやく若干体調が戻ってきて、パソコンに向かう気になってきました。

万人におススメするわけではないのですが、私は、カゼやインフルエンザは体調調整の一環だと思っているので、薬で熱を下げたりすることは、子どもの時以外はしたことがありません(体力が落ちてきたり、影響のありそうな基礎疾患を持つようになったらまた考えます)。

そういえば、コロナがはやり始めての3年間くらいは、気を付けていたこともあってか、カゼをひいてません(通常でも年1、2回あるかないかですが)。

今回もなんの薬も飲まず、ひたすら寝る作戦で過ごしましたが、体感としてはインフルエンザと同じような症状です。38度から39度が1日以上続いて、それから徐々に体温が下がってきます。39度はさすがにしんどいですが、身体が頑張って調整しているのに、薬で無理やり体温を下げて水を差すようなことはしたくないという感じです。

のどの若干の痛みと、味覚・嗅覚障害、咳が若干あり、咳をしたとき頭にひびく。全身の倦怠感。

最初の2日くらいは、ほぼ寝るかトイレに行くかだけなのですが、それが続くとさすがに腰が痛くなってくるので、何とか座ったり立ったりして過ごしています。

インフルエンザになったときは、よく個人的にインフルエンザダイエットなどと言っています。食欲がないときはあまり無理して食べないほうが体が病気に集中できて経過が順調な気がするからですが、今回もコロナダイエットに成功して数キロ減量して身軽になっています(水分はこまめに十分とるようにしています)。

そういえば、嗅覚がいまだに戻らないので、においのない世界になっています。少しずつ食べ始めた食事の味に若干違和感があって寂しいですが、そのうち復活するでしょう。

この間、書きそびれた記事もあるので、徐々にアップしていきます。


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『皮膚の秘密』に書いてあった「石鹸を使わない」を実践してみた

[2021年06月02日(Wed)]
最近紹介したドイツの皮膚科医の書いた『皮膚の秘密』という本の中に、皮膚は大昔から変わっていなくて、自らを健康に保つ仕組みを持っているのだから、体を清潔に保つために石鹸はあまり使う必要はない。というより、せっかくのバリアを洗い流して皮膚を弱くしてしまって、保湿クリームを塗ったりするのは本末転倒。体の汚れは基本的に水溶性なので、お湯で流すだけで充分という意味のことが書いてありました。

そういうことについては、他の皮膚に関する本にも書いてあったし、知り合いで石鹸を使わない人も知っていたので、自分でも石鹸の使用は控えめにしているつもりだったのですが、あらためて書かれていたので、思い切って、まったく石鹸を使わないということを10日以上(正確には記録していない)行ってみました(今時なのと、はたけ仕事もするので、手指だけは石鹸や消毒用アルコールは使います)。

お風呂にも毎日入る必要はないと書いてあったのですが、さすがに毎日入ったものの、石鹸は一切使わなかったのです。

その代わりに、丁寧めにお湯で流す。

一番気になるのは、やはり、顔と頭です。いくら汚れは水溶性だといわれても、皮脂は油なので特に顔と頭の脂分というのはお湯では落ちませんので、若干のヌルヌル感が残ります。

しかし、ていねいにお湯で洗い流して、風呂から出てタオルで拭けばそれほど気にならないし、だんだん皮脂がたまってきてどうしようもなくなるということはありませんでした。

そして、体臭が気になるのではという心配も、悪臭を出すような悪い菌は、皮膚常在菌が健康なバランスを保っていればやっつけられてしまうので大丈夫という言葉通り、石鹸で丁寧に洗う時よりもむしろ気にならないくらいなのです。

まあ、たまには石鹸を使って(特に顔と頭は)さっぱりするのもいいかな、というのが実感です。

実際にやってみるものですね。


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オンテナがようやくやってきた190903

[2019年09月04日(Wed)]
主に聴覚障害者向けに、音を振動として感じてもらうために作られた、髪の毛や襟につけてもらうコミュニケーションデバイス「オンテナ」(音とアンテナをあわせた造語でしょう)。

私自身は、聴覚健聴者なのですが、数年前から、オンテナを開発していることを知り、注目していたところ、やっと製品化されることになり、8月にはインターネット上で注文サイトができましたので、早速注文して、ようやく現物が届きました。

190903オンテナ01.JPG

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190903オンテナ03.JPG

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音を感じて、その大きさに応じて強弱をつけて光るようになっており、光は消すモードも選べます(写真では光がわかりにくいですが、結構はっきりわかります)。

190904オンテナ.JPG

また、音の大きさに合わせて強弱をつけた振動をするようにできていて、音の感度も、80デシベルから90デシベルまでと、より敏感に60デシベルから90デシベルまで感じる2つのモードがあります。

早速試してみました。私の場合、丸坊主にしているので、襟に装着することになります。

街を歩いていると、私の好きな鳥のさえずりにはさすがに反応はしません。自動車が近づいてくると、振動が続くのでより迫力をもって自動車を感じることができます(私は鳥が好きなので、鳥のさえずりは敏感に感じてしまいます。自分が音の強弱ではなくて、自分の興味で音を聞いていることがわかります)。

面白かったのは、電車通勤をしているので、駅のホームで待っていると、通過電車が通るときは長い間振動が続いたり、電車に乗っていると、振動の強弱が続くのですが、アナウンスや鉄橋を渡るとき、ドアの開閉があるとき、振動が強くなるのです。

音の大きさにしたがって、振動の強弱があるので当たり前なのですが、音の大きさと言うのは日頃あまり細かくは意識していないのが、強調されて感じるが面白いところです。

いろんな場面で使ってみたり、知り合いに紹介したりして楽しみ方を模索してみたいです。まだ、ほんの少ししか使っていませんけど、新しい感覚が芽生えそうです。

オンテナのことについて興味を持った人は、ホームページがありますのでご覧ください(スポーツ観戦のイベントなどで活用することが検討されているようです)。


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『リハビリの夜』

[2018年11月28日(Wed)]
『リハビリの夜』(熊谷晋一郎著、2009年、医学書院)

1811リハビリの夜.JPG

「科学性」「専門性」「主体性」といったことばだけでは語りきれない地点から《ケア》の世界を探る「シリーズ ケアをひらく」(このシリーズの本は30冊以上出ているようで、面白そう。以前読んだ『驚きの介護民俗学』もこのシリーズだったみたい))の中に位置づけられている一冊。大学時代からの友人に薦められて読んでみました。

脳性まひ当事者であり、かつ現役の小児科医である著者が、自分の体験を通じて、どうやって思い通りにならない身体が世界とのつながりを結んでいったのかについて書いてあってとても興味深い。

タイトルは、子どもの頃夏休みに参加させられていたリハビリ合宿での夜のことのようです(本書の中でも象徴的なシーンです)。

以前記事に書いたことがありますが、私は、大学生時代、たまたま近くに住んでいた脳性まひで24時間介護が必要なおじさんの介護に月1、2回ペースで入っていたので脳性まひのことはある程度わかります。

あまり親しみのない人のために一応書いておくと、脳性まひは、脳の損傷が原因で起きる移動や運動の障がいのことだそうですが、どの部分に損傷を受けているかによって障がいの状況は千差万別のようです。

著者は子どもの頃、毎夏休みに健常者の運動モデルにあわせるためのリハビリ合宿に参加させられ、そのときの経験をもとにトレイナーとの関係を次の3つに分類しています。

@互いの動きを《ほどきつつ拾い合う関係》
A運動目標をめぐって《まなざし/まなざされる関係》
B私の体が発する信号を拾わずに介入される《加害/被害関係》

脳性まひの人は、体が緊張しやすく体がこわばっていることが多く、最初にそれをほぐすために無理やり固まっている関節などを伸ばすことがあるそうです。そうすると、最初は筋肉の抵抗が起こるものの、そのうち緊張が緩んできて遂にはゆるゆるになりトレイナーと自分の身体がなじんで、境界がなくなったような官能を伴う瞬間が訪れるとのこと。

しかし、その後は、健常者の動きをモデルにして身体を動かす訓練に移るため、トレイナーとの関係は分離してしまい、《まなざし/まなざされる関係》や《加害/被害関係》に移行してしまうらしい。

著者は、一般的には不自由と思われている脳性まひ者の視点からの他者や他のモノとのつながりを語ってくれているのですが、それほど不自由さを感じさせず、例えば、電動車いすによって得られる、大地までが身体の一部になったかのような感覚などは、いわゆる健常者よりも鮮烈な体験なのかもしれないと感じられます。

私たちは、自分は自由に動くことができると思っていますが、よく考えると、それはそれまでの経験でできることとできないことがわかっているからで、脳性まひの人は、その程度が違うので、そのことについて思い至りやすいのかもしれません。そして、チームでうまく動けているときの一体感というものが、より大きく感じるのかもしれません。

人間は、他の多くの生き物と違って外界に対して不適応な状態で生れ落ちる。しかしこの不適応期間があるからこそ人間は、世界との関係の取り結び方や、動きのレパートリーを多様に分化させることができたのではないか、と言うところも面白い。

「他者とのつながりがほどけ、ていねいに結びなおし、またほどけ、という反復を積み重ねるごとに、関係はより細かく分節化され、深まっていく。それを私は発達と呼びたい。」
いい言葉だと思います。

以前にも書いたことがありますが、身体障がい者の場合、見た目でサポートする側される側というのがわかりやすく、区別してしまいがちなような気がします。けれども、実際には、人と人(や人とモノ)との関係というのは(障がいとかとはかかわらず)一方的なものではなくて、本来的に、相互的なかかわりなのだとあらためて思い至らせてくれる本です。


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「森田真生 数学の演奏会in周防大島 Talk & Walk Live」に行って来た181111

[2018年11月17日(Sat)]
周防大島の小泊にある正覚寺で開催された、若き独立研究者の森田さんによる数学の演奏会。

10月下旬の大島大橋への貨物船衝突事故により、水道が止まっていたり、橋が片側交互通行になっていたりと大変な状況になって、中止になったイベントもあるようですが、島のお店なども徐々に営業を再開しているようです(11月18日からは、橋の補強工事の第一弾が終わって、風による通行止めは減る予定)。

今回のイベントも主催者は開催するかどうか迷いがあったそうです。

当日、私は午前中にいろいろ用事があって、大島大橋の状況を把握せず、少し早めに出たところ、風が強めで朝から通行止めになっていて、足止めをくらってしまいました。前の週の例もあるので、しばらく(1時間半くらい)待っていたら、午後の1時半頃に解除になったので、最初の挨拶には間に合いませんでしたが、森田さんの演奏会が始まるところでなんとか滑り込むことができました(中には、車での島内入りをあきらめて、柳井港から出ている臨時の渡船で大島に渡った人もいたようです)。

私にとって、2回目の数学の演奏会。

森田さんのお話は、とても刺激的で、面白い。ちょっと難しい話も出てくるものの、数学の歴史や数学を研究してきた人のことを糸口に、人工知能など現代的な話題の中にこれからの私たちの生き方を探ろうとしているからこそ発せられる言葉があり、今まで自分で考えてきたことさらに考えるヒントになったり、違った角度からの見方を教えてくれたりするからなのだと思う。

その面白さは、会場の雰囲気も含めて、現場で体験しないとわからないし、多分、参加者によって話の内容も微妙に変わってくるのだろうと思います。

印象に残ったことを、少しだけごく簡単に書いてみます。

現在大きな壁に突当たっていると言われている人工知能。経済学などの世界では失敗しているものの物理学の世界などでは成功をおさめている数学の歴史の中で、数式化できた部分を機械に実行させることで実現した人工知能は、その理念を作った一人とされるアラン・チューリングさんの師匠にあたるヴィドゲンシュタインさんが指摘したとおり、限られた範囲で規則に沿った計算はできても、現実に近づけていくためにはその規則を適用するための規則を延々つくらないといけないという制約を越えることができていない?

1980年代からはじまったと言われる人工生命(今年、世界会議のようなものが東京であったらしい)の研究者の1人であるロドニー・ブルックスさんは、ルンバの開発者として有名で、それまでの全体を把握して動くロボットに代わって、センサーとモーターを使って、身体感覚的なものを持たせ、その場その場で対応できるようなロボットを考えて、すばやい動きを実現しつつある。

Talk & Walk Live とあるとおり、30分ばかりの散歩休憩の後、質疑応答コーナーのようなものがあり、運よく、私の質問も選んでもらえて、やり取りをすることができました(私が関心を持っているグラフについて聞いてみました)。

それはそうと、小学校教育の中に取り入れられようとしている、英語教育やプログラミング教育については、最近私が読む本、聞く人、ことごとく否定的であるのは興味深い。森田さんは、英語教育が、いつの間にか覚えてしまった母語以外の知らない言語を、文法から学ぶこと自体は意味があるが、現在のような第二言語としての英語を学ぶだけだと翻訳機械などの発達と共に不要になる可能性があるし、ロボットを動かす方法として、現在はプログラミングで命令を忠実にこなすように動かしているが、まねをさせて学ばせるような動かし方をするロボットなども出てきていて、プログラミングが将来的に主流になるとは限らないことなどから子どもたちに必要かどうか疑問を呈していました。それよりも、これからは多様な他者とうまくやっていくことを学ぶことのほうが大切なのではと。


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「ヒトはなぜ体毛がほとんどないのか?」という疑問に関して考えていること(中間報告)

[2017年12月15日(Fri)]
「ヒトはなぜ体毛がほとんどないのか?」という疑問は、子どもの頃からの謎でした。それが気になっていたのは、子どもの頃から、動物や植物の図鑑を見るのが好きで、生態系の話などに感銘を受けていて、自然界には不都合と思われることにも何らかの理由があるはずだ、という思いがあったからだと思います。

ただ、その疑問も棚に吊ったままになっていたのですが、2010年代に入ってから、たまたま出会う本によって、皮膚が感じる触覚についてや、皮膚とそこに住んでいる常存菌との関係、感覚と脳の関係などを断片的に知る機会が増え、特に今年(2017年)に入ってからは比較的まとまって本を読むことになったので、徐々に考えがまとまってきました。

まだ、ちゃんと整理できてはいませんし、あくまで説というか、こういう考え方もあるというレベルですが、私的には現段階で一番納得できる理由です。

結論だけ書いてしまうと、

@従来、生物は主に少しずつ(時に大きく)変化する遺伝子によって(遺伝子にある程度しばられながら)、生命維持の様々な機能を代々伝えつつ進化してきたが、ヒトは、生まれた後に急激に発達する脳によって、遺伝子によらない進化の方法を手に入れ、肉体的にも精神的にも(個人的にも社会的にも)大きく進化を遂げることになる。それを効果的に行うために、(それまで多くの生物が外部の情報を取り入れながらも外界に対して閉じる方向で進化して来たのに対して、)外界との直接的なつながりを持つ皮膚を、できるだけ外界にさらす必要があった。

A同時に、他の動物よりもさらに臨機応変にヒト同士で協力・連携しあうことによって、危機を回避したり、よりよい社会を作ることができるようになった社会的動物であるヒトにとって、個々がより親密に直接的コミュニケーションをとる必要があり、そのために体毛が薄くなった(より大きく言うと、Aは@に含まれています)。

ちょっと、分かりにくいかもしれませんが、「ヒトはなぜ体毛がほとんどないのか?」という疑問は、ヒトの本質に関わる問題のような気がしています。

今後とも、追いかけたいテーマです。

そういう考えに至った経緯について大幅に端折ってメモを書いてみましたが、B5判8ページになってしまったので、別途pdfファイルで添付しますので、余裕があれば読んでみてください。


02ヒトはなぜ体毛がほとんどないのか?171215.pdf


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池袋MOTTAINAIてづくり市−耳たぶについてのあやしい仮説−(3年ぶりの江戸行き その8 一応完結)

[2017年02月26日(Sun)]
東京芸術劇場に演劇『足跡姫』を観にいったとき、たまたま、劇場前の公園でてづくりの小物を売る市をやっていたので、少しのぞいて見ました。

確か、何年か前に東京芸術劇場に行ったときもやっていたと思うので調べてみたら、毎月第2土曜日あたりにやっているようです。

残念ながら写真を撮りそびれたので様子を紹介できませんが、まあ、岩国でも行われているてづくり市の少し規模が大きいものと思って間違えはないと思います。やはり、江戸なので、若干クオリティが高いようにも感じました。しかし、こういった分野の横のつながりというのは、多分、私のようなものの想像をはるかに超えていると思われ、地方都市でもそんなに負けているとは思いません。

ステージもちゃんとあって、私が寄ったときはたまたまオーボエのソロ演奏で、なかなか聴かせてくれました。

(まちと田舎の)勝ち負けはどうでもよくて、何より、こういった催しの楽しみは、店主と直接やり取りができるということ。素材のことや、てづくりのこだわり、など、聞いてて楽しい。

それはそうと、

今回見て回って、気づいたのは、もちろん、アクセサリーが多いのですが、中でもピアスやイアリングの種類と量がダントツに多いということ、少し前より、増えているような気がしました。

そこで、ふと、思ったこと。

私自身、30年以上も前の学生の頃、いたずらでイアリングをしてみたことがあり、「何だ、イアリングって、男がしてもかわいいじゃん」と感じ、一時日常的にイアリングをしていたことがありました。以来、耳たぶっていうものはイアリングなどで飾るためにあるものだ、と思っていました(他人に要求するわけでもなく、今では自分でするわけでもないですが)。

それ以上でも以下でもなかったのですが、もしかしたら、大昔のいつかの時点で、イアリングのようなものがはやって、ますますイアリングを付けやすいように、みんなが耳たぶを少しずつ引っ張って、もともとそれほど大きくなかった耳たぶが、遺伝情報に残るほど大きくなってしまったのではないか、という仮説を思いついてしまいました。

耳たぶは、耳のほかの部分と違って、軟骨っぽいものもないし、化石などとしても残りにくいと思われるので、検証するのが難しいかもしれません。

でも、もしかしたら、耳飾の遺物が多く出る年代や、地域などがあって、調査している人がいたりして。

インターネットで調べたりすると、耳たぶがあることによって、集音効果があるとか、耳たぶ自体が音の振動を感じ取るんだとかいったもっともらしいことが書いてあったりするのですが、本当に効果があるのか疑わしいような気がします。

まあ一応上に書いたような効果があるとしても、以前このブログで書いたことがありますが、顔というのは、人間どおしのコミュニケーションにとってとりわけ関心の高い部分であり、そこを飾るために自分たちで徐々にその形態を変えてしまった、というほうが楽しくないですか。

もちろん、それが本当だなんて主張するつもりはありません。

でも、何かそれにまつわる情報があるとうれしいなあ。というか、これも、心の中の棚に釣っておいて、何かが引っかかってくることを待つとしよう。

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