現場を持つこと
前の記事の「現場」ということについて。
これは、例えば、マーケティングの話の中で、顧客をできるだけ具体的な形でイメージできることが大切で、それがちゃんとできていれば、大きく誤ることはない、と言われたりします。
要は、生身の人間と関わる現場を、できれば複数持つことが大切なんだと思うのです。
私の場合は、仮説実験授業研究会の全国大会や、日常的にはその地元でのサークル(月1回の集まり)、地域の子どもと地域を楽しむ行事、地域の異業種交流会(これは、興味のあるテーマで参加できるときに時々)、子ども劇場、そして、職場(比較的人の出入りのある職場なので)。
その現場で、私が気をつけているのは、自分で気づいたことについては、ちょっとしたことでもできるだけ提案という形で話すということ。ちょっと苦言になると思えるようなことでも、言っても大丈夫そうな相手(ある程度人間関係ができているという意味)には言うようにしています。そうすると、直接仕事とは関係ないことで、相談を受けたりすることもありますが、それによって、私も気づけたり、意外なことを知れたりするので、結局仕事に関係してきて、大切だと思えます。
それと、もう一つ。自然との関わり(自然との現場)という意味での「はたけ」。これが、案外私にとっては大切です。自然という複雑なシステムと接すると、日々いろいろと違った発見があって楽しいし、五感を日常的に刺激されるので、生きているという実感を持ちやすいような気がします(ちょっと大げさ)。
これは、例えば、マーケティングの話の中で、顧客をできるだけ具体的な形でイメージできることが大切で、それがちゃんとできていれば、大きく誤ることはない、と言われたりします。
要は、生身の人間と関わる現場を、できれば複数持つことが大切なんだと思うのです。
私の場合は、仮説実験授業研究会の全国大会や、日常的にはその地元でのサークル(月1回の集まり)、地域の子どもと地域を楽しむ行事、地域の異業種交流会(これは、興味のあるテーマで参加できるときに時々)、子ども劇場、そして、職場(比較的人の出入りのある職場なので)。
その現場で、私が気をつけているのは、自分で気づいたことについては、ちょっとしたことでもできるだけ提案という形で話すということ。ちょっと苦言になると思えるようなことでも、言っても大丈夫そうな相手(ある程度人間関係ができているという意味)には言うようにしています。そうすると、直接仕事とは関係ないことで、相談を受けたりすることもありますが、それによって、私も気づけたり、意外なことを知れたりするので、結局仕事に関係してきて、大切だと思えます。
それと、もう一つ。自然との関わり(自然との現場)という意味での「はたけ」。これが、案外私にとっては大切です。自然という複雑なシステムと接すると、日々いろいろと違った発見があって楽しいし、五感を日常的に刺激されるので、生きているという実感を持ちやすいような気がします(ちょっと大げさ)。