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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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フェイスブックやツイッターが人間疎外を生む理由

[2012年05月09日(Wed)]
フェイスブックやツイッターには、基本的には便利だけど、極日常的な情報、が流されています。これは、実はインターネット全体(もしかしたら、もっと広く人間社会全体?)に特徴的なことで、インターネットの特徴を抽出し(というか、単純に多数派を集め)たらフェイスブックやツイッターになると言ってもいいのかもしれません。

フェイスブックやツイッターには、「人間の思考や行動の一番表面的な部分」が表現されている、と言い換えてもいいのかな?(重要性ではなくて、私たちに頻繁に起こることの寄せ集め?)

だから、ツイッターには、生理的欲求(食べることや痛かったこと、不安に思っていることなど)や今どこにいて何をしている。という情報が大多数を占めています。

緊急時には、ツイッターに流れた情報を見ることによって助かる可能性が大きくなったりして、役に立つのも確かです。もっとも緊急性を要する場所にいる人がいて、それを報告する人がいるからです。

緊急時に限らず、うまく検索することによって、有用な情報は得ることができるかもしれません。インターネットは、いまや断片知識の宝庫ですから。

しかし、その事実をもって、フェイスブックやツイッターが人と人をつなぐ役割を持っているとか、きずなが強まったというのは短絡的に過ぎるというか、違う、と思います。

私は、インターネットは、あくまでリアルな世界の補助手段だと思っていて、それ以上の役割はない、といっても過言ではないと思います(インターネットから、直接的に何かが生まれることはない)。

緊急時の危機管理の問題で言えば、例えば、地下街にいたときに巨大地震が起きて多くの人がパニックになったとして、その状況を少しでも良くする(助かる人が増える)一番理想的な方法は、ツイッターやフェイスブックを誰もが見えるようにすることではなくて、その地下街をよく知っている人でなおかつその周りの人がどういう行動をすればいいかを判断できて大声を出すか、近くにいる大声を出せる人に指示できる人が、その人が声をかけれる範囲ごとに分散しているということになるでしょう。

あえて書けば、緊急時に的確な判断ができる人に、適切に情報が届くようなシステムづくりは大切かもしれませんが、そういう人は、何も情報機器がなくても、何とかして、重要な情報を得ることができるはずだからです。

緊急時に、恐怖に駆られてただの付和雷同型の機械と化している可能性の高い人にとって、判断を迫られる情報がたくさんあっても役には立ちません。そういうときに重要なのは、的確に判断できる人が的確な指示を出して、そのことによって、少しでも自律的に協力し合える人が増えて、社会的な動物である人の特性を生かすことができることなのですから。

そう考えていくと、ただ未整理の膨大な情報が流れるだけのツイッターやフェイスブックは、それによって、それぞれがちゃんと判断しろと暗に言っているだけで、結果として人々の孤立化を益々すすめていることになっているということに気付くべきです。

それは、緊急事態のときに、協力すべき隣同士の人が、それぞれの携帯端末に集中して、次の瞬間に倒れてきたものに押しつぶされてしまうという悲劇的な状況を思い浮かべるだけで十分だと思います。もしかしたら、そこに100人の人がいたとして、誰かがその倒れてくるものにいち早く気付いて、みんなに知らせることができて、100人が協力すればそのものの倒壊を防ぐことができるかもしれないからです。

緊急時には、悲劇的なことは起こりえます。しかし、その悲劇を少しでも和らげることができるのは、生身の人間の直接的な協力しかないし、実際にそうやって人は危機的状況を乗り切ってきたのだと思います。

少しずれてしまいました。

ツイッターやフェイスブックは、動物的(というと動物に失礼かもしれませんが)な連帯感をつなぎとめる役割は果たすかもしれませんが、それにかまけすぎてそういったことに費やす時間が長すぎると(度を過ぎると)、もう少し深いところで人間同士が繋がる可能性を物理的に疎外してしまうのではないか(より人間らしい、人間同士がつながることによって発揮される力を弱めるのではないか)、と思うのです。

最初に書こうとしたことと、別のことになってしまったので、この話題は仕切り直しです。



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