カメラと肉眼の違い(夜の雰囲気を写真に撮る)
3月5日に書いた宏樹庵ディナーコンサートの記事の中で、夜の宏樹庵の庭やアプローチの写真を挑戦して撮ってみたことについて書きました。
そのことについて、少し補足を。
実は、私自身は挑戦してみる気はなかったのですが、ピアニストの石井啓子さんとの次のような会話から、ちょっとやってみようかという気になったのです。
石井さん:(以下:I)「庭の竹のオブジェは見ました?」
村夏:(以下:M)「ええ、まだ明るいときに」
I:「じゃあ今は、灯をつけていると思うから、見てみましょう。雨が降っているからつけてないかな?」
縁側に出て見てみると、きれいに灯りがついていました。竹の筒にろうそくが入れてあり、その上にうまい具合に幅広で長い葉っぱがかざしてあるので、灯が消えないのです。そして、雨が降っているおかげで、庭の土の表面に水があり、灯を反射してより幻想的な雰囲気を醸し出しています。
I:「これを写真に撮れないかしら?」
M:「もう大分あたりが暗くなっているから無理だと思います。カメラではこの雰囲気は出せないと」
I:「人間の目って不思議よね。カメラとは違うのよね」
M:「そうなんですよ。この暗さだと、周りが真っ暗で、その中に灯りがちらほらあるだけになって雰囲気がまったくわからないと思います。でも、一応撮ってみましょうか?あっ、三脚も持ってきていないし、レンズも3つ(しかも単焦点)しか持ってきていないしなあ」
そうなんです。カメラがすることはレンズを通して入ってきた光の明るさを忠実にセンサーで受け止めるだけです。一方人間の網膜にも多分同じような像が写るのですが、それを感じ取る脳は、その映像に周りの状況をかぶせて想像力を働かせているし、実際に見ているときには常に目を動かしていて、集中して見ている部分を絶えず変えているため、暗い部分は暗い部分だけで見ることがあり、暗さに合わせて見るのでその時にはある程度見えているということがあって、その場の全体の雰囲気をとらえているのです。
結局は、持ってきていたカメラ(オリンパスPEN E-PL1)の最大限の増感感度であるISO3200にして、雨の中、傘をさして、暗いために合わせにくいピントを手動で調整しながら、手持ちで、(ズームレンズでない)短焦点レンズのために画面に入る範囲を歩き回って決めながら、さらに全体の明るさを調整するために露出補正を何種類か試し、撮ったものがあの写真となったのです。まだ、完全にあたりが暗くなっていなかったため、少しは雰囲気が出たように思います。
ちなみに、より広い範囲の夜景を撮ろうと思うと、もう、夕暮れ時を狙うしかありません(肉眼で見るときには、夜でありさえすればいいのですが)。20年近く前に岩国の錦帯橋付近の夜景を撮って作った絵葉書があるので、それを複写してみます。

これって、結構肉眼で見た夜景のイメージに少しは近いと思いますが、実際には、2月のよく空気の澄んだ晴れた日に、日没の時間を調べてロープウエー広場まで上がり、日没からだんだん夕暮れていく状況を見ながら、三脚を据えて画面の位置を決め、実際には日没から20〜30分後に、30秒から1分シャッターを開けっ放し(バルブと言います)にして何枚か撮影したものです。当時はフィルムカメラですから、結果は現像が上がってくるまでわかりませんでしたが、何とか1回の撮影(撮った枚数は30枚程度でしょうか)で成功しました。
周りの明るさと、家や外灯などの明るさのバランスが良い時間帯というのが難しいだけでなくて、より広い範囲を撮影する場合には、湿度が多くなく、空気が澄んでいるという条件が合わないといけないので、シャッターチャンスは年間を通じてもそんなに多くないのです。
おまけに書くと、新しく発表されたオリンパスの一眼カメラOM-D E-5は、こういう長時間露光の写真を撮るとき、どういう露光状況かをリアルタイムで液晶ファインダーや液晶ビューファインダーで確認することができる(結果としてどういう写真になるのかをリアルタイムで確認できる)ので、露光がよくなった段階でシャッターを下ろすことができると言う、フィルムカメラ時代からすると、驚きの機能を持っています。
(個人との会話を名前入りで掲載しているので、事前に記事を読んでもらって了承をいただいています)
そのことについて、少し補足を。
実は、私自身は挑戦してみる気はなかったのですが、ピアニストの石井啓子さんとの次のような会話から、ちょっとやってみようかという気になったのです。
石井さん:(以下:I)「庭の竹のオブジェは見ました?」
村夏:(以下:M)「ええ、まだ明るいときに」
I:「じゃあ今は、灯をつけていると思うから、見てみましょう。雨が降っているからつけてないかな?」
縁側に出て見てみると、きれいに灯りがついていました。竹の筒にろうそくが入れてあり、その上にうまい具合に幅広で長い葉っぱがかざしてあるので、灯が消えないのです。そして、雨が降っているおかげで、庭の土の表面に水があり、灯を反射してより幻想的な雰囲気を醸し出しています。
I:「これを写真に撮れないかしら?」
M:「もう大分あたりが暗くなっているから無理だと思います。カメラではこの雰囲気は出せないと」
I:「人間の目って不思議よね。カメラとは違うのよね」
M:「そうなんですよ。この暗さだと、周りが真っ暗で、その中に灯りがちらほらあるだけになって雰囲気がまったくわからないと思います。でも、一応撮ってみましょうか?あっ、三脚も持ってきていないし、レンズも3つ(しかも単焦点)しか持ってきていないしなあ」
そうなんです。カメラがすることはレンズを通して入ってきた光の明るさを忠実にセンサーで受け止めるだけです。一方人間の網膜にも多分同じような像が写るのですが、それを感じ取る脳は、その映像に周りの状況をかぶせて想像力を働かせているし、実際に見ているときには常に目を動かしていて、集中して見ている部分を絶えず変えているため、暗い部分は暗い部分だけで見ることがあり、暗さに合わせて見るのでその時にはある程度見えているということがあって、その場の全体の雰囲気をとらえているのです。
結局は、持ってきていたカメラ(オリンパスPEN E-PL1)の最大限の増感感度であるISO3200にして、雨の中、傘をさして、暗いために合わせにくいピントを手動で調整しながら、手持ちで、(ズームレンズでない)短焦点レンズのために画面に入る範囲を歩き回って決めながら、さらに全体の明るさを調整するために露出補正を何種類か試し、撮ったものがあの写真となったのです。まだ、完全にあたりが暗くなっていなかったため、少しは雰囲気が出たように思います。
ちなみに、より広い範囲の夜景を撮ろうと思うと、もう、夕暮れ時を狙うしかありません(肉眼で見るときには、夜でありさえすればいいのですが)。20年近く前に岩国の錦帯橋付近の夜景を撮って作った絵葉書があるので、それを複写してみます。
これって、結構肉眼で見た夜景のイメージに少しは近いと思いますが、実際には、2月のよく空気の澄んだ晴れた日に、日没の時間を調べてロープウエー広場まで上がり、日没からだんだん夕暮れていく状況を見ながら、三脚を据えて画面の位置を決め、実際には日没から20〜30分後に、30秒から1分シャッターを開けっ放し(バルブと言います)にして何枚か撮影したものです。当時はフィルムカメラですから、結果は現像が上がってくるまでわかりませんでしたが、何とか1回の撮影(撮った枚数は30枚程度でしょうか)で成功しました。
周りの明るさと、家や外灯などの明るさのバランスが良い時間帯というのが難しいだけでなくて、より広い範囲を撮影する場合には、湿度が多くなく、空気が澄んでいるという条件が合わないといけないので、シャッターチャンスは年間を通じてもそんなに多くないのです。
おまけに書くと、新しく発表されたオリンパスの一眼カメラOM-D E-5は、こういう長時間露光の写真を撮るとき、どういう露光状況かをリアルタイムで液晶ファインダーや液晶ビューファインダーで確認することができる(結果としてどういう写真になるのかをリアルタイムで確認できる)ので、露光がよくなった段階でシャッターを下ろすことができると言う、フィルムカメラ時代からすると、驚きの機能を持っています。
(個人との会話を名前入りで掲載しているので、事前に記事を読んでもらって了承をいただいています)
