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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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ファインダーを覗くという体験

[2012年03月01日(Thu)]
120223finder.JPG

今ではカメラは、背面についた液晶画面を見ながら撮るというのが普通になってしまって、ファインダー好きな私などは時代遅れになった感があります。

そこをあえて書かせてもらいます。

背面液晶画面を見るのと、ファインダーを覗くのは根本的に違うのです。
(老眼で液晶が見えないだけでは?と言わないでください。でも実際、後が壁などで引きのない場面で背面の液晶面から顔を離せない場合は液晶にピントを合わせることができません。トホホ)

極簡単に行ってしまうと、立体視と平面視の違いと言えます。

背面液晶画面を見る場合には両目(両目が見える場合ですが)で目の前の風景を立体的に見ていてその一部分に平面の液晶画面があるわけで、なんとなく邪魔なものが目に入ってしまう状態になります(ファインダーを覗く場合でも、周りの様子を確認するために両眼を使ったりはしますが)。

一方、ファインダーの場合、片目で見るので当然平面視になり、しかも結果としてフィルムに写る(センサーを通してメモリーに記録される)のと同じ画面だけを覗くことができるわけで、簡単に言えば長方形の平面をいかに濃淡で構成するかという写真というものに集中できるのです。

副産物として、目と鼻をカメラにくっつけることになるため、右手でグリップを、左手でレンズを持つことを加えると4点でカメラを支えることになり、安定します。

繰り返しになりますが、写真と言うのは、結局、世界の一部分を長方形の平面で切り取り、濃淡で表現するもので、ファインダーを覗くとそれが切り取られてそこにあるわけです。ペンタプリズムと鏡を使って、フィルムに写る予定の光の束の進路を変えて覗けるようにしたファインダーを考案した人には本当に感心してしまいます。

しかし、一眼レフの場合、光の束の進路を鏡で変更しているために、シャッターを切るときに一瞬鏡を跳ね上げて、フィルム面に光の束が行くようにしないといけないので、実際に写った像を確認することができない(とか、シャッター音がうるさい、振動がぶれの原因になる)という弱点がありました。

ディジタルカメラになっても、一眼レフタイプのカメラは同じ仕組みなので、同じ弱点を持っています(ごく一部透過する鏡を使って、ファインダーが見え続けるタイプのものもあります)が、ミラーレス一眼の場合は、シャッターを切った瞬間の画像を(解像度や画像追跡の遅れの問題がありながらも)確認できるという特徴を持っています。

思うに、ライカタイプのレンジファインダーのようなものから、いかに進化してしまったか。写った結果そのものを目でリアルタイムに確認しながら写せるような方向になってきているわけです。そのうち液晶ファインダーの解像度や画像追跡度が増して、人間の目の能力を超せば、ほとんどリアルタイムで結果を確認できるようになるわけです。

しかし、ここで一歩踏みとどまって考えてみると、それが本当によいことなのかどうなのかというのは微妙だなあ。

見た目と結果がかけ離れていることが実は大切だったりすることもあるんだよなあ。レンジファインダーのカメラなどは、鏡の跳ね返りがない分シャッター音も控えめだし、ファインダーが左端にあって、両目をあけて、フレーミングよりも写すものと向き合いながら撮れるという利点があり、さらに、フィルムカメラだと、結果が出るまで時間がかかるため、ああいう風に撮ったつもりだったけど、どうだったかなあとか、もっとああすればよかったのかなあとか、そのときを思い起こしていろいろ想像するのが楽しかったりするし、それによって、考えが深まったりする。画像処理とかは、あとになって、よかったのだけピックアップしてやればいいんだし。

写真自体は、さっき書いたとおりなんだけど、写真を撮る行為というのは、被写体とのコミュニケーション(被写体のことを考えたり、しゃべったり)だったりするわけで、カメラに機能が盛り込まれすぎると、機械(カメラ)と写真を撮る人のコミュニケーションに終始してしまいそうな気がしそうでどうなんだろう。

そういう意味で、以前に紹介したローライ35Sは、時々使いたくなるカメラです。

まあ、私はこれまでどおり、その場で写真を見返したりすることなく、被写体(風景、静物、人物、動物など)とのコミュニケーションを大切にしながら写真を撮っていきたいなあと思います。カメラは、そのために余計なことを考えずに撮れる便利な道具であればいいのです。

ここまで書いて、ふと関係あるようで関係ないことが気になりました。最近3D映画というのがありますけど、あれを撮るカメラって両眼ファインダーがついているんでしょうか?

そう言えば昔、両眼(実体顕微鏡(ニコン ネイチャースコープ「ファーブル ミニ」)と言うのがあって倍率は低い(20倍)けど(だから)、防滴防塵で野外の自然観察にぴったりで立体的に見えて面白かったなあというのを思い出しました。



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