川のごみ拾いをしたときに考えたこと
以前にも書いたことですが、2記事前に紹介した川のごみ拾いにしても、冬の焚き火遊びにしても、私は現段階では、できるだけ任意に集まってもらいたいと思っているので、広報は広く、特別に動員せずに行っています。具体的には、地元の小学生全員に学校を通じてチラシを配って周知し、あとは個人的にできる範囲で声をかける程度です。
任意にしたいというのは、日頃住んでいる地域で行う行事というのは、何かと半強制的なものが多いので、少しでも自然な形での地域の人同士の出会いの場でありたいという思いがあるからで、実際、今回の広場でのそうめん流しなどは、小さい子どもから、かなりの年配者までが、のんびりいっしょに楽しむ場となり、なかなかいい機会だと思っています(自画自賛)。
参加人数は、その時々によってまちまちで、数人から3、40人程度の範囲(ちなみに地元の小学校の全校生徒は約350人)。今回は、親も含めた参加者が20人、一緒にごみを拾ったり、食事の準備をしたスタッフが20人程度。合計40人程度の行事となりました。
今回参加した親御さんの中に、日頃、地域でスポーツクラブのようなもののお世話をしている人がいて、その人が言うには、
「クラブの行事として声をかければ、たくさん人が来るだろうけど、今回のようにチラシをまいたのでは、見ていない人も多いだろうし、子どもは参加してみたいと思っても、親がやめときなさいというのだと思う。このごろの若い親の中には、知らない人の中に入っていって自分がどういうふうに対応して良いのかわからない人も多い」
とのこと。
そういうことは、感じてはいるのですが、実際に日常的に親御さんたちと接している人から聞くと、あらためて、人と人とのつながりが薄くなっていることを考えさせられます。そういう人と人とのつながりというのを取り戻すきっかけになればと思って行っている行事でもあるので、もう少し積極的に人集めをするべきなのかなあ、とか、せめて集まってくれた人どうしが、もう少しコミュニケーションを図れるような工夫を、行事の中でしていくべきなのか、などいろいろ考えることはいろいろあります。
参加した人どうしが少しでも知り合いになってもらうために、とりあえず行っていることと言えば、行事の最初に、「自然の中で遊んだりするときは、自己責任で」などといった注意事項を説明した後、ほぼ名前のみですが、自己紹介をしていることくらいです。
任意にしたいというのは、日頃住んでいる地域で行う行事というのは、何かと半強制的なものが多いので、少しでも自然な形での地域の人同士の出会いの場でありたいという思いがあるからで、実際、今回の広場でのそうめん流しなどは、小さい子どもから、かなりの年配者までが、のんびりいっしょに楽しむ場となり、なかなかいい機会だと思っています(自画自賛)。
参加人数は、その時々によってまちまちで、数人から3、40人程度の範囲(ちなみに地元の小学校の全校生徒は約350人)。今回は、親も含めた参加者が20人、一緒にごみを拾ったり、食事の準備をしたスタッフが20人程度。合計40人程度の行事となりました。
今回参加した親御さんの中に、日頃、地域でスポーツクラブのようなもののお世話をしている人がいて、その人が言うには、
「クラブの行事として声をかければ、たくさん人が来るだろうけど、今回のようにチラシをまいたのでは、見ていない人も多いだろうし、子どもは参加してみたいと思っても、親がやめときなさいというのだと思う。このごろの若い親の中には、知らない人の中に入っていって自分がどういうふうに対応して良いのかわからない人も多い」
とのこと。
そういうことは、感じてはいるのですが、実際に日常的に親御さんたちと接している人から聞くと、あらためて、人と人とのつながりが薄くなっていることを考えさせられます。そういう人と人とのつながりというのを取り戻すきっかけになればと思って行っている行事でもあるので、もう少し積極的に人集めをするべきなのかなあ、とか、せめて集まってくれた人どうしが、もう少しコミュニケーションを図れるような工夫を、行事の中でしていくべきなのか、などいろいろ考えることはいろいろあります。
参加した人どうしが少しでも知り合いになってもらうために、とりあえず行っていることと言えば、行事の最初に、「自然の中で遊んだりするときは、自己責任で」などといった注意事項を説明した後、ほぼ名前のみですが、自己紹介をしていることくらいです。
私が気を付けてるのは、スタッフ同志で話すときに、「こういう行事は交流が楽しいのですよね」という意味のことを言うようにしていることでしょうか。ちょっとしたことですが、スタッフが何気にそういう気持ちを持っていて、ウェルカムな雰囲気があると、よりお互いに楽しめるのではないかと思います。
行事の中に、交流しやすくなるようなプログラムを工夫してみるのも必要なのかもしれません。