『私が諸島である カリブ海思想入門』
『私が諸島である カリブ海思想入門』
(中村達著、2023年、書肆侃侃房)
大航海時代?に真っ先に西洋の人々によって壊滅的な被害を受けたといわれている西インド諸島の現在については、私は正直言ってジャマイカのレゲエとかいったごく一部のイメージしかありません。
著者は、英語圏カリブ海文学研究を、西洋の思想家であるハイデガーさんやラカンさんを通じて進めようと考えていましたが、日本で十分指導が受けられないため、ジャマイカにある西インド諸島大学の博士課程へ進学することなり、その西洋とは全く別の独自の世界に踏み込むことになって、日本語では研究が進んでいなくて発表する場のない「カリブ海思想」について書肆侃侃房のweb情報誌のようなものに連載したものをまとめ、加筆して一冊の本にまとめたようです。
支配した西洋の国々によってそれぞれ英語圏、仏語圏、スペイン語圏、オランダ語圏と分けられた島々は、しかし、もともと住んでいた人々は虐殺や伝染病によって壊滅し、主にアフリカから運び込まれた奴隷によってプランテーションが営まれるという共通の背景を持つがゆえに「ひとつの世界」を作り上げていて、それを表現するために新しい言葉(クレオライゼーション、ミサイル文化に対する円環性のあるカプセル文化、弁証法に対するその場で潮が満ちたり引いたりするように思弁する弁潮法、カリビアン・カオス、カリビアン・フェミニズム、カリビアン・クィア・スタディーズなど)を、詩人や思想家の言葉を引用しながら具体的に説き起こしてくれます。
知らず知らずのうちにしみついている西洋的な考え方を、見直させられるような刺激に満ちた本です。
あまり具体的に書きにくいので、印象に残った文章を引用しておきます。
「ブラスウェイトをはじめとするカリブ海思想家たちは、奴隷制、年季奉公制、植民地支配を経験してきたカリブ海という世界では、直線性ではなくて円環性こそが、その時間的・空間的な特殊性を表現できると主張する。ブラスウェイトのミサイル、カプセル、そして弁潮法といったカリブ海思想から私たちが学ぶべきことは、私たちの意識が常に標的を探してはいないか、ミサイル的意識に支配されてはいないかと、自省的に自分たちの思想を何度でも問い直すことの重要性である。私たち他者と遭遇する時、接する時、抱き締める時でさえ、その他者を標的としてはいないだろうか。誰かを蹴落としながらどこかへ到達しようとするのではなく、真理を証明しようとするのでもなく、ただ潮の満ち引きに合わせて海をたゆたいながら、互いに手を取り合えないだろうか。」

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(中村達著、2023年、書肆侃侃房)
大航海時代?に真っ先に西洋の人々によって壊滅的な被害を受けたといわれている西インド諸島の現在については、私は正直言ってジャマイカのレゲエとかいったごく一部のイメージしかありません。
著者は、英語圏カリブ海文学研究を、西洋の思想家であるハイデガーさんやラカンさんを通じて進めようと考えていましたが、日本で十分指導が受けられないため、ジャマイカにある西インド諸島大学の博士課程へ進学することなり、その西洋とは全く別の独自の世界に踏み込むことになって、日本語では研究が進んでいなくて発表する場のない「カリブ海思想」について書肆侃侃房のweb情報誌のようなものに連載したものをまとめ、加筆して一冊の本にまとめたようです。
支配した西洋の国々によってそれぞれ英語圏、仏語圏、スペイン語圏、オランダ語圏と分けられた島々は、しかし、もともと住んでいた人々は虐殺や伝染病によって壊滅し、主にアフリカから運び込まれた奴隷によってプランテーションが営まれるという共通の背景を持つがゆえに「ひとつの世界」を作り上げていて、それを表現するために新しい言葉(クレオライゼーション、ミサイル文化に対する円環性のあるカプセル文化、弁証法に対するその場で潮が満ちたり引いたりするように思弁する弁潮法、カリビアン・カオス、カリビアン・フェミニズム、カリビアン・クィア・スタディーズなど)を、詩人や思想家の言葉を引用しながら具体的に説き起こしてくれます。
知らず知らずのうちにしみついている西洋的な考え方を、見直させられるような刺激に満ちた本です。
あまり具体的に書きにくいので、印象に残った文章を引用しておきます。
「ブラスウェイトをはじめとするカリブ海思想家たちは、奴隷制、年季奉公制、植民地支配を経験してきたカリブ海という世界では、直線性ではなくて円環性こそが、その時間的・空間的な特殊性を表現できると主張する。ブラスウェイトのミサイル、カプセル、そして弁潮法といったカリブ海思想から私たちが学ぶべきことは、私たちの意識が常に標的を探してはいないか、ミサイル的意識に支配されてはいないかと、自省的に自分たちの思想を何度でも問い直すことの重要性である。私たち他者と遭遇する時、接する時、抱き締める時でさえ、その他者を標的としてはいないだろうか。誰かを蹴落としながらどこかへ到達しようとするのではなく、真理を証明しようとするのでもなく、ただ潮の満ち引きに合わせて海をたゆたいながら、互いに手を取り合えないだろうか。」

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