『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』
『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』
(磯野真穂著、2022年、集英社新書)
まどろっこしくも、いとおしくなるような本です。
(大災害などは別にして)日常的には恐ろしいけだものに襲われるとかいった外的なリスクが減ってきている昨今にあって、予防医療という内的なリスクを低減させる可能性のある行為が広く一般に普及してきている。しかし、それは身体的実感を伴わないことも多いため、言葉の言い回しや、有名人もこうなったからというようなより身近に感じられる例を出すことによって、リスクを感じされるように工夫されていて、それは、想像力だけを刺激して、ともすれば過剰な対応になってしまう危険性がある。といった話から始まります。
そしてそれは、1800年代に提唱され、統計学的に導かれた人間像である、どこにもいない「平均人」という考え方をもとに生まれた統計学的人間観に基づいており、具体的には1960年代から急速に広まった、病気を引き起こしうる危険要因を確率論的に見出して、事前に病気になる可能性を下げようという医学のあり方の根本的変化が影響しているのだと。
一方でその人間観は、古代ギリシャに端を発し、ルネサンス期に復活して近代西洋文明に流れている、いわれる他者に影響されず内発的に発想・行動する個人主義的人間観というものとは反するように思われることもあるが、それぞれが自由に活動するからこそ、大きくとらえると統計として取り扱えるとも考えることができるという意味で、表裏一体になっていると指摘したうえで、
第三の人間観として、関係論的人間観を取り上げ、自我と他者の違いだけでなく、「身体」の概念もあいまいで、生者と故人、自分と親族、自分と他の生物との境界があいまいなまま暮らす人々の実例なども紹介しながら、ともすれば、統計的人間観の中の構成要素の一つとして、リスクを少しでも低くするような様々な提案にさらされ続けてしまう危険性を語り、私たち個々の生は、しかし、偶然に根差し、他者とのかかわりの中でのみ育まれていく固有のものであることには変わりなく、それぞれが敬意をもつことの大切さをどう伝えたらいいんだろうと考え続けているんなだということをしみじみ感じさせる。

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(磯野真穂著、2022年、集英社新書)
まどろっこしくも、いとおしくなるような本です。
(大災害などは別にして)日常的には恐ろしいけだものに襲われるとかいった外的なリスクが減ってきている昨今にあって、予防医療という内的なリスクを低減させる可能性のある行為が広く一般に普及してきている。しかし、それは身体的実感を伴わないことも多いため、言葉の言い回しや、有名人もこうなったからというようなより身近に感じられる例を出すことによって、リスクを感じされるように工夫されていて、それは、想像力だけを刺激して、ともすれば過剰な対応になってしまう危険性がある。といった話から始まります。
そしてそれは、1800年代に提唱され、統計学的に導かれた人間像である、どこにもいない「平均人」という考え方をもとに生まれた統計学的人間観に基づいており、具体的には1960年代から急速に広まった、病気を引き起こしうる危険要因を確率論的に見出して、事前に病気になる可能性を下げようという医学のあり方の根本的変化が影響しているのだと。
一方でその人間観は、古代ギリシャに端を発し、ルネサンス期に復活して近代西洋文明に流れている、いわれる他者に影響されず内発的に発想・行動する個人主義的人間観というものとは反するように思われることもあるが、それぞれが自由に活動するからこそ、大きくとらえると統計として取り扱えるとも考えることができるという意味で、表裏一体になっていると指摘したうえで、
第三の人間観として、関係論的人間観を取り上げ、自我と他者の違いだけでなく、「身体」の概念もあいまいで、生者と故人、自分と親族、自分と他の生物との境界があいまいなまま暮らす人々の実例なども紹介しながら、ともすれば、統計的人間観の中の構成要素の一つとして、リスクを少しでも低くするような様々な提案にさらされ続けてしまう危険性を語り、私たち個々の生は、しかし、偶然に根差し、他者とのかかわりの中でのみ育まれていく固有のものであることには変わりなく、それぞれが敬意をもつことの大切さをどう伝えたらいいんだろうと考え続けているんなだということをしみじみ感じさせる。

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