『なぜ 人に会うのはつらいのか メンタルをすり減らさない38のヒント』
『なぜ 人に会うのはつらいのか メンタルをすり減らさない38のヒント』
(斎藤環・佐藤優著、2022年、中公新書ラクレ)
かたや「ひきこもり」の治療・支援・啓発などを行う精神科医、かたや外務官の仕事にかかわることで嫌疑をかけられ起訴され、失職して作家として活躍する人。私としては意外な取り合わせの対談と思ったのですが、対談本を出すのは2冊目のよう。
コロナ禍でなかなか会いたい人にも直接会うことができにくい状況の中、あえてこのタイトル。
今後に向けて、コロナ禍で考えさせられたことについて「中央公論」に5回にわたって掲載されたものを加筆・修正したもの。
副題にあるとおり、各章の最後に合計38のヒントを箇条書きにしてあり、2人の対談の中身の重さと、そのスタイルの軽さがちょっとちぐはぐな感じもしましたが、編集者の伝えたい気持ちの表れとして、それもありかと思わせる。
これまで、いかに「ひきこもり」の人たちを社会に出すかということが言われていたのに、コロナは多くの人を「ひきこもり」状態にさせることになった。そのことによって、これまで「ひきこもり」であった人にはそれほど影響がなかったと思われる一方で、多くの人が「ひきこもり」のつらさを実感した面もあり、また、特に家庭内のケアを引き受けさせられがちな女性の負担が増え、女性の自殺者が増加した問題などもおこっている。その中で、自殺の希少地帯というのがあって、そこでは、人々のつながりが薄いわけではないのに、多様性を認め合い、悩み事などは抱え込まずに気軽に外に出すというコミュニティの特質があるということがわかっているそう。
一方で、人に会わなくていいのならそのほうが楽だという人も一定数いて、直接会うことの(多かれ少なかれお互いに影響を及ぼしあう部分が大きいという意味での)暴力性が浮き彫りになった面もあるので、コロナが収まったときに、一気に元に戻すのではなくて、内容や個性に合わせて、リアルとリモートをうまく使いこなしていけるようにすることも大切なのだとも。
長期化するコロナ禍の状況のもと、心の安定を保つことが難しくなる中で、同時に脳と心の関連性などの問題はほとんど解明されていないにもかかわらずエセ科学としての脳科学がもてはやされるようになっていて、安易な優性思想に陥りやすい危険性に関する言及もあります。
第一次世界大戦のころ猛威を振るったスペイン風邪の記憶もかなり風化していしまっていることを考えると、今回のコロナ禍も忘れ去られてしまう可能性がある。今後も別の形でパンデミックが起こることが考えられるので、記念日を作るなど記憶に残す工夫を考えていくべきとの指摘なども興味深い。
コロナ禍以前から増え続けている学校における不登校児童生徒の増加は、コロナ禍によってあたらめて「逃げられないことの息苦しさ」をはっきりさせたので、(本人が意識する市内は別にして)「目の前にある社会システムに従うのは困難だ。だから私は下りる」という思想を持つことが、誰でもに起こりうることだと広く受け入れて、そういう人も一定数存在する社会運営を考えていく必要性など、いろいろと面白い点を指摘してくれています。

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(斎藤環・佐藤優著、2022年、中公新書ラクレ)
かたや「ひきこもり」の治療・支援・啓発などを行う精神科医、かたや外務官の仕事にかかわることで嫌疑をかけられ起訴され、失職して作家として活躍する人。私としては意外な取り合わせの対談と思ったのですが、対談本を出すのは2冊目のよう。
コロナ禍でなかなか会いたい人にも直接会うことができにくい状況の中、あえてこのタイトル。
今後に向けて、コロナ禍で考えさせられたことについて「中央公論」に5回にわたって掲載されたものを加筆・修正したもの。
副題にあるとおり、各章の最後に合計38のヒントを箇条書きにしてあり、2人の対談の中身の重さと、そのスタイルの軽さがちょっとちぐはぐな感じもしましたが、編集者の伝えたい気持ちの表れとして、それもありかと思わせる。
これまで、いかに「ひきこもり」の人たちを社会に出すかということが言われていたのに、コロナは多くの人を「ひきこもり」状態にさせることになった。そのことによって、これまで「ひきこもり」であった人にはそれほど影響がなかったと思われる一方で、多くの人が「ひきこもり」のつらさを実感した面もあり、また、特に家庭内のケアを引き受けさせられがちな女性の負担が増え、女性の自殺者が増加した問題などもおこっている。その中で、自殺の希少地帯というのがあって、そこでは、人々のつながりが薄いわけではないのに、多様性を認め合い、悩み事などは抱え込まずに気軽に外に出すというコミュニティの特質があるということがわかっているそう。
一方で、人に会わなくていいのならそのほうが楽だという人も一定数いて、直接会うことの(多かれ少なかれお互いに影響を及ぼしあう部分が大きいという意味での)暴力性が浮き彫りになった面もあるので、コロナが収まったときに、一気に元に戻すのではなくて、内容や個性に合わせて、リアルとリモートをうまく使いこなしていけるようにすることも大切なのだとも。
長期化するコロナ禍の状況のもと、心の安定を保つことが難しくなる中で、同時に脳と心の関連性などの問題はほとんど解明されていないにもかかわらずエセ科学としての脳科学がもてはやされるようになっていて、安易な優性思想に陥りやすい危険性に関する言及もあります。
第一次世界大戦のころ猛威を振るったスペイン風邪の記憶もかなり風化していしまっていることを考えると、今回のコロナ禍も忘れ去られてしまう可能性がある。今後も別の形でパンデミックが起こることが考えられるので、記念日を作るなど記憶に残す工夫を考えていくべきとの指摘なども興味深い。
コロナ禍以前から増え続けている学校における不登校児童生徒の増加は、コロナ禍によってあたらめて「逃げられないことの息苦しさ」をはっきりさせたので、(本人が意識する市内は別にして)「目の前にある社会システムに従うのは困難だ。だから私は下りる」という思想を持つことが、誰でもに起こりうることだと広く受け入れて、そういう人も一定数存在する社会運営を考えていく必要性など、いろいろと面白い点を指摘してくれています。

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