『日本習合論』
『日本習合論』(内田樹著、2020年、ミシマ社)
習合という言葉は、神仏習合という日本において長い間神道と仏教が共存していた状態であったことを指すときに主に使われるようです。内田さんは、「神仏習合は雑種文化の典型的な事例である」という仮説のもとに、明治維新の時期にそれまで千年以上続いた宗教的伝統であったものが、政令一本でいとも簡単に「神仏分離」が実現し、さらには「廃仏」にまで拡大解釈されてしまった謎について説き起こしながら、土着のものと外来のものが習合していることが「ふつう」であり、複雑なものを複雑なまま受け入れる大切さ、面白さについて語りかけてくれます。
個人的には、私もその場で聴いた2015年に周防大島で行われた内田さんの講演が、第三章「農業と習合」に収められていて懐かしかった(内容は結構忘れてた)のと、第六章「仕事の概念を拡大する」の中に、引きこもりの人に限界集落の家の守をお願いするというアイデアが特に印象に残りました。

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習合という言葉は、神仏習合という日本において長い間神道と仏教が共存していた状態であったことを指すときに主に使われるようです。内田さんは、「神仏習合は雑種文化の典型的な事例である」という仮説のもとに、明治維新の時期にそれまで千年以上続いた宗教的伝統であったものが、政令一本でいとも簡単に「神仏分離」が実現し、さらには「廃仏」にまで拡大解釈されてしまった謎について説き起こしながら、土着のものと外来のものが習合していることが「ふつう」であり、複雑なものを複雑なまま受け入れる大切さ、面白さについて語りかけてくれます。
個人的には、私もその場で聴いた2015年に周防大島で行われた内田さんの講演が、第三章「農業と習合」に収められていて懐かしかった(内容は結構忘れてた)のと、第六章「仕事の概念を拡大する」の中に、引きこもりの人に限界集落の家の守をお願いするというアイデアが特に印象に残りました。

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