『人新世の「資本論」』
『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著、2020年、集英社新書)
1989年のベルリンの壁崩壊、それに続く1991年のソビエト連邦の崩壊などによってなし崩し的に共産主義国がなくなっていく中、その礎となったカール・マルクスさんの『資本論』は等閑視されているような印象を持っていましたが、こつこつと研究は進められていて、その最新研究から、マルクスさんが晩年にたどり着いた「脱成長コミュニズム」こそが、現在資本主義による経済成長によってもたらされつつある地球の破壊を救い、豊かな未来をもたらす道筋であると著者は訴えています。
こう書いてしまうと、なんだか小難しいことが書いてあって読みにくそうですが、実際にはこういった経済に関する本にしてはとても読みやすい。
その前に、「人新世(ひとしんせい、または、じんしんせい)」という見慣れないかもしれない言葉について一言書いておきましょう。かつて(大昔)の小惑星の衝突や火山の大噴火などが地球の地質や生態系に重大な影響を及ぼしたように、現在人類の活動が、地球環境に大きな影響を与えるようになったとして想定した地質時代の名称として発案されたもので、第二次世界大戦のころに提唱されたのですが、いつから始まったかについては、1万年位前の農耕革命のころや、産業革命のころ、終戦間際の原爆実験の時など、諸説あって確定はしていないようです(これから注目される言葉になりそうです)。
グリーン・ニューディールやSDGsなど、何だかんだと成長のネタを探して食い物にしていく今日の資本主義って、本当に大丈夫なの?という素朴な疑問に正面からダメ出しをしていて、水や電力などの基本的な公共財を、コントロールしやすい開放的な技術を使って<市民>営化することによって、成長しなくても豊かな暮らしをみんかが享受できる可能性について書いています。
そして、それが理念だけでなく、スペインのバルセロナなどの都市で、協同組合による市民参加型社会を目指しつつあるという具体例も示してくれています。
失礼なのかもしれないのですが、マルクスさんにそれほど思い入れのない私からすると、この本の内容自体はとても興味深いのに、それほどマルクスさんを持ち上げなくてもよかったのではないかと思ってしまいます(もちろん、先行で言及している人がいれば尊重されるべきだと思いますが、ことさら取り上げなくてもよかったような気がするという意味で)。

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1989年のベルリンの壁崩壊、それに続く1991年のソビエト連邦の崩壊などによってなし崩し的に共産主義国がなくなっていく中、その礎となったカール・マルクスさんの『資本論』は等閑視されているような印象を持っていましたが、こつこつと研究は進められていて、その最新研究から、マルクスさんが晩年にたどり着いた「脱成長コミュニズム」こそが、現在資本主義による経済成長によってもたらされつつある地球の破壊を救い、豊かな未来をもたらす道筋であると著者は訴えています。
こう書いてしまうと、なんだか小難しいことが書いてあって読みにくそうですが、実際にはこういった経済に関する本にしてはとても読みやすい。
その前に、「人新世(ひとしんせい、または、じんしんせい)」という見慣れないかもしれない言葉について一言書いておきましょう。かつて(大昔)の小惑星の衝突や火山の大噴火などが地球の地質や生態系に重大な影響を及ぼしたように、現在人類の活動が、地球環境に大きな影響を与えるようになったとして想定した地質時代の名称として発案されたもので、第二次世界大戦のころに提唱されたのですが、いつから始まったかについては、1万年位前の農耕革命のころや、産業革命のころ、終戦間際の原爆実験の時など、諸説あって確定はしていないようです(これから注目される言葉になりそうです)。
グリーン・ニューディールやSDGsなど、何だかんだと成長のネタを探して食い物にしていく今日の資本主義って、本当に大丈夫なの?という素朴な疑問に正面からダメ出しをしていて、水や電力などの基本的な公共財を、コントロールしやすい開放的な技術を使って<市民>営化することによって、成長しなくても豊かな暮らしをみんかが享受できる可能性について書いています。
そして、それが理念だけでなく、スペインのバルセロナなどの都市で、協同組合による市民参加型社会を目指しつつあるという具体例も示してくれています。
失礼なのかもしれないのですが、マルクスさんにそれほど思い入れのない私からすると、この本の内容自体はとても興味深いのに、それほどマルクスさんを持ち上げなくてもよかったのではないかと思ってしまいます(もちろん、先行で言及している人がいれば尊重されるべきだと思いますが、ことさら取り上げなくてもよかったような気がするという意味で)。

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