1『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』2019_109シネマズ広島にて1
『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』
(監督:前田哲、出演:大泉洋、高畑充希、三浦春馬、萩原聖人、渡辺真紀子、120分、2018年、日本映画)
2019年、映画鑑賞1作品目にして、劇場での鑑賞も1作品目。
この映画、私は知らなかったのですが、テレビでかなり宣伝を行っていたようです。
主人公は、筋肉がだんだん衰えていって体の自由がきかなくなってくる筋ジストロフィーという病気のため、24時間介護が必要で、普通なら家で家族の介護を受けるか、施設にはいるしかないわけですが、自ら介護する人を調整して、自立生活をおくっている男性。
この主人公がなかなかの曲者で、一般的な障がい者のイメージとは違い?わがままで、要求をストレートに介護者に言いつけて、どんどんみんなを巻き込んでいく。
私も大学生時代の長い期間、近所に住んでいた脳性まひで24時間介護の必要な男性の介護に、月1、2回のペースで入っていたので、どういうふうに描いているのか気になって観てみたのです(そのあたりのことは、少しだけ右側のカテゴリーアーカイブの「13障がい」のところに書いてあります)。
私の経験も限定的とは言え、あるあるな感じが描けていて、介護の大変さだけでなく障がい者と健常者が密に暮らさざるを得ない上での(誤解を恐れずに言えば)面白い部分も表現してあり、エンターテインメント的にもなかなか。描くには生々しい部分は、全く避けるのではなく、想像させるようにほのめかしでなんとか表現していたし、主人公のわがままの意味や、家族との関係などがさりげなくわかるようにしてあるように感じた。
宣伝のおかげか、お客さんも満席に近く、この機会に多くの人が考える機会を持てるのはいいことだと思います。
ちなみに、原作を書いた渡辺一史さんが最近書いた『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』(2018年、ちくまプリマ―新書)もこの機会に読んでみました。
障害者について考えることは健常者について考えることだ、ということだということについてわかりやすく書いてありました。
この本の中に「障害」の表記について、現在は「障がい」と書くのが主流になっていて(その他「障碍」もあります)、私も最近は「障がい」と書くようにしていたのですが、民主党政権時代に当事者も含めた会議でこの表記についての会議が開かれ、最終的に「決定することは困難」という結論に達したことが書いてあって、なるほど、と思いました。
これまでも私もこのブログの中に書いていますが、障害者問題と言われている多くは、社会の側にあって、健常者の側の考え方や態度や社会制度が変われば問題にならない場合がけっこうあり、「害」が社会の側にあるのであれば、別に「障害」という言葉でもいいのではないかという意見があることを知りました。
私自身は、あまり言葉の問題にかかわりすぎると、中身がおろそかになるのではないかと思い、気づいた段階で、ある程度調べて、納得できる方にしよう、程度の認識なので、このことについては勉強になりました。
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(監督:前田哲、出演:大泉洋、高畑充希、三浦春馬、萩原聖人、渡辺真紀子、120分、2018年、日本映画)
2019年、映画鑑賞1作品目にして、劇場での鑑賞も1作品目。
この映画、私は知らなかったのですが、テレビでかなり宣伝を行っていたようです。
主人公は、筋肉がだんだん衰えていって体の自由がきかなくなってくる筋ジストロフィーという病気のため、24時間介護が必要で、普通なら家で家族の介護を受けるか、施設にはいるしかないわけですが、自ら介護する人を調整して、自立生活をおくっている男性。
この主人公がなかなかの曲者で、一般的な障がい者のイメージとは違い?わがままで、要求をストレートに介護者に言いつけて、どんどんみんなを巻き込んでいく。
私も大学生時代の長い期間、近所に住んでいた脳性まひで24時間介護の必要な男性の介護に、月1、2回のペースで入っていたので、どういうふうに描いているのか気になって観てみたのです(そのあたりのことは、少しだけ右側のカテゴリーアーカイブの「13障がい」のところに書いてあります)。
私の経験も限定的とは言え、あるあるな感じが描けていて、介護の大変さだけでなく障がい者と健常者が密に暮らさざるを得ない上での(誤解を恐れずに言えば)面白い部分も表現してあり、エンターテインメント的にもなかなか。描くには生々しい部分は、全く避けるのではなく、想像させるようにほのめかしでなんとか表現していたし、主人公のわがままの意味や、家族との関係などがさりげなくわかるようにしてあるように感じた。
宣伝のおかげか、お客さんも満席に近く、この機会に多くの人が考える機会を持てるのはいいことだと思います。
ちなみに、原作を書いた渡辺一史さんが最近書いた『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』(2018年、ちくまプリマ―新書)もこの機会に読んでみました。
障害者について考えることは健常者について考えることだ、ということだということについてわかりやすく書いてありました。
この本の中に「障害」の表記について、現在は「障がい」と書くのが主流になっていて(その他「障碍」もあります)、私も最近は「障がい」と書くようにしていたのですが、民主党政権時代に当事者も含めた会議でこの表記についての会議が開かれ、最終的に「決定することは困難」という結論に達したことが書いてあって、なるほど、と思いました。
これまでも私もこのブログの中に書いていますが、障害者問題と言われている多くは、社会の側にあって、健常者の側の考え方や態度や社会制度が変われば問題にならない場合がけっこうあり、「害」が社会の側にあるのであれば、別に「障害」という言葉でもいいのではないかという意見があることを知りました。
私自身は、あまり言葉の問題にかかわりすぎると、中身がおろそかになるのではないかと思い、気づいた段階で、ある程度調べて、納得できる方にしよう、程度の認識なので、このことについては勉強になりました。
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