藤岡市助さんの年譜をつくってみました
年明け早々、私が所属している民間の教育研究会である仮説実験授業研究会の冬の全国合宿大会を岩国で開催することになり、私もスタッフとして関わっています。
大会自体はホテル内での全体会発表が中心なのですが、せっかく岩国の観光の中心地で行われるので、オプショナル分科会として、岩国学校教育資料館や錦帯橋、岩国シロヘビの館、岩国徴古館などを巡ることを計画しています。
各施設の既存のパンフなども用意していますが、せっかくなので自前の資料も若干用意しようと考える中で、藤岡市助さんの年譜を作ってみることにしました。
最初にまわる予定の岩国学校教育資料館は、もとの岩国学校を資料館にしている建物です。
岩国学校は、明治政府が学校制度の近代化を図るために明治5(1872)年に発布した「学制」より早い明治3年に、岩国藩が制定した「岩国藩学校条例」にしたがって明治4年に開校した学校で、西洋の技術等を学ぶために、英国人スティーブンスさんを招き、英語を中心に、算術、代数、天文、物理などを教えていました(和洋折衷で、当時を思わせる面白い建物でもあります)。
そこで学んだ藤岡市助さんは、2年間しか岩国いなかったスティーブンスさんが去った後、代わりに講師となったあと、上京し、東京大学の前身となる学校で学び、「日本の電気界の父」と呼ばれ、エジソンとも交流があり、東芝の創始者の1人でもあり、明治維新前後の激動期に、いち早く西洋の技術を取り入れることに成功した人として、その時代を考えるときに参考になると思っています。
仮説実験授業研究会の中で、ある人物のことを調べるときに、まず、年図と呼ばれる年譜を作ることがあります。普通の年譜と違うところがいろいろとあるのですが、一つ気にしているところは、1年の幅を揃えるというところです。普通は、トピックのあった年だけ書いて取り上げるべき事項がない年は端折ってしまうものです。しかし、1年の幅を揃えると、その人の活躍の様子がわかることがあったりするのです。
年図は、グラフの一つであると考えているので、見た目をわかりやすくするためにいろいろ工夫する点があるのですが、今回は、時間もないので、1年の幅を揃えるということと、A3サイズ1枚におさめて一覧性を持たせるということだけ気にすることにしました(本格的に調べようと思うと、とても1枚でおさまることはありません)。
とっかかりは、岩国徴古館が、『日本の電気界の父 藤岡市助図鑑』というA4判12ページのわかりやすいパンフレットを出しているので、その中にある年表に書かれていることを抜き出して原案を作ってみました。
次に、藤岡市助さんを研究している下麥(しもむぎ)さん(2017年に、岩国徴古館が主催する郷土史研究会で藤岡市助さんについての発表をして、私はとても感動した)に連絡して、加筆修正していただくことにしました。
下麥さんは、1年の幅を揃えるということと、A3判1枚におさめると言う趣旨に配慮しながら、私の知らないいろんなことを加筆してくれたりアドバイスしてくれたりして、メールでの何度かのやり取りをして完成したのが、PDFファイルにして添付している資料です。
4度も西洋に渡っているなど、積極的に電気技術を学んで日本に生かしていることが伺えて、1枚モノながら、短い時間で私1人では到底なし得ない見ごたえのあるいい資料ができたなあと思っています。
藤岡市助年譜1812.pdf
そこで、オプショナル分科会だけで使うのはもったいないので、ブログで紹介することにしたのです(下麥さんにも、ブログに掲載することをご了解いただきました)。
下麥さんは、わかる範囲で日付で時系列を追った詳細な年譜は作っているのですが、今回作成したような初心者向けの年譜は作ったことがないそうで、結果としては、喜んでもらえてよかったです。
なお、岩国学校教育資料館は、藤岡市助さんのコーナーと、江戸時代の寺子屋から現代に至る教科書をたくさん所蔵(これが以外と珍しいようです)してますし、岩国市出身の著名人や民具のコーナーなどもあります。ただ、空調がないので、気候のいい季節の観覧をおススメします。

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大会自体はホテル内での全体会発表が中心なのですが、せっかく岩国の観光の中心地で行われるので、オプショナル分科会として、岩国学校教育資料館や錦帯橋、岩国シロヘビの館、岩国徴古館などを巡ることを計画しています。
各施設の既存のパンフなども用意していますが、せっかくなので自前の資料も若干用意しようと考える中で、藤岡市助さんの年譜を作ってみることにしました。
最初にまわる予定の岩国学校教育資料館は、もとの岩国学校を資料館にしている建物です。
岩国学校は、明治政府が学校制度の近代化を図るために明治5(1872)年に発布した「学制」より早い明治3年に、岩国藩が制定した「岩国藩学校条例」にしたがって明治4年に開校した学校で、西洋の技術等を学ぶために、英国人スティーブンスさんを招き、英語を中心に、算術、代数、天文、物理などを教えていました(和洋折衷で、当時を思わせる面白い建物でもあります)。
そこで学んだ藤岡市助さんは、2年間しか岩国いなかったスティーブンスさんが去った後、代わりに講師となったあと、上京し、東京大学の前身となる学校で学び、「日本の電気界の父」と呼ばれ、エジソンとも交流があり、東芝の創始者の1人でもあり、明治維新前後の激動期に、いち早く西洋の技術を取り入れることに成功した人として、その時代を考えるときに参考になると思っています。
仮説実験授業研究会の中で、ある人物のことを調べるときに、まず、年図と呼ばれる年譜を作ることがあります。普通の年譜と違うところがいろいろとあるのですが、一つ気にしているところは、1年の幅を揃えるというところです。普通は、トピックのあった年だけ書いて取り上げるべき事項がない年は端折ってしまうものです。しかし、1年の幅を揃えると、その人の活躍の様子がわかることがあったりするのです。
年図は、グラフの一つであると考えているので、見た目をわかりやすくするためにいろいろ工夫する点があるのですが、今回は、時間もないので、1年の幅を揃えるということと、A3サイズ1枚におさめて一覧性を持たせるということだけ気にすることにしました(本格的に調べようと思うと、とても1枚でおさまることはありません)。
とっかかりは、岩国徴古館が、『日本の電気界の父 藤岡市助図鑑』というA4判12ページのわかりやすいパンフレットを出しているので、その中にある年表に書かれていることを抜き出して原案を作ってみました。
次に、藤岡市助さんを研究している下麥(しもむぎ)さん(2017年に、岩国徴古館が主催する郷土史研究会で藤岡市助さんについての発表をして、私はとても感動した)に連絡して、加筆修正していただくことにしました。
下麥さんは、1年の幅を揃えるということと、A3判1枚におさめると言う趣旨に配慮しながら、私の知らないいろんなことを加筆してくれたりアドバイスしてくれたりして、メールでの何度かのやり取りをして完成したのが、PDFファイルにして添付している資料です。
4度も西洋に渡っているなど、積極的に電気技術を学んで日本に生かしていることが伺えて、1枚モノながら、短い時間で私1人では到底なし得ない見ごたえのあるいい資料ができたなあと思っています。
藤岡市助年譜1812.pdf
そこで、オプショナル分科会だけで使うのはもったいないので、ブログで紹介することにしたのです(下麥さんにも、ブログに掲載することをご了解いただきました)。
下麥さんは、わかる範囲で日付で時系列を追った詳細な年譜は作っているのですが、今回作成したような初心者向けの年譜は作ったことがないそうで、結果としては、喜んでもらえてよかったです。
なお、岩国学校教育資料館は、藤岡市助さんのコーナーと、江戸時代の寺子屋から現代に至る教科書をたくさん所蔵(これが以外と珍しいようです)してますし、岩国市出身の著名人や民具のコーナーなどもあります。ただ、空調がないので、気候のいい季節の観覧をおススメします。

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