『子供の「脳」は肌にある』
『子供の「脳」は肌にある』(山口創著、2004年、光文社新書)
「ヒトはなぜ体毛がほとんどないのか?」という疑問について子どもの頃から気になっていて、2017年にたまたま関連する本をたくさん読んで、私なりにある程度納得したことがあったので、2017年12月15日に、中間報告的にまとめたものをブログに掲載しました。
この本も、そのテーマに関係しています(体毛がほとんどないことによって外界にさらされている皮膚についてのことだからです)。
著者は、プロローグの最後に、「本書では、感性豊かな「体」を育むための原点が「肌」への接触であることを基本理念として、様々な角度からそれを述べていきたい」とはじめています。
肌は、自己と外部との境界であり、皮膚を介して外部とやり取りをすることによってこそ自我と言うものが形成されていくと言う意味で、赤ちゃんのころから皮膚でいろんなものや人に触れたりすることが大切であり、もともと日本では、「べったり育児」といわれることが行われてそういうことが保障されていたが、アメリカなどで合理的な育児法として子どもに触れないことが推奨されたりして失われがちになっていたという面があるらしい。
くすぐり遊びというのがあるが、「くすぐったい」という感覚自体不思議なもので、何の役にも立たないようにも思われるが、実は自他の区別ができない段階の赤ちゃんはくすぐったがらないという。つまり、コミュニケーションにとてもかかわっている感覚であるという指摘も面白い。
全体的に、仕組みや根拠を示すというより、現象としての皮膚感覚の大切さを、具体的な例も示しながら説明してあって、触覚というものを考えるにあたっていろんなヒントが書かれています。
ふれあうことの大切さがわかりやすく書いてあるのはいいのですが、本書の中にも親との接触があまりなく育った人が、他人との接触を拒否する傾向があることの指摘が書いてありますし、不本意な身体的接触経験によって、他人との接触が難しくなっている人に対する配慮も十分になされないといけないことは忘れてはならないと思います。
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「ヒトはなぜ体毛がほとんどないのか?」という疑問について子どもの頃から気になっていて、2017年にたまたま関連する本をたくさん読んで、私なりにある程度納得したことがあったので、2017年12月15日に、中間報告的にまとめたものをブログに掲載しました。
この本も、そのテーマに関係しています(体毛がほとんどないことによって外界にさらされている皮膚についてのことだからです)。
著者は、プロローグの最後に、「本書では、感性豊かな「体」を育むための原点が「肌」への接触であることを基本理念として、様々な角度からそれを述べていきたい」とはじめています。
肌は、自己と外部との境界であり、皮膚を介して外部とやり取りをすることによってこそ自我と言うものが形成されていくと言う意味で、赤ちゃんのころから皮膚でいろんなものや人に触れたりすることが大切であり、もともと日本では、「べったり育児」といわれることが行われてそういうことが保障されていたが、アメリカなどで合理的な育児法として子どもに触れないことが推奨されたりして失われがちになっていたという面があるらしい。
くすぐり遊びというのがあるが、「くすぐったい」という感覚自体不思議なもので、何の役にも立たないようにも思われるが、実は自他の区別ができない段階の赤ちゃんはくすぐったがらないという。つまり、コミュニケーションにとてもかかわっている感覚であるという指摘も面白い。
全体的に、仕組みや根拠を示すというより、現象としての皮膚感覚の大切さを、具体的な例も示しながら説明してあって、触覚というものを考えるにあたっていろんなヒントが書かれています。
ふれあうことの大切さがわかりやすく書いてあるのはいいのですが、本書の中にも親との接触があまりなく育った人が、他人との接触を拒否する傾向があることの指摘が書いてありますし、不本意な身体的接触経験によって、他人との接触が難しくなっている人に対する配慮も十分になされないといけないことは忘れてはならないと思います。
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