『数学する身体』
『数学する身体』
(森田真生著、2015年、新潮社)
2017年7月25日に周防大島の荘厳寺で行われた「真夏の対話会in周防大島」で、内田樹さんと対談した場ではじめて直接話を聞いた森田真生さんの著書。
とても面白い話だったので、その場でこの本を買ってサインしてもらって、少し寝かしておきました(以前にも書いていますが、サインをしてもらうというのは、私にとって、その人をあがめるためというより、その人に会ったときの気持ちや感じたことなどの記憶を呼び覚ますため一番効果的なアナログな記録です)。
改めて考えてみると、最も抽象的で、生身の身体や実体からかけ離れているとも思える(ある意味では、最も人間らしいかもしれない)数学が、実は、身体性をずっと包含しつつ発展してきたことを、数学の歴史から紐解き、アラン・チューリングさんと岡潔さんにつながる一つの流れとして、数式を全く使わずに解説することによって、教えてくれます。
第二次世界大戦のときにナチス・ドイツの暗号を読み解いたり、コンピュータを生み出す理論的な基礎を築き、「人工知能」に関する具体的なアイデアも提案したといわれるチューリングさんも、実は、戦後数年後に発表した論文『知能機械』や『計算機械と知能』の中で、
「『計算機械と知能』の最後で彼は、人間に匹敵するような知的機械をつくるために、チェスのような抽象的活動をさせるだけでなく、予算の許す範囲で最大限高性能の感覚器官を機械に搭載した上で、あたかも子どもを教育するように教えるやり方も「試みられるべきだ」と述べている。また『知能機械』の中では、神経系のみならず、目や耳や足など人間のあらゆる部分を再現した機械を作るのが「考える機械を生み出す“確実”な方法だろう」としながら、現状の技術ではそれが「手間がかかりすぎて実質的には不可能に思える」との考えを表明している」
のだそうです。チューリングさんは、人間が行っていることの中で、計算の部分だけを取り出すことによって、コンピュータの基礎を作ったのですが、本当に人間的な知能を持ち合わせるようにするには、その機械に身体性を持たせないと難しいのではないかと書いているようなのです。
世界的な発見をした数学者でありながら、エッセイなども有名な岡さんについても、森田さんは、
「記号的な計算は、数学的思考を支える最も主要な手段の一つであることは間違いないが、数学的思考の大部分はむしろ、非記号的な、身体のレベルで行われているのではないか。だとすれば、その身体化された思考過程そのものの精度を上げるー岡の言葉を借りるなら「境地」を進めるーことが、是非とも必要ということになる」
と、その身体性について書いていて、とても興味深い。
「数学を通して世界をわかりたい!」と語り独立研究者として全国各地で「数学の演奏会」と呼ばれるライブ活動を行っている著者が、これからどんな境地を切り開いていくのか楽しみです。
11月にも、また周防大島で、「数学の演奏会」を行う予定のようですので、具体的な情報が分かり次第、このブログでも紹介したいと思っています。

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(森田真生著、2015年、新潮社)
2017年7月25日に周防大島の荘厳寺で行われた「真夏の対話会in周防大島」で、内田樹さんと対談した場ではじめて直接話を聞いた森田真生さんの著書。
とても面白い話だったので、その場でこの本を買ってサインしてもらって、少し寝かしておきました(以前にも書いていますが、サインをしてもらうというのは、私にとって、その人をあがめるためというより、その人に会ったときの気持ちや感じたことなどの記憶を呼び覚ますため一番効果的なアナログな記録です)。
改めて考えてみると、最も抽象的で、生身の身体や実体からかけ離れているとも思える(ある意味では、最も人間らしいかもしれない)数学が、実は、身体性をずっと包含しつつ発展してきたことを、数学の歴史から紐解き、アラン・チューリングさんと岡潔さんにつながる一つの流れとして、数式を全く使わずに解説することによって、教えてくれます。
第二次世界大戦のときにナチス・ドイツの暗号を読み解いたり、コンピュータを生み出す理論的な基礎を築き、「人工知能」に関する具体的なアイデアも提案したといわれるチューリングさんも、実は、戦後数年後に発表した論文『知能機械』や『計算機械と知能』の中で、
「『計算機械と知能』の最後で彼は、人間に匹敵するような知的機械をつくるために、チェスのような抽象的活動をさせるだけでなく、予算の許す範囲で最大限高性能の感覚器官を機械に搭載した上で、あたかも子どもを教育するように教えるやり方も「試みられるべきだ」と述べている。また『知能機械』の中では、神経系のみならず、目や耳や足など人間のあらゆる部分を再現した機械を作るのが「考える機械を生み出す“確実”な方法だろう」としながら、現状の技術ではそれが「手間がかかりすぎて実質的には不可能に思える」との考えを表明している」
のだそうです。チューリングさんは、人間が行っていることの中で、計算の部分だけを取り出すことによって、コンピュータの基礎を作ったのですが、本当に人間的な知能を持ち合わせるようにするには、その機械に身体性を持たせないと難しいのではないかと書いているようなのです。
世界的な発見をした数学者でありながら、エッセイなども有名な岡さんについても、森田さんは、
「記号的な計算は、数学的思考を支える最も主要な手段の一つであることは間違いないが、数学的思考の大部分はむしろ、非記号的な、身体のレベルで行われているのではないか。だとすれば、その身体化された思考過程そのものの精度を上げるー岡の言葉を借りるなら「境地」を進めるーことが、是非とも必要ということになる」
と、その身体性について書いていて、とても興味深い。
「数学を通して世界をわかりたい!」と語り独立研究者として全国各地で「数学の演奏会」と呼ばれるライブ活動を行っている著者が、これからどんな境地を切り開いていくのか楽しみです。
11月にも、また周防大島で、「数学の演奏会」を行う予定のようですので、具体的な情報が分かり次第、このブログでも紹介したいと思っています。
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