靖国神社を国の立場がある人が参拝することについての心配
私自身は、(以前の記事にも書いていますが)靖国神社につながる場所である、地元にある忠魂碑のある招魂場の樹木の整備などにかかわっています。
それは、私に身近な人の関係者で戦争によって亡くなった人が祀られているかもしれない場所であり、私の住んでいる地域にとって歴史的に意味のある場所でもあり、また、私の勝手な拡大解釈として、そこに祀られていない爆撃や原爆や戦争に伴う労苦によって亡くなった人や、そのときは敵として亡くなった人たちも含めて、戦争によって亡くなった人に想いをはせる場所として大切にしていきたいと思っているからです。
そのことを踏まえた上で、最近の日本の首相や閣僚などの靖国神社へのかかわりに対して心配なことをまとめてみたいと思います。
まず、靖国神社の歴史的な成り立ちから紐解かないといけないのですが、本格的にそうすると長くなりすぎるので、かなり端折って書いてしまいます。
明治2(1869)年に、創建された靖国神社は、創建当初は国(軍)の管理下にありましたが、終戦後の1946年には、国の管理を離れて民間の一宗教法人になっています。
日本の神社信仰の特徴として、現実の人であっても有名な人や力を持った人、大きなことに関わりを持った人などが亡くなるとと、その人にあやかったり、怨念を鎮めたり、鎮魂するために神様として扱われ、神社が作られるわけですが、靖国神社は、幕末以降の戦(いくさ)に国の側(だから、西南戦争で薩摩藩側で戦った人は祀られていません)で戦って亡くなった人を祀るために作られました。
幕末からの戦(いくさ)で亡くなった方の圧倒的多くは、太平洋戦争で亡くなった方々です。その中で、戦後行われた東京裁判で、戦犯とされ、死刑に処せられた人たちは、当初、靖国神社には祀られていませんでした。靖国神社の趣旨から言ってそれは当然です。戦(いくさ)で亡くなった人ではないからです。
東京裁判は公正な裁判であったかという問いは、もちろんあるでしょう。しかし、戦後処理のための軍事裁判的なもの(戦勝者側の立場からの裁き)であり、日本はそれを受け入れること(これが国としての立場)によって、再び国際社会に復帰することができたことも事実です。
そして、終戦からしばらく経過した1959(昭和34)年以降から、東京裁判による刑死者が、民間の宗教法人である靖国神社の判断によって、徐々に祀られるようになって来ました。それ自体は、民間の宗教団体の判断なのですから、否定できるものではありません。しかし、終戦後一定の年数を経て、太平洋戦争を指導する立場にあって処刑された人を、あえて祀ったということは、外から見た場合、太平洋戦争を肯定する立場であるととらえることができるわけで、あの戦争によって深い傷を負った人たちにとっては、不快なものでしょう。
その後、1985(昭和60)年に、中曽根総理大臣が、靖国神社に戦後初めて公式参拝(個人の立場として参拝した総理大臣はそれまでにもいた)と称して参拝したとき、中国から抗議を受けて現在に至っています。
繰り返しになりますが、個人的なレベルの話として、戦争によって亡くなった人を祀ってそのことを偲ぶための神社があること自体はいけないことだとは思わないし、私も、地元の招魂場の整備に関わり続けて行きたいと思っています(私自身は、地元の忠魂碑に祀られている人の遺族ではありませんが)。
しかし、これまで書いてきた経緯があるなかで、公職にある人が現職にあって、靖国神社にお参りすることは、控えるほうが賢明であるということは、明らかであると思います。本当に、お参りしたいのであれば、私人に戻ったときにいくらでもできます。
長い目で見て、そこまでして、国の立場を持った人が、先の戦争を肯定する立場の民間施設である神社を参拝して、隣国の人たちの感情を損ねる必要があるのかどうか。
それは、外交において「言うべきことは言う」ということとは、まったく別次元の話である、というより、本当の意味で、相手を尊重しつつ、お互いに妥協しながら獲得すべきことは獲得するという外交にとってはデメリットでしかない(相手の感情を害する意味しか持たず、自分の立場を主張することになっていない)、という意味で、心配なのです。

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それは、私に身近な人の関係者で戦争によって亡くなった人が祀られているかもしれない場所であり、私の住んでいる地域にとって歴史的に意味のある場所でもあり、また、私の勝手な拡大解釈として、そこに祀られていない爆撃や原爆や戦争に伴う労苦によって亡くなった人や、そのときは敵として亡くなった人たちも含めて、戦争によって亡くなった人に想いをはせる場所として大切にしていきたいと思っているからです。
そのことを踏まえた上で、最近の日本の首相や閣僚などの靖国神社へのかかわりに対して心配なことをまとめてみたいと思います。
まず、靖国神社の歴史的な成り立ちから紐解かないといけないのですが、本格的にそうすると長くなりすぎるので、かなり端折って書いてしまいます。
明治2(1869)年に、創建された靖国神社は、創建当初は国(軍)の管理下にありましたが、終戦後の1946年には、国の管理を離れて民間の一宗教法人になっています。
日本の神社信仰の特徴として、現実の人であっても有名な人や力を持った人、大きなことに関わりを持った人などが亡くなるとと、その人にあやかったり、怨念を鎮めたり、鎮魂するために神様として扱われ、神社が作られるわけですが、靖国神社は、幕末以降の戦(いくさ)に国の側(だから、西南戦争で薩摩藩側で戦った人は祀られていません)で戦って亡くなった人を祀るために作られました。
幕末からの戦(いくさ)で亡くなった方の圧倒的多くは、太平洋戦争で亡くなった方々です。その中で、戦後行われた東京裁判で、戦犯とされ、死刑に処せられた人たちは、当初、靖国神社には祀られていませんでした。靖国神社の趣旨から言ってそれは当然です。戦(いくさ)で亡くなった人ではないからです。
東京裁判は公正な裁判であったかという問いは、もちろんあるでしょう。しかし、戦後処理のための軍事裁判的なもの(戦勝者側の立場からの裁き)であり、日本はそれを受け入れること(これが国としての立場)によって、再び国際社会に復帰することができたことも事実です。
そして、終戦からしばらく経過した1959(昭和34)年以降から、東京裁判による刑死者が、民間の宗教法人である靖国神社の判断によって、徐々に祀られるようになって来ました。それ自体は、民間の宗教団体の判断なのですから、否定できるものではありません。しかし、終戦後一定の年数を経て、太平洋戦争を指導する立場にあって処刑された人を、あえて祀ったということは、外から見た場合、太平洋戦争を肯定する立場であるととらえることができるわけで、あの戦争によって深い傷を負った人たちにとっては、不快なものでしょう。
その後、1985(昭和60)年に、中曽根総理大臣が、靖国神社に戦後初めて公式参拝(個人の立場として参拝した総理大臣はそれまでにもいた)と称して参拝したとき、中国から抗議を受けて現在に至っています。
繰り返しになりますが、個人的なレベルの話として、戦争によって亡くなった人を祀ってそのことを偲ぶための神社があること自体はいけないことだとは思わないし、私も、地元の招魂場の整備に関わり続けて行きたいと思っています(私自身は、地元の忠魂碑に祀られている人の遺族ではありませんが)。
しかし、これまで書いてきた経緯があるなかで、公職にある人が現職にあって、靖国神社にお参りすることは、控えるほうが賢明であるということは、明らかであると思います。本当に、お参りしたいのであれば、私人に戻ったときにいくらでもできます。
長い目で見て、そこまでして、国の立場を持った人が、先の戦争を肯定する立場の民間施設である神社を参拝して、隣国の人たちの感情を損ねる必要があるのかどうか。
それは、外交において「言うべきことは言う」ということとは、まったく別次元の話である、というより、本当の意味で、相手を尊重しつつ、お互いに妥協しながら獲得すべきことは獲得するという外交にとってはデメリットでしかない(相手の感情を害する意味しか持たず、自分の立場を主張することになっていない)、という意味で、心配なのです。

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