9月23日の山元加津子さんと、林晶彦さんのジョイント「
いのちのささやきを聴く」がとても楽しみです。
以前から、いつかお二人のジョイントをしたいと願っていました。
ピアノの一音で涙がこぼれるなんて・・・ 林晶彦さんのピアノを初めて耳にした時の感動が今も忘れられません。その時の私は、特に悲しいことがあった訳でなく、これといった悩みがあった訳ではないけれど、心の深みに響く音色に心がふるえ、涙がこぼれました。どちらかと言えば、民族楽器のようなゆらぎの多い楽器が好きで、ピアノでこれほど情感が揺さぶられるなんて、思ってもいないことでした。その後お話を伺い、林さんの純粋さに触れて納得しました。
15歳の頃、ヘルマン・ヘッセの「あなたの信じる道に歩みなさい。たとえ途中で倒れ、のたれ死んだとしても、後悔はない」という言葉に生きる勇気を、心の奥深くに静かに語りかけるようなバッハの音楽に、人を裏切ることのない誠実さ、平安な響きを感じて、音楽の世界に開眼し、17歳で音楽を学ぶ為に渡仏され、勉学中に病に倒れた折、絶望的な深夜の孤独の中で、神との出会いを体感されイスラエルへ留学。
さまざまな体験を経た後、中近東・インド等で独自の音楽を追求し、国や宗教を超えて、人間は分かり合え、結び合えるという夢・理想を、音楽を通して表現し続けておられます。
イスラエルフィルのコンサートマスター、メナヘム・ブラアー氏が林さんの音楽を評して、「偽りのない気持ちや誠実さと同時に、もっと友愛に満ちた環境・よりよい世界を求めてやまぬ心の、渇望の痛みも感じとれます。こうした感性こそ、私たちの魂や心を満たしてくれる純粋な愛の素地となるものです」と書かれています。
山元加津子さん、通称かっこちゃんは、いのちの不思議、素晴らしさを分かりやすい言葉で伝えられ、お話を伺い、本を読むうち、自分は自分のままで大成功、というのが腑に落ちてきます。
「私はどうして『私』として生まれたのでしょう。それは、私のために用意された”もの”や“こと”や“ひと”を通して、私でしか感じとれないことを伝えるためにだと思います。
あなたはどうして『あなた』として生まれたのでしょう。それは用意された“もの”や“こと”や“ひと”に対して、あなただからこそ、感じられたことを、伝えるためだと思うのです。
人間の素晴らしいところは変わっていけるところ。お互いに出会うことで、人は変わっていけるもの。それこそが、お互いが『むなしく生きる』ことのないように用意された“ひと”であり、“こと”のような気がしてなりません―「宇宙の約束」より」
地球上のすべてのいのちの始まりはたったひとつの細胞。全てがたったひとつのいのちにつながっていて、時間も場所も越えて、ひとつの命を生きている私たち。魂の声、いのちの声を聴くことは、宇宙の声を聴くことでもあります。
限りなくピュアな魂のお二人の出会いの場は、
壁に閉ざされた会場でなく、自然の感じられる場で聴きたい・・・。 と強く思いました。
最初に浮かんだのは、森に囲まれた熱田の神宮の中。残念ながら、既に予定が入っていました。次に浮かんだのは、大和白鳥創造センター。日本武尊の伝説の地、白鳥古墳や断夫山古墳や、白鳥庭園にほど近く、目の前に広がるのは青空と、森の木立のそよぎに、飛ぶ小鳥。なんとも気持の良い会場です。
問題は、会場にピアノがない…。どうしよう、と悩んでいた時、救い主登場!
なんと、かっこさんの講演会のスタッフをされた方から、「親戚が楽器会社なので、もしかしたら…」と嬉しい連絡。会場を見ていただいたところ、ピアノを運び込めるとのこと。大きな問題をクリアでき会場が決定しました。
ヤッター!という気分で、後は、広報して、少しでも多くの方に、ゆったりとした時を過ごし、魂の声に耳を傾けて頂きたいと思っていたものの、暑さでへたり気味。仕事も重なって、気づけば間もなく9月の声を聞く候となってしまい、あ〜、どうしようと、うなされ始めました。
三連休の中日とあって、予定が取りにくい日程ではありますが、売れっ子のかっこさんが休日で空いていたのは、その日だけでしたので、決定したところ、秋分の日はご先祖様や、亡き人しのぶ日なので、いのちを考えるにはぴったりの日でした。
林さんは今回のために新作に取り組まれ、山元さんは、新著をテーマとしたお話をして下さいます。またとない機会を、多くの方と共有、共感したいと願っています。