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ベニス死す。天正のボランティア団体。各種国コードCオリンピック。国とは?その23。―閑話休題(再三) [2006年10月23日(Mon)]

<承前>

バイロンがアルメニア語を学んだ、San Lazzaro degli Armeni (サン・ラッザロ・デッリ・アルメーニ)はVenetian Lagoon (Laguna di Venezia、Laguna Veneta、ベニスの潟)の中の一つのです。

狭い範囲のベニスは、イタリア半島とバルカン半島が挟むAdriatic Sea (アドリア海)の最北部にある「ベニス湾」に、River Po (ポー川)の三角州地帯と海の間にできた潟、「ベニスの潟」の中心にある一つの島です。イタリア本土の反対側、潟と海の間の東には、カンヌ国際映画祭25周年記念賞受賞の、マーラー「交響曲第5番」をバックにしたトーマス・マン原作ルキノ・ビスコンティ監督映画「Morte a Venezia (ベニスに死す)」でも知られるバイロンの時代以降海水浴地として親しまれてきたリド海岸のある、南北にの細い砂地が「蓋」をするように横たわっています。

この砂地には三つの水門がありますが、ベニスはちょうど、一番北のリド水門の南、長さ12キロの砂地の「島」Lido (リド)島の内側、つまり西側に、浮かんでいます。そしてサン・ラッザロ・デッリ・アルメーニはベニスとリドの中間にある島です。

サン・ラッザロ・デッリ・アルメーニ島は小さな島ですが、元々の土地を4倍にして、今日の3万平方キロの大きさにしたのは、1717年に、この島をベニスより譲り受けた修道士Mechitar (メキタル)と17人の修道士たちの整備によるものです。

サン・ラッザロの名前は、ここに12(〜16)世紀に検疫施設とハンセン病患者の施設が作られたため、これに因んで、ハンセン病の東方教会での守護聖人聖ラザロ(ラザリ)に由来するようです。このラザロの語源はキリストによって蘇生させられたといわれるラザロです。日本でも、天正遣欧少年使節が派遣された頃16世紀末に長崎などに聖ラザロ病院が設立されました。

日本の聖ラザロ病院のうちのいくつかの運営は、天正10(1583)年に発足した、今日で言う奉仕、ボランティア団体、堺生まれの金細工師ジョスティノ・カサリアを組頭とする長崎の本博多町(現 万才町)の「ミゼルコルディアの組」MISERICORDIA(慈愛の心)があたったていました。「ミゼルコルディアの組」は日本での最初期のキリスト教系ボランティア団体といえると思います。

<続く>

本記事ーー19世紀初頭バイロンの足跡をたどる記事ーーは最初はここから開始しました。
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