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ディアスポラ、ノアの方舟。各種国コードCオリンピック。国とは?その22。―閑話休題(再三) [2006年10月23日(Mon)]

<承前>
バイロンに戻ります。

バイロンはミラノを経て、ベニスに入り、しばらくの間、社交生活と文筆を楽しみます。派手な話が多い中で、バイロンはベニスでの滞在中、もう一つのdiaspora (ディアスポラ)ともいわれるアルメニア人のアルメニア語を、最後には文法書編纂を助けるほど、習得します。アルメニア教会、San Lazzaro degli Armeniサン・ラッザロ・デッリ・アルメーニの「エキゾチズム」と「静寂」を気にいったのか、学びます。

ディアスポラは元々古代ギリシャでは、「種を蒔く」という意味から、新占領地に赴き周辺の土地に散り、まさに能動的に「植民」することを指していたものが、旧約聖書で、むしろ逆の、ユダヤ人のバビロン捕囚後のパレスチナからの離散させられたことを指すようになり、受動的な意味になりました(他と区別するため最近は大文字で Diaspora)。

現代では、アルメニアを含む様々な離散に使われるようになり、さらに、強制的、受動的かどうかなどの主客の問題よりは、現代世界における宿命的な人々のあり方としてディアスポラをとらえるようになりましたが、何故バイロンがアルメニア語に夢中になったかの答えはこのあたりにあるような気がします。

アルメニア人の国家は紀元前13-6世紀にさかのぼれますが、アルメニアのディアスポラは、20世紀なって決定的になります。アルメニア人の望郷を象徴するのが、アルメニアの国章です。

古代のアルメニアを象徴するワシとライオンが楯を支えています。楯には右上に1〜5世紀のArsacid Dynasty (アルサケス朝)、その下に11〜14世紀の (Lesser) Armenian Kingdom of Cilicia (キリキアの(小)アルメニア王国)のRubenid dynasty (ルーピニャン朝)、左下に紀元前1世紀のArtaxiad Dynasty (アルタクシアス朝)、左上に7〜11世紀のBagratuni dynasty (バグラトゥニ朝)のそれぞれの象徴が、真ん中のMount Ararat (アララト山)を囲んでいます。

アララト山は旧約聖書やヘブライ語聖書で記述されているNoah's Ark (ノアの方舟)が洪水の後、漂着したといわれる山で、かつてアルメニア人が多く住んでおり、国章の通り、アルメニア人にとって象徴的な山ですが、現在のアルメニアにはなく、国境を挟んだトルコ側にあります

<続く>

本記事ーー19世紀初頭バイロンの足跡をたどる記事ーーは最初はここから開始しました。
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