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サーティーズ。各種国コードCオリンピック。国とは?その19。―閑話休題(再三) [2006年10月19日(Thu)]

<承前>

ハンニバル29歳、ナポレオン31歳、バイロン28歳、そして今回は紹介しなかったカール大帝26〜31歳。それぞれのアルプス越えのときの年齢です。バイロンはともかく、何万の命が30歳前後の彼らに委ねられていたわけですが、今日からみると隔世の感がします。

ハンニバルがピレネーを越え、フランスに入り、現在のRégion Languedoc-Roussillon (ラングドック・ルシヨン地方)Département Gard (ガール県)Arrondissement Arrondissement de Nîmes (ニーム郡)のVergezeヴェルジェーズで休営したおり、Les Bouillensとよばれるところで発泡性の飲料水を「発見した」との伝承があります。 Bouillensは英訳するとboiling (沸騰している)です。この土地を1898年に医者の Louis Perrierが購入した後、英国のSir St. John Harmsworthジョン・ハームズワース卿に転売され、同卿がこれを瓶詰めにして商品化した物が今日 Perrier (ペリエ)の名で親しまれているものです。

後日、エヴィアンを少し詳しく紹介したいと思っていますが、「日本人は水をただだと思っている」といわれた時代から、ガソリンより高い水が売買されることを若い世代は当たり前のように思っているという時代への変換はあっという間でした。そもそも、上水道の整備は、それこそ、このペリエの源泉のあるガール県のホン・デュ・ガールに代表されるローマの水道路からして有名ですが、浄水は、バイロンの時代の19世紀初頭からはじまり、瓶詰めされたミネラル・ウォーターが商品化されたのは19世紀後半、世界で飛躍的に売られるようになったのも第二次大戦による欧州への米軍進駐後などともいわれ、「最近」です。

その背景には、都市への人口集中、感染症の流行、感染症と飲用水の関連の発見、工業による汚染などがあげられますが、わき道からさらにわきのわきに逸れてしまう一方、それこそウォーター・バロンや民営化など、水問題は「公益」を考える上で重要な問題なので、別の機会に譲りたいと思います。

<続く>

本記事ーー19世紀初頭バイロンの足跡をたどる記事ーーは最初はここから開始しました。
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