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ハンニバルの恐怖。各種国コードCオリンピック。国とは?その18。―閑話休題(再三) [2006年10月18日(Wed)]

<承前>

さて、ナポレオンはHannibal Barca (ハンニバル)のアルプス越えSecond Punic War (第二次ポエニ戦争)を頭に描きながら越えたのではないかといわれますが、ハンニバル率いるカルタゴ軍の通ったルートには多数の説があり、ここよりかなり南ではなかったかといわれます。

紀元前218年、カルタヘナを春に出発し、ローヌ川に9月に到着した歩兵3万8千、騎兵8千、象37-39頭はアルプス越えを紀元前218年10月に開始します。この時点で歩兵2万9千、騎兵6千9百、象20頭の一行も、ポー川の平野部に16日後たどり着いたとき、歩兵2万、騎兵6千、象17頭となっていました。

実戦上の有効性はともかく、ハンニバルは戦象の増派、補給をとりつかれたように本国に頼みました。ハンニバルの乗った、アフリカ象よりは一周り小さい、インド象が数頭のほかは、進軍した戦象はさらに二周り小さい、高さ2メートル少しのマルミミ象が中心だったとされます。反ローマ主義一徹でかつ十分な戦象さえあればFirst Punic War (第一次ポエニ戦争)でも勝てたと信じて止まなかった、父、Hamilcar Barca (ハミルカル・バルカ)将軍に戦象の重要性をハンニバルは叩き込まれたといわれます。。

戦象は、アレキサンドリア大王の使用でも良く知られるように、インド、ペルシアなど、昔は各地で戦闘に使われており、将棋やチェスの源流といわれるインドのChaturanga (チャトランガ)や中国の象棋 (チャンギー)でも象の駒が使われています。象棋では象は河を渡れません。紀元前228年、ハンニバルの父ハミルカーは像の背で溺れ死にました。

とまれ、ローマの覇権が未だ、カルタゴがライバルだった時代、ハンニバルのイタリア半島での連勝は本国の非協力によってついえましたが、Hannibal ad portas! (ハンニバルが門に!)というラテン語の言い方が2000年を経た今にいたるまで、母親がいうことを聞かない子供を脅すときに使うといわれるほど、ローマ人に与えた恐怖は奥深いものだったようです。

<続く>

本記事ーー19世紀初頭バイロンの足跡をたどる記事ーーは最初はここから開始しました。
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