アルプス越え。各種国コードCオリンピック。国とは?その17。―閑話休題(再三) [2006年10月17日(Tue)]
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<承前>
スイスでの夏の滞在の末、1816.10.05にはナポレオンの足跡を辿り、バイロンはローヌ渓谷経由、アルプスはSimplon Pass (シンプロン峠、2005m)を越える、イタリアへの旅を開始しました。1週間後ミラノに到着、約2週間の滞在の後、1816.11.10にはベニスに着きます。 ナポレオンは1816.05.20、約4万の軍隊と3000頭の馬とともにGreat St Bernard Pass (仏 Col du Grand-Saint-Bernard、 伊 Colle del Gran San Bernardo、グラン・サン・ベルナール峠、2469m)を越えました。ナポレオンのアルプス越えです。 Bernard of Menthon (ベルナール・ド・マントン)はフランスの裕福で高貴な家庭に生まれましたが、キリストに身を捧げることを決めた、父親に決められた結婚式の前日、イタリアに逃げ、戒律の厳しいベネディクト会に入りました。その後、pagan (異教)性の残るアルプスに赴き962年、Aosta (アオスタ)大聖堂の助祭長となりました。そして、この峠を通る、仏、独からローマへの巡礼者たちへの世話を含め、修道院、遭難者の救助を目的とした施設、hospice (ホスピス)をたて、その後、少し南のLittle St. Bernard Pass (小セント・バーナード峠)にもホスピスを作るなど、それらの功績によりベルナールは聖人として1681年に列せられ、その名がこの峠の名となりました。 山の救難犬、Saint Bernard (セント・バーナード)犬もその名の通り、ここに由来し、ここで17世紀に少なくとも遡って育成されてきたことも確認されています。もっとも、バイロンの頃までは、 Saint Dogs、 Alpenmastiffとよばれていたようです、当時、多数の遭難者を救出した同犬、バリー (Barry、1800-1814)に因んでBarry Dogsとして名を馳せていたようです。 ナポレオンはワイン、21,724 本、チーズ1.5トン、肉800キロ消費し、4万フランの未払い金が修道院にのこされ、50年後に18,500フランをようやく受け取り、1984年5月に仏大統領François Mitterrand ミッテランが形式的に清算を行うまで債権が残っていたようです。 さて、ナポレオンはこのときのアルプス越えの経験をもとに、将来のイタリア遠征に備え、シンプロン峠の道路を「大砲が通れる」よう7〜8メートルへと同年9月には拡幅整備をはじめさせ、完成させた1806年には宿をここのGabi (ガビ)にとりますが、そのとき支払われた金貨が記念にのこされているそうです。完成から10年後、ナポレオンがイタリアの西の沖合いのエルバ島を脱出して百日天下をなした翌年、バイロンがここを利用したことになります。 これらの道は難所であったとしても、ローマ時代から、「塩の道」として、ローマと「外界」をつなぐ要所であり、モントルー・ジャズ・フェスで以前紹介しましたシヨン城が、それらの時代からのチェックポイントだったわけです。 <続く> 本記事ーー19世紀初頭バイロンの足跡をたどる記事ーーは最初はここから開始しました? |




