勝ち、負け、引き分け? [2005年11月10日(Thu)]
少し昔の今年の5月22日の「The Chronicle of Philanthropy=クロニクル・オブ・フィランソロピー」に、「Win, Lose, or Draw?=勝ち、負け、引き分け?」という記事がありました。
http://philanthropy.com/free/articles/v17/i15/15002501.htm 要はポーカー、カード・ゲーム等の「収益」を公益事業の資金源とすることを巡っての議論です。元々、米国においてはネイティブ・アメリカン=先住民にとっての有効な「授産事業」のの一つとして、鮭や数の子などと同じように、地域によりカジノをネイティブ・アメリカンの独占的な事業とする体制が整えられている国柄なので、賭け事が公益事業の資金源となる事自体は、英国の競馬や宝くじなどと同様、話題を殊更起こすものではありません。 この記事では意識的、無意識的な費用と収入の比率、配分の不均衡をめっぐての論議を紹介しています。簡単な例でいえば、チャリティ・イベントなどでよくあることで、本来チャリティを集めるためのイベント(赤字になるのは論外として)自体の経費規模が、寄付の規模に対して、大きすぎるのはいかがものか、どのくらいまでならば許容出来うるかという論議です。 政治資金とするために、出費が抑えられる政治家のパーティとは逆に、自らの「慈善行為」そのものをPRしようとするあまり、派手なイベントに大きな経費が費やされるなどして、そもそもの寄付に残されたり、集まる資金が桁違いに小さくなることは、残念ながら、ままあることです。 1億人を超えるポーカー人口がいるといわれる米国では、ネットで見られるポーカーサイトに見られるように、「ポーカー事業」を行っている企業も非常に多いようです。ポーカーのカード・テーブル・用具などを貸し出す企業と契約して、地域で老若男女によるポーカー大会を行い、その収益を自らの活動費に充てる障害者支援団体、のような話は前述のように基本的に資金調達が上手いといわれこそすれ、問題とする雰囲気は無いようです。 問題は、前述のように、ポーカーの規模が大きくなり、大会自体が奢侈になり、運営費用、しかもそれが請負会社の要求する費用、が大きくなり、本末転倒になる場合はもちろんのこと、この「流行」に目をつけて、「慈善」や「公益」を前面にかかげて、大きな収益をあげようとするポーカー等の運営会社が出現していることに本記事では警鐘を鳴らしています。 人の生き様同様、寄付の動機は様々です。「公益」もしくは「慈善」という行為の主体になることと、みずからは「主体」にならず、金を「寄付」する行為主体であることとの違いまでさかのぼって観念的に考えると、ここには、本質的な問題が潜んでいると感じられます。 「同情するなら金をくれ」という台詞がインパクトを呼びながらも、このひとことをベースに、テレビ・ドラマがストーリーを展開し、人気を博し、話題となったことが思いおこされます。 |