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タンボラ火山、ルソー、MONSTERフランケンシュタイン―各種国コードCオリンピック。国とは?その12。―閑話休題(再三) [2006年09月29日(Fri)]

<承前>

インドネシアは多数の島よりなる国ですが。日本でも馴染みの深い島を北西から列挙しますと、最北西端にはアチェ、央部にはマラッカ海峡を挟んでマレー半島、シンガポールと隣り合わせのスマトラ島、首都ジャカルタのあるジャワ島、バリ島、ロンボク島と並び、その東にSumbawa (スンバワ)島があります。北にボルネオ島やスラヴェシ島、さらに東にはティモール島やニューギニア島をのぞむ、いわば島嶼国インドネシアの真ん中に位置する島です。

スマトラ島沖の地震による津波災害が記憶に新しいですが、当時Dutch East Indies (蘭領インド諸島)のひとつであった、このスンバワ島のMount Tambora (タンボラ火山)は世界の有史史上最大の噴火を1815年に起こしています。

世界の火山の噴火の大きさを定めた指数として米国スミソニアン自然史博物館のVEI: Volcanic Explosivity Index 噴火性爆発指数があります。数字が1大きくなると噴火の大きさは10倍の大きさとなります。タンボラ火山の噴火はVEI 7で、次いで同じくインドネシアのクラカタウ火山の噴火(1883)はVEI 6とされています。例えば、九州南端の佐多岬の南西40kmにある鬼界カルデラは6300年前の、噴出物の量150立方km、タンボラ火山と同規模の噴火の結果といわれます。有史以前しかない、VEI 8以上の超巨大噴火は数10万年に1回の割合で発生しており、最近話題となる生物の大量絶滅などに影響しています。

タンボラ火山の噴火は1812年から始まりましたが、1815年4月5日〜15日ピークを迎え3日間昼まで真っ暗だったといわれます。直接的な死者だけでも火砕流と津波により1万人、疫病と飢饉(ききん)により8万2000人といわれます。。タンボラ火山のあるスンバワ島で三万八千人、西隣のロンボク島では四万四千人の病死者と餓死者があったと言われます。

今年の始め同地を発掘している国際調査隊発掘隊は、東のポンペイともよべるKingdom of Tambora (タンボラ王国)の遺跡が発掘できそうだと発表しています。

さて、これだけ大規模な火山噴火であったため、地球全体の気候に変化を及ぼしたといわれ、翌1816年は「the year of no summer (夏のない年)」とよばれ、異常気象は、農業の不振、飢饉をはじめ、世界中に多くの影響を及ぼしました。

一つは、東海岸から中部、西部、南部へと、米国の西漸運動、いわゆる「フロンティア」魂、西へ西へと開拓を進める動きに拍車をかけます。「manifesto destiny (明白な天命)」、といわれ、カリブ、ハワイはもとより現代の国際政治、世界へと開拓者精神は計り知れなく、広がります。

無数にある話のうち、例えば、餌である大麦の不足が、馬に頼らない新しい運送手段を考案しようと、自転車ひいては個人の交通手段への発想へと繋がったという逸話もあります。

そうした話の一つが、今日の文学、音楽、美術、映画、奇術からゲーム、マンガにいたる、オタク、フリーク、エンスー、マニアの大きな世界へとつながる話が、再び、バイロンの欧州への脱出に話に戻すと見出せます。

バイロンは、夢遊病を論文に医師号を取得した、臨床医師としては若すぎる、20歳のJohn William Polidoriポリドリと従者3名を伴に、欧州大陸に1816年4月26日上陸します。ナポレオン戦争の戦跡であるウォータールーを訪れたり、ラインを旅したりしながら、5月18日にはスイスはベーゼルに到着し、本記事の発端としたレマン湖畔に5月25日を到着します。

6月10日には6ヶ月125louis (ルイ)の契約で、ジュネーブの北東、14キロ、レマン湖をよく望める、今ではジュネーブのビバリー・ヒルズといわれる丘にあるVilla Diodati (ディオダティ館)とよばれる邸宅を借ります。ここをベースに18才のMary Wollstonecraft Godwin (メアリー・ヲルストンクラフト・ゴドウィン)その将来の夫となる24歳のPercy Bysshe Shelley (パーシー・ビッシュ・シェリー) メアリーの異母姉である37才のClaire Clairmont (クレア・クレアモント)との交友を深めます。バイロン28歳の夏の出来事です。

実は、ジュネーブは「人間不平等起源論」 (Discours sur l'origine et les fondements de l'inégalité parmi les homes)「言語の起源についてのエセー=言語起源論」 (Essai sur l'origine des langues)、「社会契約について=社会契約論」 (Du Contrat Social)あるいは、「百科全書」 (L'Encyclopédie, ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers, par une société de gens de letters)で知られる、フランスの著名な啓蒙思想家Jean-Jacques Rousseau (ジャン=ジャック・ルソー)の生地でもあります。

1761年に発刊されたルソーの恋愛小説「ジュリ または新エロイーズ」 (Julie ou la nouvelle Héloïse)は、欧州でベストセラーとなりました。実はこの小説、この地を背景にしており、バイロンやシェリー一行は、この小説の舞台を辿りながら、レマン湖を船旅します。実に、そのとき、バイロンは、以前紹介しました、モントルー・ジャズ・フェスのビル・エヴァンスのアルバムのジャケットとして紹介した「シヨン城」を湖岸にみます。

ところで、このレマン湖での夏も「夏のない年」であり、悪天候下、バイロンのVilla Diodatiディオダティ館の邸内で過ごすことが多かったといわれます。客人たちが嵐で足止めされた、ある晩、今も昔も東西変わらぬ、夏の夜の怪談話をはじまり、皆で当時はやっていたドイツ起源の怪奇小説集Fantasmagoriana(ファンタスマゴリアナ)を朗読してたときのことでした。

バイロンは、その中の一つの話である、旅行者グループがお互いの超常現象話を繋げる話に着想を得て、お互いに「恐怖小説」を書くことを提案しました。

その結果、バイロンは完成しませんでしたが、シェリーは「フランケンシュタイン」ポリドリは「吸血鬼」を書き、前者はご承知の通り、空前のヒット作となりました。

<長くなりましたので、この項次回に続けます>

余談ですが、ディオダティ館での出来事は、浦沢直樹のMONSTERの絵本「なまえのないかいぶつ」の話に、なぜか筆者にはつながって感じられます。

本記事ーー19世紀初頭バイロンの足跡をたどる記事ーーは最初はここから開始しました。
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