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各種国コードCオリンピック。国とは?その9 。大英博物館からラッダイトへ。―閑話休題(再三) [2006年09月25日(Mon)]

<承前>

さて、第7代エルギン伯トマス・ブルースは、オスマン帝国への英国からの大使としてイスタンブールに赴任し、同帝国領であるギリシアのパルテノン神殿の調査を開始します。ナポレオン率いる仏軍を英国とともに撃退した直後のスルタンから許可を得て、二コルを助手に多くの彫刻を剥ぎ取って1806年英国へ持ち帰りました。批判も多々ある中、1816年には英国議会がエルギン・マーブルといわれるこれら彫刻を買い上げ、大英博物館に収蔵、公開され、ギリシア古典への憧れ、英国ロマン主義に拍車をかけました。

バイロンも当時の批判の旗手の一人でありましたが、1970年代、ギリシアの文化・科学相であったMelina Amalia Mercouri (メリナ・アマリア・メルクーリ)は英国に対してエルギン・マーブルの返還要求を強めました。アテネ・オリンピックでの新展開を噂されながらも、英国のみならず、フランスにも突きつけられている数々の返還要求同様、未解決であります。

こうした問題の解決の糸口がオリンピックにこと寄せて探られるのもさることながら、英国を筆頭とする「博物学」「博物館」果ては「植物園」「動物園」というものが何であるか、「国」とは何か「世界遺産」とは何か考えるには、この問題に関する大英博物館の公式見解や世界中の論説がかっこうの材料です。

さて、メリナ・メルクーリは、かつてキリン・ビールのCMあるいはオールディズとしてロリポップでもリバイバルしているChordettes (コーデッツ)による同名の主題歌が1961年の世界的ヒットにもなった「Never on Sunday (日曜はダメよ)」(1960)でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞した女優です。

因みに、娼婦であるメルクーリが、日曜日は休業日で自分のために大騒ぎする日という意味のタイトルだそうです。古くはキプロス島の王である「ピグマリオン」が現実の女性に失望し、理想の女性を彫刻、アプロディテが生命を授け、妻としたギリシャ神話にはじまり、同名の1938年のバーナード・ショウの芝居から、1964年の大ヒットミュージカル「マイ・フェア・レディ」へと繋がる話と言われたりします。

彼女は欧州連合(EU)加盟国が毎年一カ国ずつ、自国内の一都市を「欧州文化都市」として選定する「European City of Culture、2004年以降は the European Capital of Culture (欧州文化都市)」の提唱者でもあり、最初は1985年にアテネから始まり、多くの都市が様々な大規模イベントを行ってきました。

また、メリナ・メルクーリに因んで、ギリシャの国内外の彫刻の保存、最終的には、「戻ってくるエルギン・マーブル」を収蔵品の一部とするNew Acropolis Museum (新アクロポリス博物館)建設を目的の柱の一つとするNPO、Melina Mercouri Foundation (メリナ・メルクーリ財団)が設立されています。

多くの財団同様、「理事会」「評議委員会」は財団の「顔」でありますが、この財団のHonorary Committee (名誉委員)には次の通り、日本でもよく知られる、欧州各国の名士が並んでいますし、
Mario Soares、Richard von Weizsacker、Jack Lang、Federico Mayor、Manolis Korres、Sir Sean Connery、Mstislav Rostropovich、Paul Newman、Joanne Woodward、Jack Valenti、Leon Karapanayotis、Sir Peter Brook、Costa Gavras、Yiannis Moralis、Julie Christie、Sir Ian McKellen、Nana Mouskouri、Agnes Baltsa、Princess Sadruddin Aga Khan、Marios Ploritis、Michael Sakellariou

財団設立メンバーにもフランスのFrancois Mitterrand (フランソワ・ミテラン元大統領)を含め、次のような名士が並んでいます。Lord Yehudi Menuhin、Robert Browning、Odysseas Elytis、Prince Sadruddin Aga Khan、Iannis XenakisJacques-Yves Cousteau、Helen Vlachos、Sir Peter Ustinov。

欧州社会の深く、広いコンテキストを垣間見せています。

さた、バイロンはグランド・ツアーから帰英後、詩作がベストセラーになり、流行作家として浪費と借金とを繰り返しながらも豪奢で放蕩な生活を拡大しつつ、念願だった議員としても登院し、ラッダイト運動にシンパシーを寄せた演説で名声も得たものの、その後、「女性問題」が原因といわれる欧州への長い不帰の旅に出ることになります。

<詳しくは次回以降、バイロンをさらに続けます>

本記事ーー19世紀初頭バイロンの足跡をたどる記事ーーは最初はここから開始しました。
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