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各種国コードCオリンピック。国とは?その7 。ビル・エヴァンズから宗教改革へ。―閑話休題(再三) [2006年09月22日(Fri)]

<承前>

MONTREUX JAZZ FESTIVAL (モントルー・ジャズ・フェスティバル)は、ローザンヌの商業高校を落第し、中退したため、料理人として修業した結果スイスで最高の若手料理人と評されることになりながら、著名なEcole Hôtelière in Lausanne(ローザンヌ・ホテル学校)に通いなおした後、同地の観光局のアカウンタントになった、ジャズ・ファンのClaude Nobs (クロード・ノブス)が、いわば町おこしのためと局長を説得して1967年に始めたものです。

以前、米国の「インディーズ・レース」がNPOの主宰と紹介しましたが、モントルーのジャズ・フェスもまたNPOによって主宰されています。Claude NobsをPresident (理事長)とする、年間予算700万ドルのMontreux Jazz Festival Foundation (モントルー・ジャズ・フェスティバル財団)によってフェスティバルに毎年20万人の参加をみるようになっています。

このフェスの成功は多分にクロード・ノブスの熱意もあると思われますが、例えば、この初期のフェスでのライブ録音であるBILL EVANS ( ビル・エヴァンス) の「AT THE MONTREUX JAZZ FESTIVAL (モントルージャズフェスティヴァルのビルエヴァンス)」の中身とともに、ジャケットに象徴的にみられる魅力があります。

このアルバムは実際はCasino de Montreuxでライブ録音されたものですが、ジャケットはChillon Castle(シヨン城)の写真です。このレマン湖に浮かぶかのように突き出たこの城はターナー、ユーゴーなど欧州各地の数々の画家や文筆家を魅了したように、如何にもヨーロッパの歴史と伝統を感じさせるもので、米国のジャズ・プレイヤーはもとより、世界中からの観客をひきつける核心がここにあると思われます。

このモントルーから少しに東よりローザンヌ方向のレマン湖岸沿い、山が迫る岩島の上にあるこの「城」は、いわゆる居城でなく、元々は関所のようなものだったそうです。文献上は1160年からの確認されているようですが、古くはローマ帝国時代からのローマへ通ずる道への関所として機能していたと見られる発掘品が出ています。

この城が魅力的なのは、13〜14世紀からサヴォイ公の夏の居城として修復され、湖畔側が中世からの居城、山側が古代からの関所という2面性をもつ構造であることが一つであるといわれます。

一方、その華やかさや美しさとは裏腹に、ここを訪れた英国の詩人George Gordon Byron (ジョージ・ゴードン・バイロン、第6代バイロン卿)によって1816年に書かれたThe Prisoner of Chillon (シヨン城の囚人) にいよって決定的となった、それこそロマンティックでかなしいイメージもあります。

「シヨン城の囚人」は、サヴォイ公に抗し、ジュネーブの独立を維持しようとする活動などにより、4年間地下牢に囚われたジュネーブSan-Victorサン・ヴィクトル修道院長のFrancois Bonivardフランソワ・ボニヴァールのことです。1536年にスイスのBernesseベルンの人々によりシヨン城が陥落し、解放されるまで、4年間囚われていました。

1536年のジュネーブといえば、、同市に旅行中のJean Calvin (ジャン・カルヴァン)が同市での宗教改革に協力要請を受け、以後30年近くにわたって神権政治をまさに始めた時期と土地柄です。その後のプロテスタントへと繋がる系譜の源です。ジュラとアルプスの山々の狭間のこの地は地政学的に見ても、ローマ帝国時代、ローマと「外」との区切りであったように、ローマはヴァチカンの法王庁と争うことになる新勢力、宗教改革の前線でもあったわけです。

長くなりました。シヨンのバイロンから国防省、マイクロソフト、競馬、アラブなどへとつらなる話は次回に続けます。
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