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補題――暦とは(その4)――旧暦対照表 全日版の少し長めの註釈その1――ユリウス通日 [2016年03月16日(Wed)]

承前

暦はローカリティとグローバライゼーションの交差する典型だ。
アジア社会のグローバライゼーションに西欧社会のグローバライゼーションが重なった、日本の暦の由来や起源、考え方を記しだすとキリがない。
とりあえず、そうしたものはなるべく、別に譲り、作成した暦の表を実用するための最低限の解説を紹介したい。
なお、本項では、明治6年に日本が西暦、グレゴリオ暦を採用した以前のものを「旧暦」とよぶ。
因みに、グレゴリオ暦は現在、世界の殆どの国々で使われているもので、西欧で始まったもので、一般的に日本では「西暦」とよばれているものだ。欧州諸国ではユリウス暦がその前に使われていた。「西暦」については後述するように若干の注意が必要だ。
本項は国立天文台の「暦Wiki」をはじめ多数の資料・サイトを使用・参考にした。
まず、最左欄から
今回は。連番、そして、ユリウス通日について解説したい。

1.≪連番とユリウス通日

○期間

連番は1000010から順に10おきにとっているので、「期間」を求めるときは、連番の差を10で割ればよい。

1000010

甲寅

嘉永

7

1

1

先勝

辛丑

1854

01

29

1854

01

17

○この表の最初の日のユリウス通日

嘉永711日の正午(現在通用している日本中央標準時)は「ユリウス通日」でいうと

2,398,247.62500 だ。

1069430

癸酉

明治

6

1

31

先勝

癸未

1873

01

31

1873

01

19

○この表の最後の日のユリウス通日

明治6131日の正午(現在通用している日本中央標準時)は「ユリウス通日」でいうと

2,405,189.62500 だ。

○この表の任意の日のユリウス通日

従って、この表の任意の日の正午を「ユリウス通日」で表すには、

「連番」を10で割り、2,298,246.625を加算すればよい。

2.ユリウス通日の概要

◎年月から独立し、「紀年法」を超えたユリウス通日

ユリウス通日は様々な「暦」、「calendar era 紀年法」で共有するための年月は使わず日数だけの数え方。

この後、順をおって解説したいが、とても長くなるので、とりあえずのポイントは

@「1日」という区切りは、「1日」の内のどの時刻を区切りとするか(日の出か、「0時」か等)は別として、地球に住むすべての人間にとって、地球の自転という、自然の営為によるもので、人間の力では変え難いものであり、共通しているのみならず、人間の営為に大きく影響している。

A他方、「年」や「月」は、人間の居住地や信仰の違いによって違う「暦」によって違うとらえ方がされている。

B従って、世界中の人間が共通して使える時のとらえ方としては、つまりは「暦」を超えてとれるには「日」の単位しかなく、ある日をその基点として、通して何日目か表現するために考案された。

Cこの基点として、当時の考案者にとって、おそらくは、暦を超えて、つまりは暦に共通して使える日として、B.C.紀元前4713が基点、最初の日とした。

3.ユリウス通日の基点、0日

B.C.紀元前4713が基点、最初の日

ユリウス暦での、マイナス4712 (紀元前4713) 11日を0日としたときの経過日数のこと。

○通常の暦と違って0日が基点

通常の暦では0日とか0年はない。このため、紀元を挟んだ期間計算がしにくい。

◎表記の仕方

1日以下を時間や分数でなく、小数で表記し、英語ではJulian Date (JD)といい、日だけをいうときJulian Day Number (JDN)といったりもする。

4.ユリウス通日の由来

◎名前の由来

名前は、ユリウス暦の名前の由来として知られる古代ローマ帝国の皇帝のことである説と、別人の考案者の父の名前であるとする説とが混在。

ユリウス日ともいい、混乱が起きやすいにもかかわらず使われており、いわゆる、ユリウス暦の日日との区分は文脈で判断するしかない場合も生じる。

本ブログの表でも簡易的な表記で「ユリウス日」という見出しを使っているが、いうまでもなく、これはユリウス暦上の年月日の「日」付を表すために筆者が勝手につけたもの。

リウス通日を考案したスカリジェとは?

○フランス生まれのスカリジェ

1582年のグレゴリオ暦への改暦の時代、フランスのAgen アジャン生まれで、カルヴァン主義者としてスイスに亡命していた近代における「年代記」のJoseph Justus Scaligerジョゼフ=ジュストゥス・スカリジェ1540/08/051609/01/21により1583年に考案された。

○年代記の再生者

スカリジェはそれまでの様々な「暦」をまとめあげ、Opus de Emendatione Temporum (1583) Thesaurus temporum (1606)により、近代西欧世界にクロノロジー、Chronologie、「編年」や「年代記」という概念を再生、再編成した立役者として知られる。

○ルネサンス「万能人」だったスカリジェの父親

そして、ユリウスは父の名前からとられていると多くで解説されている。父はイタリア生まれであるが、ルネサンス期のフランスで「万能人」として知られており、ラテン語名でJulius Caesar Scaligerユリウス・カエサル・スカリゲル( 1484/04/23 –1558/10/21 )、仏語名でJules César Scaliger ジュール・セザール・スカリジェ、伊語名でGiulio Cesare della Scala ジュリオ・チェーザレ・デッラ・スカーラといわれた。

○名前の由来はローマ皇帝なのか父親なのか

英語版Wikipedia をはじめ、いくつかの資料では、スカリジェ自身が全8集の自作「 Opus novum de emendatione temporum時の補正に関する新考」(1583)の第5集 で "Iulianum vocavimus: quia ad annum Iulianum dumtaxat accomodata est", which translates more or less as "We have called it Julian merely because it is accommodated to the Julian year."とユリウス暦からユリウス通日をとったとして、ローマ皇帝由来だとしている。

○名前の由来は、やはり父親

もっともこの説に対し、そもそも当時、ユリウス暦という言い方がなく、この文意の解釈を逆にとらえた反論もある。反論の中には「デジタル時計ができるまでは、時計とはすなわちアナログ時計だったが、当時はアナログ時計といわなかった」と例示している。

○歴史の一人歩き

筆者ややこの反論に近い感触を持っているが、断言し難いと思う。「歴史」が一人歩きし、時が経つとこうした混同が起きたり、混同が起きたこと自体検証できなくなったりすることはままあると思われる。とりわけ、本題で話題にしている明治の混沌にはそういったものが溢れている。

この暦を巡る名称問題も今となってはわからない。

5.−4712 (紀元前4713) 11日ユリウス通日の0日にした理由

○不揃いな三つの周期のズレ

スカリジェの時代、暦の間の異同の一因でもあった、三つのタイプの時の取り方によって生じる「年」と「月」の間の不揃いが(ほぼ)なくなるのが、それぞれ28年、19年、15年周期であった。

○三つの周期のズレが揃う年

従って、それら全ての「不揃い/周期」同士の「不揃い/周期」がなくなるのは、これらの最小公倍数、7980 (28×19×15) 年おき。

○三つの周期のズレがない日

ユリウス通日を定めるときの直近過去で、この7980年おきの周期が始まる、全ての「不揃い/周期」が揃う日の−4712年(紀元1年から始まって、紀元0年がないので)、紀元前4713 11日を0日目とした。つまり、次に揃うのがおよそ1200年後。それぞれの周期については次の通り。


この項は、筆者が作成した、
の解説の一部です
この補題の最初は
です

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