補題――暦とは(その1)――旧正 [2016年02月09日(Tue)]
本題では、幕末・維新期の資料文献を漁りながら「多文化」というものについて、このブログに書き留めようとしている。 一方、このブログではなるべく、具体的な事象をベースに記そうとしていることもあって、これまでは注釈や傍証のようなものをおりこみながら記述しているため、木の根のようにひろがる傾向があった。幕末・維新期はクニ造りの時期ということで脇道が益々のこと増えていて、休稿状態が続いている。 そこで、このブログのスタイルを本題と休題の他に、注釈や資料等が多くなった場合、補題と副題、解題、ついでに、話題とにでも複線化しようとして思っている。 ということで、今回は、話題と補題を兼ねた「暦」から始めたい。 <旧正> 今年は昨日の2/8が旧正のようだ。 snsを中心に、アジアの友人達のざわめきが始まっている。 旧正月はアジア諸国がグローバライゼーションの波に呑み込まれる以前の暦の上での年変わりの最初の月のことだ。でも、未だに、生活や国家的行事にも息づいている。 <時空間の権力と権威> 暦はかつて、治世者、祭祀者の独占するものだった。度量衡。時・空間を統べて、制する、クニという権力、宗教という権威の、根幹にあるものだ。 政治は「権力」という空間を支えるものとして、時間の権威を希求する。 宗教は「権威」という時間を支えるものとして、空間の権力を希求する。 そうして、人を軸にして、モノという空間、コトという時間にクニと宗教は混沌を惹き起こす。モノガタリが押し込まれ、保管され、コトワリが放たれ、拡散される。 クニと宗教の合従連衡は現代にいたるまで続いている。 <モノガタリとコトワリ> でもクニや宗教もさることながら、人もまた強欲であったり、自由を希求したり、未知に憧れたり、と果てなく落ち着かない。 暦は日夜の交代、月の満ち欠け、そして季節の変化がほぼ同じように、つまりは微妙に違うことが反復されることに気づいたこと。 そして、生き物や自然がそれに合わせて変化することへの気づきから始まったのかと、現代人の感覚だと思う。 しかし、ルソーが語ったように、おそらくは「自然」とともに生きていた「古代」の人々には気づくどころか、初めから、「分かって」いたのかもしれない。「自然」からの離脱につれて、あるとき、失われそうなときになって、初めて、気づいた百人目か百一人目の気付いたヒトがいたというのが、事実かもしれない。 「2001年宇宙の旅」の類猿人が興奮して骨を振り回しているうちに、突如、「降りて来て」、武器に使えると気づいたのと、いわば、反対の現象だ。映画のように、モノリスのせいかどうかは分からない。 <アジアの旧暦> とまれ、亜熱帯から温帯に広がるアジアの旧暦の多くは、そうした中で太陽太陰暦を物差し、事起こしに使ってきた。 地球の地軸が傾きながら太陽に対し安定して自転、公転していたからこそ、大気と大地に、太陽から熱と光を規則的に変化させて享受してきた。 しかも、比較的大きな衛星、月が、地球の周りを公転しているがために、満ち欠けによって、潮汐の干満などの重力場の周期的な変化と、夜に闇と明るさの変化も周期的に提供してきた。 「自然」の息使いだ。 <内海―欧州、多島嶼―アジア> しかし、海を内に囲みながら生長してきた地中海欧州社会と、青龍、朱雀、白虎、玄武と多島嶼という海を外に囲まれてきた多島海アジア世界。が、塩っぱさの違いにはじまり、社会の成り立ちにも大きく影響してきたようだ。 人間が「文明」を持ち始めるより前から地球は大陸移動も遠に終え、今の形になった。 <海と陸のバランス> 海の深さの平均はちょうど富士山の高さくらいで約3.800メートルである一方、陸地の平均の高さは840メートルくらい。つまり、海中世界の方が4.5倍深い。 また、海洋面積は362,822,000平方キロメートルで、陸地面積147,244,000平方キロメートルの2.47倍、およそ2.5倍広い。 海面下の海水の総量は海面より上の陸の土の総量より、およそ11.2倍だ。 つまりヒマラヤ山脈、サハラ砂漠から富士山、関東平野までの世界の岩石や土の総量の11倍に等しい海水が地球を大、中、小に巡りながら循環している。 <海洋循環> 大気も循環しているが、それに比べて、ゆっくりと大量に、海水は循環している。 軽い大気が気体や水蒸気、そして粉末状の固等の物質循環と熱循環を行っているのに比べると、重い海洋は大規模、長年月で循環している。 ともに地球の自転と月の公転の影響を受けている。 そして、大気は地球の公転、海洋は月の公転を加味しながら、大気は、太陽光に影響され、日々の天気や季節を作り、海洋は気候を作ってきた。 海洋は海面に近いところでは、南北で対称的に、赤道に引きずり込まれるように、大西洋、太平洋では大きく東に向かっての渦をまいている。北は時計周り、南は反時計周りだ。因みに、赤道近くの限られた範囲と南極大陸のまわりでは、東から西に向かって一年中回っている。 <深層大海流> そして、大地の11倍の海水が、全体として、1,500年から2,000年という長い周期で、「水平」にだけでなく「垂直」にも回っている深層大海流と連動している。 「垂直」というのは、地球規模の海水の対流のことで、冷たく重い海水が海底に、温かく軽い海水が海面にと循環している。北太平洋で上昇し、北大西洋で下降している。 「水平」には、Vの字に、赤道を越えて、海面近くでは東から西へ、海底近くでは西から東へと、循環している。 太平洋の北東、アメリカ大陸の西北岸、カリフォルニアの北、アラスカの南辺りで、海底から上の海面方向に上昇し、南に向かいながら北アメリカ大陸をなでる。アメリカ西海岸、ウェストコースト北部には、海底と森林、河川からの恵みが合わさり豊かな漁場ができる所以だ。 この流れはやがて、南行を続けるものの、東行から、沿岸部を離れて、西へと向きを変える。そしてハワイをなで、そしてインドネシアやパプアニューギニアの島嶼群の辺りで通過しながら、赤道と斜交する。 インド洋を南西へと向かい、途中インド南方からのもう一つの上昇流と合流して、アフリカ大陸の南端から北上し始め、赤道辺のアフリカ大陸の西の凸部辺りからアフリカ北部、イベリア半島、イギリスなどユーラシアを撫でながら、東向きに北上する。 そして、大西洋の北のグリーンランドの南辺りで海面から海底方向に下降している。 この大循環のメカニズムや実態は、大規模で長期のものなので、良く分かっていないことが多い。 1,378,723,600立方キロメートル、13.8億立方キロメートルの海水だ。10億は1の後に0が8個の単位だ。1立方キロメートルは10億トンで、同じく8個だ。つまり、0が16個の桁数のトン数。1.38百京トンの海水の大循環なので、コマのように安定して回り続ける。 最近の研究の一つでは、月の公転による地球への引力の振幅によって生じる潮汐力の振幅が潮流と干満を起こしているが、それは海面下でも乱流を起こし、大循環が持続する小さな駆動力、サーキュレーターが小さな渦を取り囲むように大きな風を補強するといわれるような流れを起こしているようなものらしい。 <安定装置。重い海洋> とまれ、海洋は水や熱の「安定的」な塊として、大気の日夜や四季の動きと拮抗しながら、大陸の沿岸部、大陸の内陸部、大陸の東西南北によって気候の性格に大きく寄与している。因みに地中海の平均水深は1,800メートルしかなく全体の平均に比べて浅いことや、他の海と殆ど断たれていることもあって、大きく「安定」に寄与している。 <地球の自転。サーキュレータ―。身軽な大気> 大気は、海水に比べると身軽に、大中小の3つの捻りのあるドーナッツが赤道の上下、南北に6つ重なっているかのように、それこそ、サイクロン型のサーキュレーターのように高低に渦を起こしながら回っている。 北半球でいえば、赤道のすぐ北の渦、大きな渦巻きドーナッツは、垂直面で横からみると、空から陸に向かっては時計回りに、水平面で上空から地表に向かってみると、東北から西南に向かって渦を巻いている。貿易風だ。 その上の北回帰線くらいの北にある中くらいの渦巻きドーナッツはその逆に渦巻いている。偏西風だ。 さらに、その上には、65度以上くらいから逆向きになっている。 これらは、基本的に、地球の自転によって起きる。 <地球の公転。地軸の傾き。季節。季節風> 一方、地軸(地球の公転面に対する自転軸)が傾いているため、赤道を挟む南北回帰線の間は太陽の熱を一般的に強く受ける中でも、一年中強い太陽の熱を受ける赤道辺に比べると、その南北は相対的に太陽の熱の強さに変化が起こり、夏と冬に反対向きの季節風といわれるものが起きる。 これらは、海岸部における海風と山風のように、沿岸部で日夜の境目で起きる、陸地は暖まったり冷えやすかったりする一方、海水は暖まりにくく冷えにくいために起きる風に似た、地表もしくは海表の近くの温度差の変化によるものに似ている。真昼や真夜中だと同じような温度で安定しているが、日の出や日の入りの頃だと海と陸で冷えたり、温まったりする速さが違うためにおこる風だ。 これが、大陸全体と海洋全体との間に大規模、かつ、日夜よりは長期にわたっての夏至と冬至を境目にした寒暖の上下によって引き起こされる。従って、これらは、大陸と海洋の現実的な配置、地形に左右されるのはいうまでもない。さらにそれら要因と前期の回帰線より内側か外側か、つまりは緯度によって偏西風か貿易風が恒常的にどの程度あるかで、増進されるか、減退されるかの差が出て季節風と呼ばれるほどのものになるか違っている。 <北回帰線の北か南か> こうして、北回帰線から北極にいたる欧州社会と、北回帰線から赤道にいたるアジア世界の違いは天上の太陽が天下を真上に照るかどうかの違いのみならず、風雨や温暖がどのように変化するか、速さ、強さ、期間などに様々な「気候」「風土」から「文化」「社会」の差が生じる。 <地軸の傾き。変化。時の刻み> もし地軸が傾いていない(地球の自転している軸が、地球が太陽に対して公転する円の描く面に対し直角)とすると日差しの変化はなく、極地のみならず、両極に面した斜面は、昼夜を問わず、常時、暗黒、極寒。その逆に赤道に近いところは常時、炎天下だ。 一年中不変なので、仮に生き物がいたとしても、そもそも、一年という周期に気づかないのは勿論のこと、生活には関係なく、一日の時間という刻み以外は必要ないものだったであろう。 地軸の微妙な傾きと、大陸や海の微妙な配置が、「気候」「風土」から「文化」「社会」の差を生じさせた。 <空間への挑戦、固有性。時間への従順、共有性> 人間は「空間」に対しては若干の手を加えることを覚え、それこそ、地球の南北東西に、陸地に限定はされてはいるが、ハビタス・ゾーン、居住地を広げた。空間的な度量衡はその分、各地で「人間的」に様々に変遷してきた。 しかし、人間に比べると、あり得ないくらいの長久の不変を保つ、地球や月の公転・自転のような、絶対的・超越的な基準が、当然のように自然に、疑いようもないくらいの「時間」に関しては、比較的早くから、共有すべきものが同時多発的にできてきた。 <グローバライゼーションへの拮抗> その分だけ、逆に、迷信といわれるようなものを含めて、信心によるものを初めとした「権威」や「権力」、それに抗する「民」によって微妙な差が、根強く、グローバライゼーションが進行しても違いが残ってきた。 それが、暦だ。 |