米国npo活動の多文化性(9)―戦後世界の再編。市場とガバナンス中口上 [2015年12月08日(Tue)]
さて、いつもながら、「米国npo活動の多文化性」も長くなってきたので、とりあえず、この項のこれまでの記事を一覧すると同時に中口上です。 <これまでの目次> <npo、米国からの二つの流れ><戦後復興、災害復興支援と開発支援><市場とガバナンスの交錯><宗教世界、世界宗教> <世界化><世界の寿命><人間の寿命、世代の継承><組織の命脈> <最古のクニ、日本――皇紀><天地明察――西暦紀元前660年><最長のクニだったエチオピア><異国のシバの女王><生き死にが見えないクニ><クニの連続性とは><天下一><天と地の狭間のヒト――混沌の創世神話とクニ><異人との出会い、クニの誕生><為政者の連続性とクニの連続><朝廷ーー為政者一族><振り向けば親戚――西欧の王族><英国の場合――再びクニとは> <なぜ、ウィンザー家か。英国とドイツの戦争><西欧の世界秩序、米国の世界秩序><皇帝の自由主義――学術振興><皇帝の侮蔑と計算――黄禍論><迫る東洋、団結する西洋――プロパガンダ><有頂天になった為政者の自己確認><欧州の「自由」から引き渡された米国の「自由」の女神><被征服民族、解放奴隷への優位性ーーたかが帽子されど帽子><王制と共和制――クニの断続、革命><マリアンヌ、自由の女神――無辜の民><第一次大戦――従妹同士の戦い><大英帝国――ビクトリア女王とその系譜> <ビクトリア女王の系譜><英国王室の閨閥><ジェームズ1世=ジェームズ6世――イングランドとスコットランド><欧州の閨閥><為政者にとってのクニ、人々にとってのクニ><クニとは何か――大国、文明とは><中国共産党幹部の課題図書><ソフト・パワー><アーミテージ・ナイ・レポート><大国の興亡><文明の衝突><中国共産党の世界観><変革期社会の政治秩序><若者よ、マルクスを読もう><フラット化する世界><ビッグデータの正体><暮らしの質を測る><地球の論点><キッシンジャー回想録> <国名><大日本帝國><国号><政体?><自称と他称><メキシコ/アメリカ合衆国><様々なアメリカ><ユーエヌもオヌゥも皆、国連> ◆陸軍大学校第55期に三笠宮崇仁親王<オリエント学者><間もなく100歳><天皇親政、政と軍><29歳まで軍人><日本陸軍の終焉――1945/11/30><軍旗、聯隊旗の奉焼><権威と権力の象徴、軍旗><錦の御旗><官軍と賊軍を分かつもの><秘密裏に用意された錦の御旗><微妙に綻びのある解説><近現代史にとっての真実><生々しい過去><官製の歴史><歴史の定着><物証の岐路><軽重を超える拡散><明治百年記念><錦の御旗の意匠とは> <トンヤレ節><陸軍の祖―大村益次郎><出版人夫人―田中治兵衛夫人><勤皇芸妓――中西君尾><佐幕、勤王、勝てば官軍><人語り、物語り、そして歴史><革命――魁傑そして魁儡><維新侠艶録><女のための維新史><勤皇藝者><実話物><小野蕪子もしくは小野賢一郎><ジャーナリスト、小野賢一郎――陶人・俳人、小野蕪子><京大俳句事件><傷ましい過去、生々しい現在><さかさ> <勤皇烈女><維新侠艶録><維新祕史 英雄と女><勤皇藝者><東京日日新聞社社会部><日本人のはじまり、幕末・維新物><様々な節回し><国産西洋音楽一号><クニの音楽><音楽とは――音楽には国境がないのだろうか?><様々な歌詞―誰が誰に向かってうたったのか?><最初の軍歌、国民歌―軍、そして、国民の誕生><二重三重、多重の思いと思惑><転換期の痕跡><書記法の大転換><書記法の平準化><書く、読む、の平準化―日本語の誕生><四民平等・集権的国家の軸たる共通言語><国家の統合、言語の統合><官軍、国軍の「合理」−話し言葉の平準化、標準語への始点><カレーから言語まで、衣食住の四民平等、標準の誕生><権威と権力の相補性><内に向けての権威と権力、外に向けての権威と権力><権力頼み、権威頼み――国家・軍への誘惑><権威と権力の維持、誇示と表現の平準化と統制の間の薄膜><権威にとっての歌舞音曲><国民唱歌の誕生> 最初の口上のように、この項では、米国のnpo活動の多文化性を通じ、日本のNPO、NPO活動の多文化性について考えてみたいと思っています。 <戦前、戦後を通じての日米関係> 何故、日米か、何故多文化性かといえば、最初の記事の通り第二次大戦後、そして、明治以降の戦前も、日本というクニにある、日本のnpo活動が、20-30年おきくらいを節目にして多分に米国の「関係下」にあると思われるからです。 <クニとマーケット> それは、npoを「囲む」クニ=国やマーケット=市場の在り方において、日米が相同的であるかと思われるからです。 <会社> 何故かといえば、非営利=NPOは営利=POに対する相補的、一対になった概念であるからです。財団法人をはじめとする法人が「法人法」が「民法」から離れて「会社法」に接近しているように、その相補性は増すことすれ減じてないと思われます。 <政府> また、NGOがNPOと接近している日本において、非政府=NGOも政府=GOに対する相補的、一対になった概念であるからです。対外的にクニ同士の連合や同盟が複雑化している現在、クニの内部での政府が強調されていく傾向にあってなおさらなことと思われるからです。 <組織> それはさらにいえば、本ブログが他の項でも追求しようとしている、NPO、PO、NGO、GO、に共通するO=組織において、西欧に発して、米日ともに急展開した「組織」の相同性があるからと思われるからです。 <法人> とりわけ、世界中が先進国も、途上国も「自然人」の繋がりである、地縁、血縁といった従来の縁が解体していく現在、「組織」とりわけ「法人」が浮き上がりがちな今日重要なことと思われるからです。 <文化> 組織も縁も、ヒトの育む「文化」として、その糸口に「多文化性」を基点に考えたいと思っています。 さて、本題に戻ります。 <文部省の布達> 明治の始め、文部省は次のような通達を出している。いわば、以前出した法に制限を設けるものだ。 文部省布達全書. 明治六年 第八拾七號 六月十四日 外國教師雇入ニ付心得ノ箇條第一雇入期限云々條下 追加 西教伝教師ヲ学校教師トシテ雇入ベカラズ <御雇外国人> 御雇外国人のことだ。 御雇外国人は最大期に近いと思われる、この布達の頃から四半世紀、政府のお雇い外国人の全体がおよそ500-600人から100人強、そのうち「学術・教師」が100人前後を保ちつづける。 <学術・教師> 1880年代に入って総数が200人前後まで落ち込んだので、半分近くが「学術・教師」になり、1890年代半ばには総数が100人前後となり、つまりは大半が「学術・教師」となった。 因みに、この統計は「大日本帝国統計年鑑」によるものだそうで、「学術・教師」の他は「技術」「事務」「職工」「雑」で「職務」が5分類されている。 <様々な雇手> 「御」雇外国人の「御」は幕府が雇うものだから付いているというのが精確な由来・用法だそうだが、他の用語同様時のみならず使い手によって変わる。ここでは、新政府は勿論のこと、幕府・各藩、「民間」雇用を含めたものとして、緩い概念で記述したい。御雇外国人そのものについては、機会があれば、原初「おもてなし」として詳述したい。 <絶大な注力> とまれ、お雇い外国人については政府関係だけをみても、@大きな人数であったこと、さらに、A報酬についても、これも厳密な額に関しては種々の考証があるが、なべて、極めて桁違いに高額であり、B予算総額においても、旅費や住居費を含まれることもあって、極めて、大きな比重を占めていたことは間違いないといえる。 <細心の留意> また、C出身国は多岐にわたっているし、D基本的に周りや本人がいかに望んだとしても最初の契約期限を延長しなかったようだ。 <クニ造り> 明治維新、如何に、懸命に、外国の支援ではなく、自前のなけなしの資力をもって、大量の人数を、法外な金額で、一挙に、そして、どこまで意識的かどうかは別として、それぞれの国々や周囲の人々が過剰な影響力を及ばし、「主権」を侵害させないように、分散して、一期・短期間の間にメンター、教授、教員、インストラクターを雇いこみクニ造りしたことが分かる。 <伝教師の排除> そして、冒頭の通り、その中でも「脅威」を潜在させると考えた西教伝教師の「外國教師」をまさに、国家として本格化する矢先に、混乱を恐れず、周到に禁じた。 <クニ作りの基本――教育> 廃仏毀釈や禁教令のような荒々しいものではないが、「異教」への警戒はクニ作りの基本である「教育」の策定当初からあった。 <音楽教育の妙> 中でも、今日にいたるまで、諸外国ではあまり例をみない国家による「音楽」教育、「唱歌」と命名された教科は、新国家の学校での教育科目の一つとして組み込まれた一方、実際稼働し始めたのが遅いのは他の理由も様々あるが、慎重さを物語る。 <権威の力づけ> それはクニであろうと、宗教であろうと、軍隊であろうと、それら「権威」に現実的な力を与えるには「歌舞音曲」が重大な役割を果たすからであろう。 <西洋音楽と西教> そして西洋音楽と西教は切っても切れないものだ。「国民唱歌」であれ、行進曲であれ、軍歌であれ、大義が西教をベースにしている以上、「唱歌と十字架」という著書でも指摘されているように、「国民唱歌」の元歌が讃美歌だったり、讃美歌や宗教歌が加味されているのは、意図されたかどうかは別として、避けられないものだったのは明らかだ。 <西洋事物――音楽> 言語は新生「日本語」として統合できたが、「音楽」はもともと、避けがたく西洋のモノだった。この矛盾に近いものと格闘した関係者の奮闘の残滓があちらこちらにみられる。 <国旗、国歌> 本項は、「歌」と「旗」を中心に「多文化性」を考えようとしている。かつて日本で「国歌」と「国旗」が話題になったが、いうまでもなく、ともに、明治起源だ。 続く |