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ブログ再開の口上 [2014年09月28日(Sun)]

ながらく放置していたこのブログを再開しようと思います。

ここのところ、忙しく、fbやtwitterとかには書きつづっていたものの、多くのblogは休載したままでした。

以下は、fbに記したことを再開の手始めにします。「友達」対象のfbなので、見苦しいかも知れませんが、原初blogに近いものと、お許しをこいます。

fbから少し離れようと、fbに「近況」として、極私的に綴ります。

3、4年前の還暦直前から心身の速度が緩やかになるに連れ、逆に、俄かに身辺が忙しくなり、落ち着かない日々が続いてきた。
増えすぎていたブログも、311のとき、休眠状態だったsnsの威力を体感し、乗り換え始めてから、殆ど休眠状態にしてきた。
snsもまあまあの数のアカウントを持ってしまったが、結局はfbをはじめ、常「用」するのは、僅かになった。linkedinのアカウントの関連で結構な分量の知らせがくるが、いずれもついていけない。mixiなんて何処に行ってしまったんだろうか?
fbは、あるネット論者が、自分自身で作る墓碑銘のようだと、雑誌連載に結構緻密に書いてあったことが頭にこびりついたのがきっかけで、強迫されたように、書き続けてきた。
だが、今まで以上に、自分自身の心身がますます緩やかに、世の中がますます慌ただしさを求め始めるのを感じ、主観的な時間もなくなってきたので、ここで、snsから距離をおき、少し、じっくりとするため、幾つかのテーマでブログに回帰しようかと思っている。
再開するもの、場を変えるもの、様々で、どのブログにしようかと、ネットのブログ比較で調べ始めた。
歳とはいえ、未だ枯れ切っていないので、追いたいテーマは今まで程ではないにしても、結構あり、幾つかを括らなければならないと、悩んでいる。

ブログに戻って、今しばらく、少しばかり綴りたいと思うことが三つ。
一つは、社会に出てから生業としてきた40年近い非営利活動の所産に、手前勝手な思いなのだが、自らの所業への責任を果たすためにも、考えざるを得なくなったことだ。
そもそも、古今東西、組織とは何か、何であったか、ということに、ここ10年以上、取り憑かれている。これに連なるのが、国家論や統治論だ。
同質性がまずあって、異質性を排除し、共有物を前提に、対外的に同一性を確保しながら生成するのが、組織ではなかったのか。組織の組織化自体が自己目的化しているのは何故なのか、四六時中ミッション設定や目標確認をしている組織とは、凡庸な現代社会の人間の限界なのか。マニュアル、ルール、点検、ばかりの組織は本末転倒だと思っていたが、ここまでくるとパラダイムシフトの始まりかと考えた方が良いのかもしれない。
昔、日米の二国間の「市民」の間の協力を支援していたときだ。米国にはリーダーシップ、エクゼクティブ研修が矢鱈多く、一方の日本ではマネージメント、ファシリテーション研修やらが無闇に多く、その格差に格闘していた。広い意味でのnpo法体制、社会システムの格差などの外部的な形の違いを克服する作業との両輪のものとして、こうした内部的な形、上下左右の個々の人間関係の違いの克服手順を考えあぐねていたが、組織を成り立たせる個々人、そうしたテーマもここで再考してみたいと思う。
管理とか評価、参加とか調整が劇場のように演じられる一方、虚ろな指導性や振り向くか指差すことばかりの責任論、時間が流れず現実風味のない絆の惹句に疲れを感じているのも同じ並びだ。
会社法や法人法、npo法の行く末も気になる。白い猫も、黒い猫も同じ猫か否かと、議論していたのはついこの間のことだ。いい法人も、悪い法人も確かに同じ法人だ。だが、法人は痛みを感じないし、国家に至っては永遠の命を希求する。本当にそんなことでいいのだろうか。ステーキホルダーは何を一体、何の為に、ホールドしているのだろうか。バブルはいつでも突然やってきては雲散霧消すると思う。
そして最近のイスラム国、ウクライナ、スコットランドやパレスチナ、太平洋諸島などの動静が、柳田國男の委任統治委員会、南洋感覚と連動し、国際npoの生態を綴っていくことになろうかと思っている。

blogで綴りたいことは凡そ三つ。その二つ目だ。

二つ目は、社会に出るに当たって、それまでの自分の生活だった一部をほぼすべて捨象し、生業から遠くに位置させてきたものだ。30年近く離れていたのに、偶然にも生業、そして、311/313によって突如近づいた、技術や科学、それらと人間との関係というテーマだ。
これに近いのが、そのまさに生業とは何かという取留めのないテーマだ。
来るべき情報管理社会に向けての大学での学業に、青き志に動かされていたのは2、3週間だった。その後、ここで多くの友人は得たものの、技術者という界隈にどうにも馴染めなく、実験や観測、ノートという化け学屋や生き物屋の世界から離れて、計測や制御、そして遠隔技術というまさに軍事科学と表裏一体の電気・電子まわりの辺りにとりあえずは避難した。無論、あの時代、峠は越したとはいえ、キャンパスから舗道まで騒然としていたことも無関係ではないが。
しかし、仕舞にはネクタイやポロシャツ姿で、一日一行のペースで数式を解きながら、偏微分方程式の一般解を求めるいうような、割烹着や実験服が全く不用な、世界に学部学生をいれても百人といない、非線形世界の最先端分野に入った。卒論ですら全て理解したのは指導教官だけで、膨大な数学諸分野の援用をベースにするヴァーチャルリアリティに、書いた本人でも理解していたのは隣り合う数式群の論理関係にとどまっていた。試験官に感謝しなければならない。とはいえ卒論は仕舞い込まれ、結局は、堪え性もなく、文系と言われる世界の極北に潜り込み、生業とすることになってしまった。
特に「封印」していた訳ではないが、それから、30年以上、数理の宇宙を生業とは別の時空間においてきた。にもかかわらず、ネット社会の拡大と311/313によって、ここのところ、あちら側にも目を向けないでいられなくjなってきた。

そういった個人的な体感からも、「生業」とは何かを愚考することは、ボランティア活動や企業貢献、或いは社会への参画、引き篭もりが日常的に語られるようになった、昨今の日本では大切だと思うことが嵩じて来た。逆にそうした個人的な体感でしか、生業というものは語れないことが大事なのだと思う。
因みに、大学時代の非線形世界の世界はソリトンという粒子的な波動という目に見える相矛盾する振る舞いのメカニズムの解明だった。先日本屋で立ち読みした医療のmriの世界的権威と記されているNTの新書の新刊での一節によると、このソリトンは複雑系というものの根幹に関わることらしい。複雑系は良く分からない概念だが、この脳の中の水理論を書いている人ということでもあり立ち読みにとどめたが、後でMSの「千夜千冊」をみると、絶賛している。そうみると、サイエンス・ミステリーのような生命潮流の類も、メジャーになり損ねた錬金術の仔細も好きだし、コスプレは趣味ではないがファウンデーションやレンズマン、ペリー・ローダン各種シリーズのスペースオペラの世界に生まれていたらとも思う。料理本、科学本、図鑑を合わせると買書の1/4くらいなので、ここいら辺もテーマだ。
社会人になりたての頃、元T大全共闘のリーダーでY予備校の講師を生業にしていたYYさんを囲んで5、6人で、Yさんの人柄そのものような、実に緻密なガリレオ・ガリレイの読書会をしていた時期がある。理論物理出身であった彼なのに、そうしたホーリスティックな科学史・世界観史というか、数多のソフトな科学哲学史とは違ったハードなものに、その後、時を刻んで数々の賞を受賞する著作群として結実したように、彼はこの若者相手の読書会でも、求道的に取り組んでいた。Yさんの姿勢は、四囲の状況がそういう道に誘導した面もあるとは思うが、今も心から離れない。
一節一節を丁寧に読み解くYさんは、無数に必要とする文献を取り寄せるにも、大学、大学図書館の壁に如何に阻まれるかの悔しさを時折語りながら、それこそ「知性」というものと格闘していた。生業とはそういったものでもあると思う。
ガリレオは内なる神と外なる神の間で格闘していたが、科学や技術が所詮人間の創造物の一つにしか過ぎないという自明に、せめて、たちかえる真摯さが、科学や技術の牛後となっている社会をみるにつけ求められている時代だと思う。
科学すること、言語することは、人間を人間社会の一員にするものだ。それこそ昔、自然哲学というがごとく科学が日常の思惟とともにあり、それらの根幹に観測や分類、系譜することがあった。命名という儀式だ。nomino ergo sum.
世界の台風の観測体制、命名史もblog連載を中途で中断していたが、ここ最近の天気の変わり様であっても、ネットの上では、こうしたものの基本にあるものが、殆どの留意されていないので、誠実に再開しなければならないと思っている。そもそも、この太平洋地域を中心とした台風観測の連載も、自然現象への命名行為と国家なるものの命名行為と通底するところで、第一のテーマと連動すると思っている。気象観測と予報は古代より、権力中枢と随伴してきたが、近代世界が最初に持った国際npoが気象のネットワークであった。当たり前のことだが、気象は越境するのだからだが、より正しくは、逆であって、自然の摂理とは違うところに、近代世界が挑み始めたということだろう。
博物学の進展のように、分類と命名は表裏一体であり、様々な分類体系があるように、様々な言語体系、文化体系の中に私達はいる。全体と部分の多くの論議のように、人間の言語や文化はあり、このこともここでのテーマにしようと思っている。
そういえば、この間の台風11号の名前は国際的にはハロンだった。奇しくもベトナムが命名する番だった。ベトナムの仕事が一段落してきた矢先、ha-long、下り龍。下化衆生。

三つ目は、一貫して続いている、飽くなき人間の業、恥といえる、本を筆頭にした、モノやコトへの執着だ。
この近傍には、少なからぬコレクション趣味や、かなり減退してきたとはいえ食や野外活動も連なっているし、演劇、映画とかミュージアムから文房具、カテラリーにいたる美と驚きとかの心のさざ波もこの延長ににあると思う。
大衆やヴァーチャル・リアリティ、基本的人権、パトリオティズムといったテーマや知的所有権への懐疑もこの辺りだ。
「本」に最初に目覚めたのは間違いなく、英国の少年週刊誌だ。Look & Learn と ライバル誌 Knowledge だ。ともに60年代初頭、発刊開始、L & L は三週にして、百万部売れたという大現象ものだ。日本のような異常な出版点数を誇る国でも、百万部というのは社会現象だ。英国的エンターテイメント満載で、面白くも、極めて真面目な「知識」雑誌で、今の日本にはない、多数の図版入りの青年版「月刊平凡百科」のような内容だった。裏表紙のドーバー街道に始まった街道シリーズの連載はとりわけ平均的な英国少年の地付きの薀蓄的素養に欠ける僕には楽しみだった。少年の知的好奇心を毎週満たしてくれていた。
無論、この時代もう一つの隆盛を極めた雑誌があった。アメコミとも、日本の少年マンガ誌とも違う、ブリコミだ。その巨人大鵬卵焼き的巨砲が雑誌 Eagle でこれも楽しみだった。sf系統もファンタジー系統もいわゆるハードタイプだったと思うが、生真面目で楽しいコミックだった。
二度目に本に本格的に導いてくれたのは中学時代、K大生のHHさんのお陰だった。当たり前のように芥川や漱石、或いは横光利一等々の個人全集を読破していた僕に、彼自身は文学青年だったが、科学に興味を示すと、少し背伸びした、一連の科学本を教えてくれた。
未だにその仕掛けを調べていないが、当時のソ連は恐らく戦略的に、大々的に、ソ連発の科学本を世界にイデオロギー臭なく(と中学生には思えたが、その後検証していないので真相は分からない)廉価に和訳されてシリーズのように発刊していた。そのうちの一冊を紹介してくれたのだ。
その後、まさに世界規模で戦略的雑誌「スプートニック」、科学寄りのソ連版リーダーズダイジェストが日本語版(ベースボールマガジン社系列だったと思う)でも出た。値段は正確に覚えてないが、滅法安く、その割には、写真や図版、情報が満載だったのでしばらく買っていたことも思い出す。
対外文化政策の達人が当時のソ連にいたのではと思う。東欧圏の国際協力、文化交流、それから軍事の民事転換などとともに時間があれば掘り起こしたい。執着でしかないが。
とまれ、執着は執着なので、本だけでも話は尽きない。
と、こうして括っても、三つ。いつ果てるか分からぬ浮世には多すぎる。
fbは墓碑銘に徹しないと本末転倒になるようだ。
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