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世界が始まったのはいつか、世界の不幸せが始まったのはいつか。世界大戦百周年――休題の本 [2013年07月05日(Fri)]

世界で、無数の国のようなものが犇めいている。犇めくだけでない、軋んでいる。この不幸せを治せるのか。

世界が、この国が、と、頻々に語られる。

いつから世界を語るようになったのか。
いつから世界を語らなければならないようになったのか。
何故世界を語れるようになったのか。
何故世界を語るようになったのか。

そう、世界はいつ始まったのだろうか。

国の威信、国への愛というが、一体、「国」をいつから語りはじめるようになったのか。

世界の国のようなものが、地球大に接続し始めたのは遂、最近だ。半千年紀ばかり前に始まったことだ。

新天地があったり、未開の地があったり、黄金の国もあった。

帝国があり、宗主国が世界大になった。モノが、人が、海を越えて商売されるようになった。

商売人や冒険人に、企業や軍隊にリスク分散、先行、アウトソーシングされていた子会社ならぬ小(こ)国の経営を再編・直営にし始めた。

国名を形容詞化したものを国名につけた、国のような国名のような名前が出始めた。

何のことはない、国への愛、国の威信が、

そして、「ほとんど」世界大のような争いが起きた。個々人の不幸せが、二国間の不幸せが、世界を覆う不幸せとして認識されることが始まった頃だ。「ほとんど」の世界でだ。遂、一世紀程前のことだ。

そして国名形容詞付き国名をなくす機運が出始めた頃だ。

帝国や植民という言葉に罪悪感が出始めたのだ。それでも始まった第一次世界大戦。

国際連盟は第一次世界大戦の後始末として、反省として生まれた。そして、成功しないまま、第二次世界大戦に突入した。といわれる。

しかし、国際聯盟は、突如出来たのでない。無数の各国のNPO、世界大のNPOの動きの結実だ。SNSがない時代、個々人の力が世界大で結実していった。戦争には間に合わなかったが、、、

そして国際聯盟ができた。「本題」でも紹介したいと思っている時代だ。

第一次世界大戦、国際聯盟は、他はいざ知らず、もし現代のNPOを考えるとしたら、外せないキーポイントだ。

それにしても、日本では両者とも関連文献が少ない。南洋神社、南洋庁が生まれ、新渡戸、南方、柳田が悩んだ時代だ。

来年は第一次世界大戦百周年だ。99年前の先週、6月28日サラエボで、FN ブローニングM1910が撃たれた。
人文書院のシリーズ「第一次世界大戦を考える」の一つ一つが面白いが、昨年でた「マンダラ国家から国民国家へ」は副題の「東南アジア史の中の第一次世界大戦」のように、個々の国々の流れからみただけではなく、時代全体と地域全体の重なりをみせてくれる。


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