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国連加盟国中、WMO非加盟諸国11カ国 、それぞれの歴史、その背景――命名という権威(その7) [2013年01月09日(Wed)]

前回記事から少し間が空いてしまった。

「国連加盟国中、WMO非加盟諸国11カ国」概観を先に進む前に、本項の背景の一つを綴っておきたい。

第二次世界大戦後争いや天災は未だに多くの混乱と悲惨を生んでいる。多くの被災者、貧困、迫害、病苦や飢餓に直面した人々がこの地球の各地で日々喘いでいる。しかし、この項で探ってきている国々には、こうした第二次大戦後の各地での不幸な出来事とは、何か異なる、何かしら共通してみられるようものがある。

第二次大戦後に形を作った今日の世界の国々大半であっても全てではなく、そうした国々の人々が当然の「前提」としている「国民国家」が、未だに、遍く地球全体を覆い尽くしてはいない現実が垣間見られる。

逆にみれば、そうした「国民国家」の「庇護下」で暮らしていない人達が少なからず、私達と同時代を生きている現実の一端がここにみられる。

第一次世界大戦の後始末として、世界の理想と妥協を背負う国際聯盟が「戦間期」に生まれた。それでも、第二次世界大戦は避けられなかった。その後始末として、再び、そして新たに、世界の理想と妥協を背負う国際連合が生まれた。

世界がいつから地球大になったかと区分するのは難しい。しかし、思い描かれた世界の大小にかかわらず、古今東西、人々それぞれに描かれた、それぞれの世界があった。そして、そのさらなる安泰や繁栄を希求しては、求め切れずに、幾度となく、人々は、新たな世界に遭遇することを経験してきた。

そうした、現代に通じている様々な「世界」の浮き沈みと手探りの突端が、今現在の大多数の人達が描く「世界」を構成している「国家」の曖昧模糊とした周縁に、つまりは「国のようなもの」に明示的にみられる。果てのない過渡期、繰り返しが、今現在も、この「世界」に「ある」ことを、WMOと国際連合の構成の微妙な差異を通じて垣間見られると思う。

とりわけ、国連に遅れて加盟した国々にはそれぞれの事情があった。中でも、次の二カ国の背景には、おそらくはコロンブスやマゼランがそれぞれの地球を周回した頃の「世界」、あるいはそれ以前にまで遡れる「世界」からの難題がみられる。

それらの頃から第二次大戦に至るまでの間に醸成し、第二次大戦後の数多の新秩序の中でも解決してこれなかった、国のようなものの「綻び」の主題の典型がみえてくるので、それらに関連して、いくつかの脇道に逸れてみたい。

世界の覇権争いは、残念なことに人が「文明」というものを構築してから繰り返されてきている。これから紹介する東西のインド諸島は、その命名の通り、15世紀以降の「世界」の覇権争いの主役となってきた欧州諸国と米国からみた覇権争いの物語の始まりに仕立てられた地域だ。

15世紀以前の世界に「後付け」で遡ると、ユーラシア・アフリカ大陸の覇権争いの中で北西端に位置する領域、「西欧」が拡大する歴史がみえてくる。15世紀は、本来は、東西の両側から「西欧」の世界覇権を確定する始まりの世紀のはずだった。しかし、予期せぬ「新大陸」の発見で「世界」そのものが変わり、覇権争いの歴史をも大幅に狂わせる結果となった。

「新大陸」の発見は、領域の空間的な拡大にとどまらず、金銀はもとより唐辛子、玉蜀黍、南瓜、ジャガ芋、蕃茄、煙草、カカオ、七面鳥、梅毒、等々、枚挙に暇がないほど新たな鉱物・生物との遭遇であった。そして、それらの「発見」はその後の覇権争いの構図をそれ以前のものとの根本から変えた。

然は然りながら、15世紀以降の「西欧」以前から紀元前のアレクサンドロス大王のマケドニア、さらに遡っては、ダレイオス一世のペルシア等、「ユーラシア・アフリカ大陸」の北の央部東端、「地中海」東端辺での覇権争いの過程で、既にして、「西欧」亜大陸と「南アジア」亜大陸の交通の基礎固めができていたことに留意しておきたい。

そして、こうした先人たちの拓いた通路を通じて、それ以降、「戦争」や「外交」の有無に関わらず、貪欲な「商人」達の凄まじい往来と、熱狂的な「使徒」達の伝教によって、「世界」はたゆまず広がってきた。

詳しくは、別の機会に譲りたいが、特に留意しておきたいのは、7世紀以降、地中海東南の角から東西に広がったイスラムの帯が優れて東西をつないだことだ。そして「西欧」の直接の南下、直接の東漸を阻み、「西欧」のアフリカ南部からの北進喜望峰航路や新大陸発見を促した一方、南や西に地球を回り回って、再び互いに出会ったことだ。

続く
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