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Sandyという名前の由来、多文化社会アメリカ、固有名詞とは、命名という権威ー閑話休題 [2012年11月01日(Thu)]

Sandyという名前の由来や語源の検索で本ブログに到達していることが多いので、再三再四の中断になるが、命名の権威に多少なりとも関係することでもあり、Sandy という名前の由来について紹介しておきたい。書いているうちに長くなったので、一般的な通説での結論を先に紹介しておきたい。

今回のSandyという名前は、以前紹介した通りハリケーン用に、予めアルファベット順(Q、U、X、Y、Zは除かれている)に作られたリストから決定されている。

名前そのものの「由来」は、

SandyはSandraの縮小したもので、そのSandraAlexander、Alexandraが縮小したものだ。この二つ、男性形と女性形、は語源のギリシア語を構成からみると「護る人、助ける人」を意味している。

ということがとりあえずの結論だ。

さて、少し長くなるが、上記の結論をゆっくり辿っていきたい。

英語圏での人名由来キリスト教由来のものが多い聖書の登場人物聖人などだ。そうした中で珍しいのがギリシア語系のものだ。無論、聖書や聖人名がギリシア語系であることも少なからずあるようだが、人名として愛用されるには、その人名をもった人物が愛されたり、敬われたり、畏れられたりすることから始まる。

そうした意味で、アレキサンダーのようにギリシアから始まって、例えばギリシア神話の神々や文人の名前がストレートに今日の人名になっているものは多くない。

Alexandrosが英語に転訛したのがAlexander で、日本でもアレクサンダー大王という場合もある。Alexandros =Αλεξανδροςは「αλεξω = alexo 護る、助ける」「ανηρ = aner = ανδρος= andros男」という「意味」の単語によって構成されている。

アレクサンドロスであれ、アレクサンダーやアレキサンダーであれ、日本の検定教科書ではどうなっているか調べていないが、元々「大王」本人が呼ばれていた、呼ばせていた発音通りに、その後、時が過ぎたり、本人から離れて、言語圏を越えると、発音され、 綴られているとは限らない

そもそも、「大王」は広大な版図を築き、各地に「アレキサンドリア」を築き「ヘレニズム」を広めたことで「大王」だし。それ故に名前が広がったはずだ。

しかし、それはつまり、異文化社会、異言語社会を征服していたということなので、「大王」の同時代でも、被征服者たちにとって、出来ない発音、知らない発音、或いは例えば、抵抗の意思としてのダブル・ミーニング、二つの意味を重ねたり、どのような発音や綴りであったりして、どのように呼んでいたかは定かでない。

侵略者や被侵略者の関係でなくとも、以前紹介したように、欧州のような古くからの多言語圏、多文化社会では、本人自身が、自称を含めて、その言語圏の発音や綴りに合わせて変えていることも多いようだ。

逆にみると、日本のように「原語」にこだわり、自称を日本語という「原語」に、「漢字文化圏」の人名を日本語にしようとこだわるのは、「国際化」した社会の中では珍しいことなのかもしれない。日本が「国際化」していないからかも知れない。

「国際化」を軸に見なくとも、日本社会が、自社会のみならず、漢字文化圏の人名の日本語漢字綴り、日本語読みにこだわるのは、或いは「中華帝国」の「周縁国家」としての矜持や何にかがあるからかもしれない。

日本に限らず、「中心」か「周縁」というだけでなく、隣国や敵対国、宗主国と植民地などの関係の深い国や社会同士の自他の人名の呼び方はデリケートだ。日本で見ても、毛沢東、金台中、金日成を日本の漢字でかいたり、カタカナでかいたり、発音したり、高々数十年の中で目まぐるしく変わってきている。

「アメリカ」の「隣国」のメキシコでも似た話がある。「隣国がアメリカ」であることを自虐的にいうメキシコでも、メキシコ人自身が北部や国境地帯の一部のメキシコ人「agringadaアグリンガーダ=アメちゃん化」して、「哀れ」にも「 gringo グリンゴ=アメちゃん」に近づこうとして、アメリカ風の生活は勿論、自分の名前をアメリカ風に米語綴り、米語発音するんだと、からかうのに、似た感情があるのかもしれない。

返還前の「香港」でも英語名、洗礼名のようなものを持つことはそれなりの深い感情が渦巻いていたかもしれないが「自然」なことだった。しかし、返還直度から現在にいたる経過をみても、そうした英語名の扱われ方も揺れ動いている。

こうした現象は世界中で起きている。Sandy に戻ってみよう。

世界の中でも、サラダ社会のアメリカ合衆国では、国内でも、目まぐるしく、大規模にも、小規模にも、人名の自称、他称が変わっているし、綴りも目まぐるしく変化している。

米国に限らず、名前の構成自体のとらえ方が変化している。つい最近まで様々な書類様式は「first / given / christian (英) name」「middle name」「last / family name / surname(英)」三つの構成で、名前の欄が構成されていた。日本では自分自身の名前の、「姓(氏)」が先か「名」が先か、名前の順序にこだわったり、「名」のイニシャル表記にこだわったりする人や組織もあるが、この考え方は世界の一部の国々との間での問題でしかない。世界は多様だ。

日本風にいえば、名前が家族や所属集団と関係なく、三つ、五つの「名」だけで構成している社会もある。日本でもある程度知られている、スペイン語圏にみられるような両方の親の名前をひいてくる名前の社会もあるし、祖父まで遡って名乗る社会もある。様々だ。

米国のように、そういった世界の多様な社会からの移民社会では、日本風にいう、名前と姓の逆転、入れ違いも多いようだ。

移民前の欧州でも既にみられるように、「××」の子供だから「××ソン」になったとか、「△△」の子供だから「△△オフ」になったとか、「◇◇」の子供だから「オ◇◇」になったとかのケースも多い。或いは、ジュニアとか、王族・貴族社会でなくとも二世、三世とかいった人名もみられる。

人名そのものから離れて、敬称といわれるものも、日本語だから、日本社会だから敬称とよぶのであって、考え方によっては、社会にとっては名前の厳格な一部として省略を嫌い、付け加える社会も多々ある。「集団」への帰属証明が人名の役割の一つだとしても、「ウジ」や「カバネ」、「氏姓」といった「集団」に限定されない社会が多かれ少なかれあるのだ。

多くが頭につく「接頭辞」的な、爵号等の王侯貴族、宗教、外交・軍事上の名称はもとより位階、資格等を表すDoktor 博士の類いだ。頭につく「敬称」だけでなくいわゆる「名前」の後、「接尾辞」につけるアカデミーの「会員称」等を欠かすことが欠礼である社会もある。現代日本にも「接尾辞」としての「さん」「君」等の「敬称」はもとより「先生」、「社長」などいくつかの名称のようなものもあるが、近代以前は結構あった。

名付け親、というタイトルでこの項は始めたが、米国社会ではいくつか念頭におかなければならない歴史や背景がある。

一つは、奴隷だ。家族から引き離され自国語を許されず自立を許されなかった大量の奴隷やその子孫がいる。「ご主人」が「名付け親」になったり、「解放後」与えられたり、変えたりの歴史が、一部では、つい半世紀足らずの前まで実態では生き残っていた社会だ。

もう一つは、未だに若い移民社会であることだ。いわゆる移民のみならず、ラテンアメリカ等からの不法移民といわれる人たちや、キューバや世界各地の難民などが、偽称、擬称、改称している社会でもある。

つまり、アメリカ合衆国は現代社会にあって、よくもわるくも、人種の坩堝だ。欧州社会やアジア、アフリカでも同じような歴史経過があるが、人々の交通の早さが格段に違うことが大きな違いだろう。異文化間の婚姻をはじめとする「新文化」の生成流転も激しい。

そういう意味で「多文化社会」の危うさの中で生きる一部の米国人で、発音にしろ、綴りにしろ、自称をかえていることを、親と違うことに頓着しないひとたちも多い。自称にこだわる人たちも多い一方、逆に「適当に好きなように発音してくれ」「あ、綴りが違った」と自らいう人も少なくない。

そのように、米国は同じ綴りでも発音が違うのが当たり前の社会ではあるが、国際社会・国際システムのルールブック等でアルファベット綴りのみならず発音記号に飽き足らず電子的に音声を付け加えている場合もある。少し規模が違うが、日本でも方言はともかくも同じ漢字綴りでも、例えば、金崎をカネサキ、カナサキ、カナザキ、、、、といった人名にこだわる人もこだわらない人もいる。

多くの単語以上に固有性を特定することが肝心なモノや地名などの固有名詞は基本的には異名が基本で、同じ綴りや発音をもって、人々の間で共有し、平準化しなければならない。

ところが、人名も、固有性の特定という意味では本来そうなのだろうが、人名は、同名が多い上に、その自らが名乗り、上記のように自ら変えてしまったり、変わってしまうこともあり、厄介だ。

本題のSandyも結論をいえば、Alexandraの由来であることはほぼ間違いない。

とはいっても、Alexandra はAlexandros の女性形だ。

Alexandrosからの派生した人名をみてみても、Alexandraから派生した人名のいずれをみても、女性の人名の場合も男性の人名の場合も、何れもあり得る。絡み合って派生してきたことも以下に見るように明らかだからだ。

Sandyの由来がAlexanderだとすると男性の名前、Alexandraだとすると女性だ。ともにAlexandrosが英語に取り込まれ、男性形と女性形に分かれたものが、縮小辞となって、同じSandyになったものだ。

最初の古代ギリシア語のΑλεξανδρος (Alexandros)から見始めるとその使われ方は多岐にわたる。ギリシア神話の英雄Parisパリスの異名でもある。新約聖書でも何人か登場するそうだ。しかし、そうした様々な名乗りがあったとしても、紀元前4世紀にユーラシア南部の東西に広大な領地を広げたマケドニアのアレクサンダー大王がAlexandros由来の名前を文字通り古今東西に大きく広げるのに貢献したのは間違いない。欧州だけをとってみても、スコットランド、ポーランド、ユーゴスラビア、ロシアの王や皇帝、或いは8代の教皇が名乗ったことが、さらに広がる結果になったも間違いなかろう。

近代になって、本題のSandyのように、AlexandrosとAlexandraがお互いに入れ交じることが過去にも多かった。Alexandraは、Alexandrosの女性形で、女性名である古代ギリシア語のΑλεξανδρα (Alexandra) はギリシア神話でのヘラ、カッサンドラの異名であり、聖人等の名前でもある。

この女性名、女性形のAlexandraは英語圏だけでも

Alex、 Alexa、Alexandrea、 Alexandria、Alexandrina、Alexina、Alyx、 Lexa、 Lexi、 Lexie、 Lexine、 Lexy、Sandie 、 Sandy、 Zandra

と多数の人名を派生している。

他の欧州各地でも、
アイルランド、Alastríona。
スペイン、 Ale。
スペイン、Alejandra。
ブルガリア、クロアチア、マケドニア、ポーランド、ロシア、セルビア、スロベニア、Aleksandra。
ブルガリア、ロシア、 Aleksandrina。
イタリア、Alessa。
イタリア、Alessandra。
オランダ、Alex。
フランス、Alexandrie。
ポルトガル、Alexandrina。
フランス、ドイツ、Alexandrine。
ウクラニア、Lesya。
ポーランド、Ola。
ウクラニア、Oleksandra。
ルーマニア、Sanda。
イタリア、フィンランド、リトアニア、クロアチア、マケドニア、ラトビア、セルビア、スロベニア、Sandra。
エストニア、セルビア、スロベニア、 Saša。
ロシア、Sasha。
スウェーデン、 Sassa。
スコットランド、Saundra。
ロシア、Shura。
ハンガリー、Szandra。
オランダ、Xandra。

まちまちだ。

一方、男性形のAlexandrosは、英語で
Al、 Alec、 Alex、 Lex、 Sandy、 Xander、 Zander、
と派生し、他の言語でも、
Ace、Alasdair、Alastair、Alastar、Ale、Aleĉjo、Alejandro、Aleks、 Aleksandar、Aleksander、Aleksandr、Aleksandras、Aleksandre、Aleksandro、Aleksanteri、Aleš 、Alex、Àlex、Alexandr、Alexandre、Alexandros、Alexandru、Aleš、Alesander、 Alessandro、Alistair、 Alister、 Iskandar、İskender 、Eskandar、Lex、Olek、Sacha、Oleksander、Oleksandr 、Samppa 、Sander、Sandi、 Sándor 、Sandro、Sandu、Santeri、Santtu、 Sanyi、、Saša 、Sasha、Sasho、Sašo、Sawney、Shura、 Skender、 Xander、Xandinho


と多くの名前が派生しているし、上記の女性名と交雑もしている。長い異文化交流の歴史の所産だ。

とまれ、件の2012年のリスト男女が交互に決められているとのことなので、リストの前後と全体をみると、女性名として決定されている。

かように、十中八九、アレキサンダー大王由来の女性名として良いはずだが、仮にそうであったとしても、上記で見てきたように、多民族社会米国では、どの経路を辿ってSandyとなったかを確定することができない。

また、そもそも「ハリケーン」の名前のリストは個人ではなく「組織」、「法人」が決定したものだ。ネット上に公開された資料をみてもそうだが、「正解」にどのような由来か絡んでいるか確認しようがない。

たとえ、「法人」として何らかの命名の由来を説明を公式に付していたとしても、「決定」には様々な個人が関わったことは間違いない。単数であれ複数であれ、いずれかのイメージをもった提案者がいて、その上で複数の決定者がそれぞれが想定している由来(由来まで想定していない人が大半だろうが)や思いで決定に至ったと思われ、そういった意味でも確定することはできない。

いずれにしろ、これだけの規模で受け止められたハリケーンなので、先述のように、Sandyという名のハリケーンは「殿堂入り」となることはほぼ間違いない。

以上
タグ:人名 由来
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