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「皆さん」のための三権分立、議院内閣制、代議民主制 [2012年08月21日(Tue)]

以前、『「非営利」との違いは?==スポーツ、政治、宗教、医療、福祉、学問』と題して、スポーツと「非営利」の近縁性を考えた。今回は、少し「政治」について考えてみたい。

とはいっても、政治や政治学には疎いので、議院内閣制なるものから始めたい。

それにしても、よくわからない制度だと思う。政権党、立法府と行政府の結合というが、本来は三権分立であるのに、奇妙な論理には戸惑う。

政府委員には説明させない、あるいは、仕分けとかいったものを巡る三権との関係性の説明にはやはり戸惑う。

この日本という国家全体、それに連なる様々な制度が、立法府と行政府、そして司法府が独立性をもち、緊張による最適もしくは次善のガバナンスを志向することが前提になっている。しかし、その根幹部分において、二権が結合しているのだとすれば、どのようにして最適化を求められるのだろうか。

その最適化装置、拮抗装置の一つが、二大政党制といわれていたものだ。自由と民主だったり、社会だったり、その中身はともかくも、拮抗する政党の入れ替わり立ち替わりの結果として、結合された政権与党の入れ替わりが保障されているとするものだ。

それは、第一権力を、君主からみた下僕とした場合でも、市民からみた公僕とした場合でも同じようなものだと思う。そこにあるのは、循環論法のようなものである気がしてならない。

そうしたことを無視したとしても、王政か共和制か、開国か鎖国か、主戦か反戦かといった、二項対立が全ての政策「立案」もしくは「執行」を二分し、それが単純に二つの2大政党に結実するといった時代が過ぎ去ったのは最早否定できまい。多様化したのだ。内容の多様化だ。

この多様化を補完するのは、いうところの、選挙、第一権力による審判だ。

しかし、これも困難だ。加速度的に変化する社会、加速化する立場の変化、いずれであったとしても、各党の綱領が化石化し、公約の実現への信頼性が失われ、その中継ぎとしての和製英語の「マニフェスト」が登場しても空洞化しした現在である。

多様化を補完する選挙も、ベースラインが消えかかっていて、もはや機能するのが困難になってきている。

社会の多様化がますます進行し、変化も加速化している。選挙を目まぐるしく行うか、選挙を経ずして政権を目まぐるしく変えるか、選択肢がなくなってきている。

三権分立の均衡を維持する仕掛けが見えなくなっている。となると、そもそも何のための三権分立か。

「皆さん」のためか。

「皆さん」とは何であろうか。スポーツの「皆さん」、政治家の「皆さん」と同じなのだろうか。

公共財という経済学の概念周辺でもきく言葉だ。公共財の周辺では非競合性、非排除性と非営利でも馴染み深い「非」が並ぶ。

米国での「寄付」の全国調査で非営利と政治との興味深い関係が発表された、次回紹介したい。「皆さん」については、いずれ折をみて立ち戻りたい。
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