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エッフェル塔は嫌い、皇居は真空 [2012年07月01日(Sun)]

スカイ・ツリーと連動しているのだろうか。タワー本、塔本が目立つ。バルトの本書が文庫になった。
出だしが、Henri René Albert Guy de Maupassantモーパッサン (1850.08.05 – 1893.07.06) はLa Tour Eiffelエッフェル塔(1889.03.31 - )のレストランに好きでもないのによく行った。エッフェル塔はパリ中から見える。モーパッサンはエッフェル塔が嫌いだったから。というはなしだ。



バルトといっても、今日、把瑠都凱斗だったら知られているだろうが、昔は、仮に知られているとしても、このエッフェルの出だしと何処か似る「皇居は真空」としたRoland Barthes ロラン・バルト (1915.11.12日 – 1980.03.26) だった。

僅かな経験、日本人でない、日本生まれでなくとも、日本人にしか分からないといわれる、日本文化、異文化を喝破できるかどうかが問題かもしれないが、少なくとも、少なからぬ「日本人」に影響を与えたことが面白い。

因みに、バルトは1966.05、東京日仏学院長 Maurice Pinguet モーリス・パンゲ (1929 - 1991)の招聘で初来日して、翌年の1967.03、1967.12と来日し、「真空」のL'Empire des signes (表徴の帝国) を1970年に書いた。
Claude Levi-Strauss レヴィ=ストロース (1908.11.28 – 2009.10.30) は1977.10月に国際交流基金の招聘で初来日し、その講演集「構造・神話・労働」が1979年にまとめられた。
もっと昔、Bruno Julius Florian Taut ブルーノ・タウト (1880.05.04 – 1938.12.24) は日本インターナショナル建築会 (1927 - 1933) の招聘で1933.05に来日、「画帖 桂離宮」が1935年に出版された。

招聘の真の目的が何であったかは、当事者にしか分からないが、いずれも人為的に日本に招聘され、その結果、インパクトが広がった。本人はもとより、人の歩みは、人々の歩み、そして世界の理解は意外にシンプルに人によって左右されてしまうことの好例だ。
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