まず単位について(3)政治と科学―ネイチャー・ワールド・スタディーズ―放射能とは―(3) [2011年05月24日(Tue)]
承前
今回は、このメートル法が生まれた時代、「フランス革命」について概観するため、横道に逸れます。 今では、パリ祭といっても、大半の「現役」の日本人にとっては、きいたことがないかも知れません。 7月14日というひにちが、1789年のフランス革命、監獄バスティーユの襲撃の日であることと結びつくかどうかは別として、さらにその結果、フランスの共和国建国記念日であるということまでも知らないかもしれませんが、多くの昭和年代の日本人にとって、この日が何であれ、巴里祭、またはパリ祭という「祭り」として馴染み深いものであったことは間違いありません。 「巴里祭」はルネ・クレールの下町人情ものの映画、原題名「14 Juillet」を輸入した東和商事が文字通り「7月14日」と直訳したのでは意味が分からない、一方、昭和8年(1933年)当時の世相からいって、意訳で「革命記念日」としたら内務省の検閲が通らないということで、邦題として編み出したものでした。この抒情的な邦題もおそらく一役かって、映画はモーリス・ジョーベールの主題歌とともに話題をよび、その後のパリ・ブームにつながっていったようです。 そして、第二次大戦後、欧米文化がふんだんに流入する中、以前紹介したヨーロッパでの現象同様、「進駐軍」とともにジャズにまず火が付き、用語として「ジャズ」との区分が曖昧模糊として、タンゴ、シャンソン、ハワイアン、ラテン、カントリーなどが陸続と1950年代以降、流行りました。そうしたものが受容される「空気」が戦後の復興期にはそもそもあったようです。 中でも、シャンソンは石井好子によって、昭和30年代末期、1963.07.14、第1回のシャンソンの祭典「パリ祭」が日比谷野外音楽堂で開催され、日本でのシャンソン・ブームが決定的になり、「巴里」から「パリ」へと綴りは広がったものの、首都圏を中心に7月14日はパリのイメージと深く繋がるようになったと考えられます。ファショナブルなフランスあるいはパリには革命という空気が潜んでいました。 単位についての紹介ですので、これ以上の「脱線」を避けたいと考えますが、今日のような国際的な単位の考え方は、2世紀も過ぎてなお、地球半球の反対側の極東の日本にまで、魅惑的なものとして「慕われている」、フランス革命の中から生まれてきたものでることは象徴的であり、必然的でもあります。 フランス革命とは何であったのか、時代とともに評価は変わってきてますし、なかなか難しいテーマです。ここでは、その一端として、今でこそ、そこかしこにみられ、革命の象徴的存在であり、馴染みの深い、フランスの三色旗の虚実について紹介します。 トリコロールが象徴しているものと今日理解されているのは「自由」「平等」「博愛」の三つです。人権宣言へと繋がる、美しい概念です。自由は自由主義、自由市場経済、リバタリアン、、、、、平等は差別撤廃、人権、、、、、博愛はチャリティ、「ポポポポーン」、絆など今日まで深く、広く、「美しき」ものとして私たちの社会を覆っています。 しかい一方において、本来の由来はともかく、自由も平等も、或いは博愛も、「白熱教室」をみるまでもなく、その現実における不完全さ、もしくは原理的な矛盾、等々により、或いは、裏返しとして、個々の自由か全体かのバランス、勝者にとっての機会の平等か結果の平等か、シュヴァイツァーなど白人優位の博愛主義か、等々と幾多の批判にさらされてもきました。 とりわけグローバリズムとローカリズムの間でトレードオフしなければならない場面の多くのに、この三つの「主義」が交錯してきました。 そもそも、度量衡の統一は、言語同様、古より、為政者のためなのか民衆のためなのか、いずれでのためであったとしても、それぞれにとって一長一短の性格をもつものでした。そうした中でも、このメートル法は、国王、皇帝の命ではなく、「自由」「平等」「博愛」を旗印にした革命の実践の礎に欠かせないものとして革命の中からうまれてきたものであったことは確かなようです。 国王の密命のような前近代的な謀としてではなく、その後、フランスが「国家」として、正面切った「外交活動」として、場合によっては勿体をつけて、場合によっては畏まって、戦略的に「原器」を世界各国に送っていきました。つまりは、「革命民衆」からはじまった「メートル」は、「国王」を飛び越して、グローバル規模の覇権を目指すフランス国民国家と不即不離となって、世界に広まっていきました。 「革命」のような出来事は、近年では、911にみられるように、多くの人々を、従って、多くの事柄を、さらに、多くの事柄が、さらに多くの人々を「政治」という舞台に登場させ、それまでの時代では考えられないような、社会に大胆な決断そして変化を招く「空気」をもたらすことが知られています。 地中海世界から放たれた欧州のルネサンス、米国の独立戦争等と大西洋をも往還する見直しの「空気」がフランス革命にいたって、まさに世界大へと広がり始める時代の端緒にメートルは芽生えました。 科学的な単位のようなものでも、人事に翻弄されるものであることが、この「単位」の経緯にもみられます。 因みに最近は博愛でなく友愛ともいわれるようですが、これら三つは後付けで、この三色の本来の由来については、白についてはMaison de Bourbon ブルボン家、すなわちは国王の白百合に由来するというであることに一致はみるようです。しかし、残りの赤と青の二色は大きくいって二説、パリ市のとするものと、或いは、市民軍、後のLa Garde nationale 国家衛兵=ナショナル・ガードつまりは革命軍の帽章=円形章もしくは略綬とするもの、さらに、革命軍の色自体が、パリ市由来であるとする三説目等、多々あります。 米国の独立戦争、そしてフランス革命の英雄、 Marie-Joseph Paul Yves Roch Gilbert du Motier, Marquis de La Fayette (ラファイエット侯爵マリー=ジョゼフ・ポール・イヴ・ロシュ・ジルベール・デュ・モティエ、1757.09.06 – 1834.05.20)が国家衛兵の初代総司令官に任ぜられた直後、市民軍のつけていた青と赤に、国家の衛兵として、国王との和解そして協力を象徴させるために、王家の白を加えたともいわれます。 仔細は略しますが、赤と青の青はフランスの守護聖人、Saint Martin de Tours トゥールのサン・マルタン=聖マーティン、赤はパリの司教で守護聖人、Saint Denis サン・ドニ、聖ドニの色とされています。二人とも3,4世紀キリスト教が国教化する前のローマ帝国の人たちです。また、白は処女マリアに由来するとされています。 続く xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx この「放射能とは―ネイチャー・ワールド・スタディーズ」の最初はここです。 当ブログでは、フォントの環境による表現差と字数制限等とのバランスで、「原語」表記にこだわりたいものの、アルファベットと日本語の漢字・かなで記述することにしています。アルファベット表記であっても、原則として、各国語でのアクセント表記等につきましては、大変勝手ながら、省略していますのでご注意ください。 |
恐縮ですが、様々な事情により、2012年11月現在、本項が続けられていません。
311以降、放射能を巡る数値が氾濫し、幾ばくか整理して紹介したいかと思い、始めたものです。 その後、いくらかは整理されてきたとはいえ、未だ、未整理な部分があると思っていますので、いずれ、再開したいと考えています。 2012年10、11月の米国のハリケーン・サンディを巡る「気象」に関する記事も、単位という「世界史システム」の隣接領域として、少し意識して、本稿の補強にも使えるよう紹介しています。 キー・テーマは今のところ四つと考えています。 1. 単位なるもの自体の見方を簡素化するための「次元解析」というツール。 2. 単位なるものの見方、見せ方が如何に「科学的」なものにとどまらず「人為的」な所産であるか、その経緯と現況。 3. 単位なるものを巡る、「測定」と「標準」という「世界システム」の絡み合い。 4. そうした「世界システム」を繋げるものとしてのNPOのようなものの「役割」、翻って、市場でも政府でもないNPOの「本質」。 タグ:復興 音楽 ジャズ ローマ帝国 フランス 国王 皇帝 フランス革命 自由 メートル法 パリ祭 7月14日 07.14 1789 監獄 バスティーユの襲撃 バスティーユ 共和国建国記念日 建国記念日 巴里祭 東和商事 1933 内務省 検閲 モーリス・ジョーベール 進駐軍 タンゴ シャンソン ハワイアン ラテン カントリー 1950年代 石井好子 昭和30年代 1963.07.14 1963 シャンソンの祭典 日比谷野外音楽堂 三色旗 トリコロール 平等 博愛 人権宣言 シュヴァイツァー グローバリズム ローカリズム トレードオフ 度量衡 為政者 民衆 外交 国民国家 覇権 ブルボン 白百合 ナショナル・ガード 帽章 略綬 円形章 独立戦争 ラファイエット 守護聖人 トゥール サン・マルタン サン・ドニ マリア
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