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原寸大・実物大、複製―休題の本 [2011年01月24日(Mon)]

前回、日常世界を逸脱した大小の諸々を比較してみせる本を紹介しました。

一事が万事と同じくらい、一部が全部もしくは全部が一部といった哲学か宗教か、或いは科学か、不分明な言葉が、通俗となったこの頃ですが、論理学或いは集合論の記号を使わずに果たして全部が一部、一部が全部ということを直感理解できるものか難しいところだと思います。

そこで今回は、「原寸大」「実物大」といった著作を紹介します。

「等身大」が詭弁に陥りやすいほどではないかもしれませんが、原寸にしろ実物にしろ、要は観測者、それも人間の、さらにいえば、視覚を中心にした感覚の文脈の中での原基、或いは現実にしか過ぎないものであることが危いところです。

要は、人間が知覚できる範囲内で、通常では知覚できないもの、知覚が困難なものを伝えようとする著作で、すぐれて「際物」の世界にあるものです。

例えば、視覚には大きすぎるもの、環境もしくは対象物が近寄ると危険であったり、近寄るのに困難を伴うものです。生物ならば、危険や困難とは猛獣で人間が近寄れない、もしくは人間から逃げるもの、環境では生態環境が崖、ガス、水中、空中にある或いは地上の大気圧、光の中では生き延びられないもの等々あります。

木を見て、森を見ないようにどの程度工夫されているかが「本」の良し悪しの分岐点かと思われます。

一般的には、対象物の「表面」と同じ形状と大きさのものを二次元の絵や写真です。フィキュアのブームは沈静化したものの、立体物で「実物」大に提示するものもあります。そして、3D時代到来とともに、平面と立体の差異はますます不鮮明になるかと思われます。

しかし、プラストミックかプラスティネーションかどうかいざしらず、「本物」ではないかと「役所」が動き始めたといわれる「人体展」の例をみても、一部もしくは全部を、樹脂で置き換えたもの、あるいは、クローン、IPS細胞のように、生き物ですら「複製」できる時代です。

また、日本も、「真実」か「事実」かといった時代から、メディア・リテラシーの時代に入りました。上記の技術の革新と相まって、何らかの「メディア」を経由した原寸や実物といったものが厄介になってきた時代です。

こどもが下駄で天気をうらなうことから宇宙気象が話題とするようになり、第4間氷期から温暖化の時代に変わってきたように、空間と同時に時間もまたどの程度のスパンが人間や人類にとっての原寸大かが問われる時代です。

ベンヤミンのいっていた時代はそうした意味ではそれこそ大きな時の流れの中に飲み込まれたかもしれませんが、「時代」を考える、別の意味で示唆深いと思われるのでベンヤミンの「複製技術時代の芸術」もあわせ紹介します。

            
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