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エリザベス1世、夜の学校、月の海―カトー研究所―国境なき記者団(報道の自由その67) [2010年11月05日(Fri)]

承前

無論、前述のように、レンズの確保ということでは、間近にヴェニスという、当時、世界屈指のガラス、ガラス職人、ガラス商業のセンターが歴史的必然性の中で栄えていたという、時代の申し子としてのガリレオもいます。以前紹介したように、バイロンが愛した、新世界発見後の落日のヴェニスと、今日でもベネチアン・グラスという和製英語まで定着させている、ヴェニスのガラスという背景については後で紹介するとして、ここでは、天賦の才について検証したいと思います。

ガリレオが初めて望遠鏡で月面を見たわけではありません。さらには、眼が良かった古代人が肉眼で月面の山谷を比較的精確に観測していたかもしれないとの説もあるくらいです。ましてや「望遠鏡」の黎明期には古参も新参も含めて、数多くのskygazer (スカイ・ゲイザー=空を見つめる人)たちが登場しても不思議ではありません。理科離れの中、子供に大人が入り混じる望遠鏡売り場の姿を見ても望遠鏡の誘惑の強さはいうまでもありません。

例えば、英国の探検家で、エリザベス一世女王(1533.09.07 – 1603.03.24)の寵臣であったSir Walter Raleigh サー・ウォルター・ローリー(1552/1554 – 1618.10.29)が航海するにあたっての数学、天文学の指南役であった、Thomas Harriot トーマス・ハリオット(1560 1621)という英国に新世界からジャガイモを紹介したことでも知られる人物がいます。

ハリオットはローリーが形成していたといわれる「School of Night 夜の学校/グループ」と今日では名付けられ、「School of Atheism 無神論団」ともよばれていたグループの一員でした。このグループは秘密めいていて、当時から、そして恐らくは自ら望んで、疎まれていた存在であり、実際の姿ははっきりしません。しかし、神をも畏れない「freethinker 自由思想家」たちが、それこそ「新世界秩序」を構築するために談論風発していたのは間違いないと考えられます。

そうした、「先進的な」一員のハリオットは、明らかにガリレオに4カ月も先行して 1609.07.26 (グレゴリオ暦1609.08.05)に6倍の望遠鏡をもって、月面の「危難の海」、「静かの海」、そして「豊かの海」のスケッチをのこしたにもかかわらず、さらには翌1610.12には太陽黒点もガリレオの1年半も前に観測しているにもかかわらず、そのもつ意味に見る眼がなく、その図が公刊され、ひとが知るのは3世紀半後の1965年であったため、人類の「視覚革命」に名を残さなかったといわれています。

名を無自覚ゆえに残せなかったのか、自覚した上で残さなかったのか、変転する大舞台の中で、現在を生きたのか、未来を生きようとしたのか、違う未来を生きたのか、この時代の人物を判別するのは難しいです。

この時期の英国は長年の内戦「Wars of the Roses 薔薇戦争」(1455 – 1485)が終焉し、Lancaster ランカスター家の赤薔薇York ヨーク家の白薔薇が重なった、赤に白薔薇のTudor rose テューダー薔薇の紋章のTudor テューダー朝が政権(1485 - 1603)を掌握し、テューダー様式など、その後の元祖英国「中流」もしくは「上流」文化の模範となるな要素を育みつつ、大陸に威勢を張りながら極西の島国が、大国へと躍り出る前の揺籃期の短くも長い、活気溢れる祖父から孫までの3世代、国王5代、120年の時代でした。

この時代の中でも、ガリレオ(1564 - 1642)の前半生は、繰り返し映画や、芝居になっている、エリザベス1世(1533.09.07-在位 1558.11.17 – 1603.03.24)、の時代です。そのほんのわずか前の時代には、1521に「Assertio Septem Sacramentorum (羅)Defence of the Seven Sacraments 七秘跡の擁護」を著して、ルターを批判し、ローマ・カトリック教会から今日まで続く初代「Defender of the Faith 信仰の擁護者」と」称された、エリザベス1世の父となる、Henry VIII ヘンリー8世(1491.06.28 – 1547.01.28)がいました。

そのヘンリー8世が、まさに、エリザベス1世の母となるAnne Boleyn アン・ブーリン(1507 – 1536.05.19)と再婚するため、同じローマ・カトリック教会から破門され、英国国教会のsupreme head 最高の首長となった(1534.11)直後の時代です。目まぐるしく変わる中、まだまだ、英国は、慎重に、スペインやフランスあるいはオランダなどの内外の情勢、キリスト者、カトリック勢の動向を見ながら動いていました。

地中海から大西洋岸へと覇権争いの核が移動していた時代です。

従って、女王を支える夜の学校の諸氏も、内部では旧世界に拘らない大胆な論議をして、自覚的であったからこそ、徒らに、無神論者とみなされたり、カトリックはもとよりキリスト者を刺激するような言動は注意深く避けていたともいわれます。

シェークスピアのライバル、もしくはシェークスピア本人(生年は同じ 1564。因みにガリレオも同い年)ともいわれる、Christopher Marlowe クリストファー・マーロウ (洗礼 1564.02.26 – 1593.05.30)等の稀代の鬼才を揃えていたという、スクール・オブ・ナイトは、ハリオットがまさに新大陸への航海術から果ては先住民の言語、アルゴンキアンの研究家となったように、英国国家の新世界への勇躍を図らんがために、この国の形を導かんとした知識人集団であったとみられます。

筆者の勝手な想像からすると、この時代を疾駆した彼らは、最新の知見、例えば、望遠鏡で覗いた天上世界の新発見をしたとしてもおかしくない知識人集団だと思われます。しかし、その上で、天上の発見など、望遠鏡で覗いて手の届く水平線の向こうにある天下の新世界あるいは新生活に比べるならば、実利的な即効性がないと、あえて無視したとも思えます。

続く
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