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ヴィヴィアーニ、三角方眼紙、計算尺―カトー研究所―国境なき記者団(報道の自由その62) [2010年07月30日(Fri)]

承前

ガリレオを看取った、三人のうち、ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニは日本では一般にあまり知られていませんが、定理や、曲線にその名前を残しています。

一つは、地学に岩石組成の成分比などによく使われるという「三角ダイアグラム」の原理となる、正三角形の内部の一点に下ろした垂線の和が一定であるという、「ヴィヴィアーニの定理」という定理です。因みに、この定理は、全ての角の角度が等しい、もしくは全ての辺の長さが等しい凸な、多角形にも成立するそうです。

「三角ダイアグラム」は、今は簡単にシェアウェアなどでPCから簡単に作成し、プロット出来るようですが、一昔前だと、三角方眼紙を文房具店でみかけた時代があったことが思い出されます。同じように、片対数や両対数方眼紙、斜眼紙、円形方眼紙、はては普通の方眼紙も目につかなくなりました。

対数方眼紙の運命は計算尺を目にしなくなった時代背景と連動していると思われます。計算尺は、日本の孟宗竹を利用した合板使用が1930年代、伏見の月桂冠、大倉酒造の大倉家の、大倉ひさし(1892 - 1960)の共同を得た逸見治郎( 1878 - 1953 )の逸見製作所によってSUN印、HENMI の計算尺で世界市場を席捲したのを経て、戦後、GHQの指導で学校での計算尺教育が禁止された時代から、復活どころか、1962年には中学校教育に取り込まれ年間100万本生産の時代もありました。

しかし、こうして17世紀に発明され発展した対数計算尺も、今やPCでは世界一、日本ではプリンター・メーカーとして善戦を続けるヒューレット・パッカードの名機といわれたHP-35をはじめとする関数電卓の登場に敵いませんでした。その関数電卓も今やPCに大半の一般ユーザーを奪われています。

方眼紙の衰退はこうした対数計算などが計算計算ハードから計算ソフトへと移行したことが一つの理由ですが、「方眼紙」という予め用意された「座標系」をどめを刺したのは、プリンターの低価格化、大衆化、精度向上によってプロッティング自体、座標を確認しながら手作業でおこなう必要が失せたことがもう一つの理由だと思われます。

さて、ガリレオの弟子、ヴィヴィアーニの名が冠せられているもののもう一つは「ヴィヴィアーニの曲線」です。これは円柱と球面が重なってできる交線、八の字の曲線です。精確には、球に、その球の半径と自身の直径の長さが同じ円柱の表面の一方が球の中心(軸)に、もう一方が、球の表面の一点に接しているものです。

続く
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