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古生物学、アカデミー、ガリレオ―カトー研究所―国境なき記者団(報道の自由その61) [2010年07月22日(Thu)]

承前

この石をステノは慎重を期しながらも、生物を起源にして化石化、変化したものであるとして、「Elementorum Myologiae Specimen = Elements of Myology 筋学の要素」を 1667.03.03 に出版したおり、付録の「Canis Carchariae Dissectum Caput = The Dissection of the Head of a Shark 鮫の頭の解剖」でこの説を加えたのでした。

ステノはノアの洪水など「旧約聖書」と折り合いをつけながらも、「革命的」なのは、その当時大前提となっていた、これら土石が神の天地創造の一週間での創造物ではなく、その後に変形、形成されたものであると推断したことです。

これがpaleontology古生物学の黎明になったといわれています。

さてこのアカデミア・デル・チメント1657年設立で、その名では10年の短命ではあったものの、欧州でのこの種の科学アカデミーの嚆矢のといわれています。この後、王政復古直後の英国にはThe Royal Society of London ロンドン王立協会 (1660.11)ルイ14世(Louis XIV de France, 1638.09.05 - 1715.09.01、在位:1643 - 1715)のフランスAcademie des sciences 科学アカデミー (1667) が創立されています。

時代的に当然と言えば当然ですが、奇しくも、公式の関わり方は少しずつ違いますが、「王」の庇護下に形成されています。

このアカデミア・デル・チメントはは、「Provando e riprovando 試してまた再び試して」の標語で知られ、実証研究の拠点として、 Galileo Galilei ガリレオ・ガリレイ(1564.02.15–1642.01.08)の弟子などをはじめ多数の俊英が集まったといわれます。


ガリレオの「新科学対話」に感動しながらも、その最晩年の1641.10 に、最後の弟子として加わり、師の最期を、高弟として、ガリレオの息子 Vincenzo (Vincenzio) Galilei (1606.08.21 – 1649.05.15),そして若い弟子Vincenzo (Vincenzio) Viviani ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ (1622.04.05 - 1703.09.22)とともに僅か三人で看取ることとなったとなった、Evangelista Torricelli エヴァンジェリスタ・トリチェリ (1608.10.15- 1647.10.25) もその一人です。

トリチェリは「トリチェリの真空」で知られる学者でこの後紹介しますが、この最期を看取った、残りの息子と弟子の二人の氏名の「正しい」綴り方を調べているうちに、確定できず時間がかかってしまいました。

簡単に横道に逸れます。

いずれも、VincenzoとVincenzioという、最後に「i」があるものとないものとの二つの綴りが確認され、場合によっては両方を(理由が記載されていないのですが)あえて許容しているもの、同一の資料に混在するものがあり、結局特定できませんでした。

専門家でないので、全くの推論ですが、理由として想定して四つの可能性を考えました。単純な誤記。ラテン語とイタリア語の違い。時代、地方、階層によるイタリア語の違い。そもそも綴りを気にしていなかった。色々調べましたが、原資料に近いものにあたることができず、簡単な理由かも知れませんが、とりあえず併記することとしました。どなたか、ご存知の方、教えていただければ幸いです。

因みに、息子、Vincenzo Galileiは婚外子で、修道女となった姉妹二人同様、12歳になるまで認められず、突き放されていたにもかかわらず、迫害下のガリレオから皆が離れていく中、最期を看取ったわけで、人生模様が浮かばれます。

名前の綴りの確定が難しかったのには、また別な理由もあります。ガリレオの父親の名前とこのガリレオの息子の名前が同じであることです(この父親の綴りも資料によってやはり二通りです)。

名前のみならず、ガリレオの父親は音楽家、作曲家としてひろく認められており、すぐれたリュート「奏者」であったともいわれているのですが、これに比べ、あまり知られていない、数少ない息子の解説の中で、息子が、科学者であった他に、祖父同様、音楽家であり、しかも斬新なリュート「製作者」であったとすることもあり(これ自体が情報の混戦そのものかもしれないのですが)、資料を腑分けすることからして難しくなってます。

インターネットの某英文HPでは「Vincenzo Galilei Junior」と記載しいているところもあるくらいです。

続く
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