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舌石、蛇の舌、天狗爪石、木内、シーボルト―カトー研究所―国境なき記者団(報道の自由その60) [2010年07月09日(Fri)]

承前

こうした業績もあって、30歳台直前には、かのメディチ家の末期の一族で、科学者のパトロンとしても有名であるFerdinando II de' Medici フェルディナンド・セコンド・デ・メディチ(1610.07.14 – 1670.05.23)、トスカーナ大公の Firenze フィレンツェの「Accademia del Cimento アカデミア・デル・チメント=試(実)験アカデミー」(1657-1667)で筋肉に関する研究を続けようと1666年に加わって間もなく、大公より、海岸都市のLivorno リヴォルノ沖で漁師たちが10月末に確保した1700キログラムのLamia 目白鮫の巨大な頭を研究材料に受け取りました。

因みにステノはトスカナのフィレンツェと夏宮の Pisa ピサを往来し、ピサには最初の1666年、1668、1671、1672の各年に比較的長くいたようです。

さて、ステノはこの巨大鮫の筋肉を研究するだけにとどまらず、その歯がある岩石と似ていることに着目したのでした。この「岩石」とはローマ時代のプリニウスなどは「新月の晩に天から降ってきたもの」としてきたもので、16世紀以降から当時まで、Malta マルタなどでよく発見され、この地にかつて漂着した聖パウロへの信仰と関連して、聖パウロが退治した蛇の舌などと説かれて、解毒剤としてよくつかわれていたものでした。当時は「glossopetra =tonguestones舌石」或いは「Lingue di Serpi 蛇の舌」と呼ばれていたものでした。

日本でも、日本の考古学の祖といわれる「雲根志」の木内石亭(享保 09.12.01 - 文化 05.03.11 = 1725.01.14 - 1808.04.08 )は寛政08 (1796) 年に「天狗爪石奇談」を出し同人の「珍蔵二十一種」としているように、舌石ならぬこの「天狗爪石」や「天狗飯七」、「雷斧」の名でしられていました。現在でも、例えば、岩手県平泉の中尊寺や神奈川県藤沢の遊行寺等で宝物としているようです。

因みに、シーボルトの門下の高良斎(寛政11.05.19 - 弘化03.09.13 = 1799.06.22-1846.11.01)によって「Kord schets over eene versteede Tand Tengu no tsume seki 天狗爪石略記」として木内の著書は蘭訳されており、単純な珍石紹介、或いは伝承集でなく、19世紀冒頭日蘭の間でシーボルト一門の「博物学的」視点で取り上げられていたことが着目されます。

続く
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