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平均寿命、藤原、論語 ―カトー研究所―国境なき記者団(報道の自由その40) [2009年07月07日(Tue)]

承前

因みに、第1回国勢調査は、1920(大正9)年で、最近では22項目の大規模調査、5年後に17項目の簡易調査交互に10年毎に繰り返しており、来2010(平成22)年に第19回の大規模国勢調査が予定されています。

さて、乳児死亡率は、年間の1000出産当たりの生後1年未満の死亡数をさしますが、日本でもほんの数十年前まで、乳児死亡率が他の世代より高く、つまりは、乳児の平均余命が低く、従って、平均寿命を低くしていました。

しかし、ここ数十年は世界の中でスイス、ドイツ、ノルウェー、フィンランド、フランス、ベルギー、韓国、香港、アイスランド、シンガポール、スウェーデンなどと同様もしくはトップといわれる低い乳児死亡率となったことが大きく影響して、平均寿命も世界でトップを飾るようになっています。

実際の乳児死亡率は、1890年前後、明治30年代は150くらいでしたが、1950年には約501960年代末期には15近辺、近年は3を切っています。急速に変化したことがわかります。平均寿命が幕末維新期には40歳くらいで、今日までのわずか150年くらいの間にその倍になったことが頷けます。

そうした幕末維新期には40歳だった「平均寿命」ですが、縄文時代は15歳前後奈良・平安時代が30歳前後鎌倉・室町時代が35歳前後と推定されています。

少なくとも、明治以前は、現代人がもっている寿命に対し持っているイメージ---高々ここわずか半世紀あまりの「戦後」のことですが、、平均寿命というものは毎年上昇を続け、今日の、男79、女85、というイメージ---からは程遠いことは確かなようです。

「日本の苗字七千傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/ という労作のホームページがありますが、その中の「Q&A」で、「Q38.昔に比較して寿命は伸びたか?」という項目では、おそらくはこのサイトの管理者が丹念に作られたと思われる秀逸なグラフとともに回答が掲載されています。

この回答は単純な手法ではあり、「統計的」に一般化すべきものではないと管理者も考えていると思われますが、日本史上の「寿命」というもののイメージ作りには有用と思われます。グラフを表示しながら「生没年の明確な藤原氏嫡流を、飛鳥時代の始祖(中臣鎌足すなわち)藤原鎌足公から(続く藤原四家のうちの藤原北家近衛流の嫡流)現当主近衛忠W氏まで54代」1400年あまり、各人の寿命の平均が56.2歳であるとしています。

この「各人の寿命の平均」というのはこれまで述べてきた「平均寿命」ではなく、嫡流としてある程度生き残った人たちの「死亡」年齢の平均が56.2歳であるということです。藤原嫡流でなく、筆者は計算していませんが、北条執権の平均が47、戦国大名が60、徳川将軍が51などという数字もあるようです。

この1400年あまりの歴史推移がみられる藤原嫡流のデータも統計学的な近似曲線が描けるかと思いますが、グラフを単純にみると、激しく上下の振幅を繰り返しながらも、視覚的には飛鳥、奈良、平安時代前半は、50歳台、60歳台、以降鎌倉時代を中心に40歳台、50歳台に落ち込み、室町時代後半から20世紀にかけ少しずつ上昇しているようにみえます。

藤原が恵まれた環境下にあるから寿命が長かったという説も真理の一部だとしても、まさにこの恵まれた藤原の中でも藤原不比等の4人の子、藤原四兄弟が痘瘡ではやくして病死したことも象徴的な真理の一部でしょう。

つまり、近代以前とは、人口が稠密でない時代、あるいは都市人口の集中が激しくない時代である一方、予防医学や医学が発達していなかった分だけ人対人の感染症がおこれば、恵まれた境遇かどうかの如何にかかわらず、病魔は襲ってきたようです。また、人対人の感染症でなくとも公衆衛生の知識が薄かったことを考えると、「庶民」と「貴族」には死がほぼ等しく襲いかかり、両者の「寿命」のイメージの差はそれほど思うほど大きくなかったとも推察されます。

紀元前6、5世紀のことです。孔子の論語です。

子曰、吾十有五而志於学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩

子曰はく「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず」

ここ最近の身体的寿命はともかく、寿命のイメージはそれ程変わってないかもしれません。

続く
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