カトー研究所、無花果・石榴・武士道―国境なき記者団(報道の自由その32) [2008年11月18日(Tue)]
|
承前
さて、米国のカトー研究所の由来である小カトーは前回紹介した大カトーの曾孫、ひ孫です。 Marcus Porcius Cato Uticensisマルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシス=Cato Minor小カトーは、ストア派の学徒として、まさにストイックで、生真面目な文人政治家、反シーザー(カエサル)派の悲劇の人物として描かれることが多い人物です。古代ローマ共和制を終焉させる「主役」カエサルに対し、その「反」主役のひとりとして小カトーの生涯は、帝政直前の時代を描写する上で欠かせないものです。 新時代をもたらした、世界史上一二を争う「ヒーロー」、カエサルの宿敵として、反「ヒーロー」、いわば「抵抗勢力」の、旗頭というよりは、「御輿の上」のイメージの強い人物です。 カエサルに対抗した反「ヒーロー」なので、そのイメージには、年月とともに積み重なった、実際とは違った脚色と解釈が多いかとも思われますが、「守旧的」「頑固者」「吝嗇家」「生真面目」などの後ろ向きのイメージや逸話はあっても、「意地悪い」「悪人」といったイメージがないということは、カエサルの悪魔的ともいえる豪胆さに対する反動を割り引いたとしても、どちらかというと好かれるタイプでない、実際上はとても「真面目」な人であったのであろうと想像を膨らませてくれます。 英国で「He is a Cato 彼はカトーだ」という表現があって、その意味するところが、同様のものであることが、かの E. Cobham Brewerブ ルーワーのDictionary of Phrase and Fable 「故事成語大辞典」の1898年版或いは、その最近版1981〜1989年版の和訳でも確認できます。 He is a Cato. A man of simple life, severe morals, self-denying habits, strict justice, brusque manners, blunt of speech, and of undoubted patriotism, like the Roman censor of that name. 彼はカトーのような人だ。ローマの監察官マルクス・ボルギウス・カトー(紀元前234-149)のように、質素な生活を送り、自己抑制のきいた習慣を持ち、正義を厳しく守り、そっけない態度と率直な言葉遣いをする人のこと 小カトーは新渡戸稲造の「Bushido, the Soul of Japan 武士道」で「切腹者」として、あるいは、ダンテの「Divine Comedy 神曲」で煉獄を守るカトーとして、古代ローマ人の中でも日本人に比較的知られている、それこそおぼろげなストイックなイメージとともに、数少ないローマ人だと思います。 と、ここまで、原稿を記載して、調べ始めて、オリンピックを挟んで、長期に連載がストップしてしまいました。というのは、二つのことの確認が取れなかったからです。いずれも正解がわかりませんが、調べを打ち切り、再掲することにしました。 ひとつは大カトー、もう一つは小カトーにまつわるものです。一つめは、前回も紹介した、大カトーが元老院で示した「いちじく」が「ざくろ」だったかもしれないという素朴な素人の疑問です。もう一つは、新渡戸がいつどのように小カトーの「切腹」の絵画を目にしたかです。 続く xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx 「報道の自由」はここから始めました。 「閑話休題」の....... 最初はここです。 直近はこれです。 |




