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カトー研究所、プリニウス、タキトゥス―国境なき記者団(報道の自由その31) [2008年08月21日(Thu)]

承前

このカナダとフレーザー研究所と共同でEconomic Freedom of the World 世界の経済的自由をランキングしているのが、米国のカトー研究所ですが、次いで同研究所のミッションや目的を紹介します。

カトーという名前は、古代ローマ小カトーに由来しますが、先ずは大カトーから。

Marcus Porcius Cato Uticensis マルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシス Cato Minor 小カトーとよばれるのは、曾祖父、ひいおじさんの Marcus Porcius Cato Censorius マルクス・ポルキウス・カトー・ケンソリウスを Cato maior 大カトーとよんで区別するためです。

大カトーは元老院、政務官、民会の三者によって成り立っていた「共和制ローマ」時代の後半期、第二次ポエニ戦争でカルタゴのハンニバルが敗退していく時代、紀元前二世紀頃、「 Carthago delenda est やはりカルタゴは滅ぼさなければならない」とどの発言の最後には付け加え、今日の国際政治にも引用されるように、反カルタゴ強硬派の雄でした。

因みに、大カトーは農書、「De Agri Cultura=On Farming=農業」についての著者でもあり、胃腸薬「キャベジン」の効能を想起させるキャベツの礼賛はもとより、当時の農業状況はもとより、ワインの製法、農業に関連する神事、今日の殺虫剤の先駆といえるオリーブを絞ったamurca アムルカ、果ては契約法などを知ることができる資料となっています。

さらに、近現代の政治家の演説に引用されたりする、農学者であったからこそ説得力を増したであろうと思われる彼の言動が、1世紀に活躍したローマの博物学者、政治家 Gaius Plinius Secundus ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(彼も著名な甥と区別するため Plinius Major = Pliny the Elder 大プリニウスとよばれる)によって書かれ、ルネサンス期に評判となった全37巻の「 Naturalis Historia 博物誌」にも記録されています。

反カルタゴの大カトーがある日、元老院に新鮮なイチジクを持参し、掲げながら、
Interrogo vos, inquit, quando hanc pomum demptam putetis ex arbore. 皆に聞く。この果実はいつ木からもいだと思う?」、と問いかけ、皆が「まあ、最近だろう」と反応するのに対し、「これは一昨日、カルタゴからもいできたものだ。それほど敵は近いのだ」と警告し、この直後、カルタゴが破滅させられることになる第三次ポエニ戦争が始まった。

そして、プリニウスはこの挿話を、かつて栄華を極めていた大国が、たかが「イチジク」によって破滅にいたった歴史の妙として伝えています。

プリニウスのいうことも確かですが、筆者はむしろ紀元前2世紀にして、ローマとカルタゴの両雄時代に、しかも両雄の敵対時に、(もしかしたらイベリア半島等のカルタゴ領内からかもしれませんが)アフリカのカルタゴから、イタリア半島の央部までイチジクを二日で運ぶ流通ルートが形成されていたことに驚かされます。

因みに大プリニウスはローマ海軍の長官でしたが、ベスビオ火山の噴火時、救援のため出帆し、ガス中毒により死んだとされます。ポンペイを埋めたベスビオの 79年の噴火は、甥で養子の小プリニウスによって、「De Origine et situ Germanorum ゲルマニア」や「Annales 年代記」、「Histories 同時代史」で有名な史家、政治家の Cornelius Tacitus コーネリウス・タキトゥスの求めに応じた二通の書簡で、生き残った舵手の証言に基づく叔父の模様と、叔父に誘われながらも家に残り家族との被災、避難経験が活写されています。

こうしたこともあって、このプリニウスに名から、ベスビオ火山級のものを、火山の噴火の中でも噴煙が成層圏にまで達するような大規模な火砕噴火の場合、Plinian eruption プリニー式噴火とよんでます。

以前紹介した 19世紀初頭のタンボラ山、そして、Munch ムンクの「叫び」=「Der Schrei der Natur=自然の叫び」の情景が現実にみたものだとする説がありますが、その原因といわれる同世紀末のKrakatoa クラカトウ山の噴火もプリニー式噴火といわれています。

続く
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