ラヴェンナ(17)勝ち残ったラテン語。国とは?その49―閑話休題(再三) [2007年07月06日(Fri)]
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<承前>
前回紹介しましたように、分派の形成にはいたりませんでしたが、原始キリスト教会内部で、紀元一世紀半ば、48年にエルサレム会議が行われました。これはユダヤ教内の一派のようにして生まれたキリスト教が拡張するにつれ、ユダヤ人のキリスト者と非ユダヤ人のキリスト者との間に生じた「確執」を象徴する出来事であったといわれます。言語という面から見ると次のようになります。 ユダヤ人のキリスト者と非ユダヤ人のキリスト者の違いとは、アラム語もしくはヘブライ語を話すユダヤ人グループと、ギリシャ語を話す非ユダヤ人のグループとの違いともいわれます。この「危機」の克服が、キリスト教が民族を超え、世界宗教化への第一歩を成したともいわれています。お気づきかとも思われますが、「拡張」が先か「寛容」が先か「鶏と卵」の関係にあります。旧約聖書、例えば第二次世界大戦直後発見された死海文書の多くがアラム語やヘブライ語で書かれています。 この後、キリスト教はギリシャ語が多数派となっていきます。ギリシャ教父たちの活躍が始まります。ギリシャ語社会に拡張するからです。ヘレニズム化といって、旧ユダヤ人グループが嘆きます。つまり、二、三世紀以降の初期キリスト教時代はギリシャ語がキリスト教社会の言語であり、先に紹介した公会議もギリシャ語が使用されていました。新約聖書はギリシャ語聖書(旧約はヘブライ語聖書)と呼ばれたりもします。 この時代は新興宗教キリスト教が異教として迫害される時代でもありますが、いくつかの映画のシーンでも使われていますが、「魚」の形が、キリスト者同士の確認のための符牒として使われたといわれます。その理由として有力な説は、ギリシャ語の魚=ΙΧΘΥΣ=icthus=イクトゥスがΙΗΣΟΥΣ=Iesous=イエス ΧΡΙΣΤΟΣ=Christos=キリスト ΘΕΟΥ=Theou=神の ΥΙΟΣ=Yios=子 ΣΩΤΗΡ=Soter=救世主 の頭文字を並べたものと同じだからだというものです。真偽はともかくギリシャ語が主体であることうかがわれます。 もちろん、このギリシャ語の優位はキリスト教社会だけでなく、ローマ帝国内全般の傾向でもありました。後日紹介する予定のシーザーがラヴェンナの近くでいった「賽は振られた」という有名な台詞もギリシャ語であったといわれます。ギリシャ語がネイティブの人たちもいたでしょうが、かつて日本でも漢文が教養人の教養であったように、あるいはヨーロッパ社会でラテン語が必須の教養であるように、当時のラテン語社会ではギリシャ語が「教養」であったことをうかがわせます。 さらに、異教の迫害から、許容、国教化というローマ・カトリックの優勢に従い、多数派の使用していたラテン語が多数派のローマ・カトリック教会の「言語」として、ごく最近にいたるまで、君臨することになります。 <続く> xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx バイロンの足跡をたどる記事は最初はここから開始しました。 ラヴェンナを紹介する記事は最初はここから開始しました。 |




