ラヴェンナ(5)ゴシックとは。 ヨーロッパの形成。国とは?その39―閑話休題(再三) [2007年03月14日(Wed)]
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<承前>
東ローマ帝国内のこの頃の皇位の変遷について、帝国内の問題として、いわゆる「とりまき」、宮廷政治、または「長老」、元老院体制や共和制、さらには「本国人と蛮族」「旧市民と新市民」問題と符号する軍人政治など、どのような実態にあったか議論があるところとされているようです。 さて、話しを西側の情勢、ラヴェンナを首都としたオドアケルからテオデリックと「イタリア王」という「王位」が続き、497年に東ローマ帝国の皇帝アナスタシウス1世によって認められる形で成立した東ゴート王国に戻します。 東ゴート王国はイタリアのほぼ全域を、西ローマの政治機構を再整備しながら統治し、フランク王国など近隣国と積極的な婚姻関係を結ぶことによって短期間ながらイタリア半島にOstrogoths東ゴート人とローマ人の共存と平和が訪れました。 ゲルマン民族の大移動、ヨーロッパの形成の混乱期において、キリスト教が連続性を持ち得たのも、「異端」とされるアリウス派の熱心な信徒がゲルマン社会に広がっていたからだともいわれます。また「辺境」「外来」民族、「蛮族」や「異端」との葛藤にとどまらず、「伝統」と「正統」のキリスト教会の東方と西方、ローマ帝国の東と西との四つ巴の混乱と入り組んだ、いうなれば六つ巴、八つ巴の「ダイナミック」な関係が果たした役割も大きいといえます。 キリスト教にとどまらず、様々な中世やルネサンスに対する評価はありますが、ギリシャ、ローマの古代世界から新しく形成されたヨーロッパへの連続性がそれなりに保たれたのも、こうした東西両ローマと東西ゴートなどのゲルマン諸部族との連衡合従、皇位継承の正当性・連続性を巡っての虚々実々にみられる、憎悪と憧憬が入り混じった関係性の所産でもあることがよく分かります。 そもそも「帝国主義」、ローマ「帝国」の飽くなき拡大の成功の理由も、敗戦相手国の自国民化、ローマ「市民」化といわれます。「帝国」と「国家」、「国家」と「市民」の今日にいたる「おもい」の動揺の源の一つがここにあると思われます。 帝国に組み込まれ、混じり合っていったゴート族ということでいえば、ゴシック、ゴチックという言葉の持つ意味やイメージが象徴的です。西ヨーロッパ全域で今日でもみられる建築のゴシック様式のgothicゴシックは、今日では文学やロックにたるまで若い人口に膾炙していますが、この語彙も、ルネサンス期の「古典派」のイタリア人が「野蛮」な「ゴート人」の建築などの様式を「ゴート風」とする蔑称としていい始めたものです。 因みに、日本でいう文字のゴシック体は、いずれ詳しく紹介する機会があるかと思いますが、概略紹介いたしますと、ハリウッド映画などの冒険譚などに登場する古文書などにみられる古くヨーロッパで使われていた端に髭がついていたような文字の書体と異なり、これら文字に施された髭=装飾= serif(仏)、フランス語でserifを除いたという意味のsans serif =サンセリフ文字が、米国で Alternate Gothic よばれ、日本では 「Alternate =代わりの」が省かれて短く Gothic とよばれるようになったものです。原義からいえば、むしろ逆の表現になっています。 <続く> @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ バイロンの足跡をたどる記事は最初はここから開始しました。 ラヴェンナを紹介する記事は最初はここから開始しました。 |




